迷いたくない。
多くの人はそう思うかもしれないけれど、それは道理に反しているというもの。
迷いと選択肢
現代は、何でも自分で決めることができる。
思想信条も、どこに住むかも、就職も、結婚も、離婚も。最近に至っては「苗字も個人の自由だ」との意見が増えてきているようで、夫婦別姓運動も盛んに行われている。
自由になれることで幸せになれると思った現代人は、ありとあらゆることを自分の意志で決められるようにすることを求めてきた。
自由こそが幸せの指針だと思い込んでいた。
そして自由になれた分、選択肢は無限大と言えるほど増えることにもなった。
だけど、選択肢が増えれば増えるほど、迷うことも必然。
そこに多くの人は悩んでる。
私は、この間のイイネ!で紹介した本を読みながら、如何にこの欲求(自由を求めて選択肢を増やす)が浅はかで道理に基づいていないのか気がつくに至った。
だって、自由を求めて選択肢を増やしたの……、増やした結果路頭に迷う人が多数になるなんて、滑稽以外のなにものでもないでしょ?。
でも、迷い始めたのなら、この不安定な心のざわめきを抑えることが目先の一番の目標になってしまう。
不安定な心のざわめきは、考えることによって生じるから、考えなくて済む方法についつい惹かれてしまう。
私の言う通りにしたのなら、あなたの心のざわめきは止まると言い張る人に惹かれてしまう。
結局、選択肢が少ない方が、選択肢がなく考えなくて済む方が、人は楽なのかもしれないなと思わされてしまう。
ただ、これにはもう一つ盲点がある。
それは、そもそもその人の心が「今」にないこと。
今にない心は、常に揺れている
人の心は常に揺れている。
それは変えようのない、この世の道理。
だけど、心が「今」にあれば、その揺れは凪のように静かに保たれる。
一方で、心が未来や過去に縛り付けられていれば、心は今から外れるため、その揺れは時化のように激しくなる。
現代に生きる人の多くの心は「今」にない。
心はいつも未来か過去にあって、そのため大きく揺れている。
そのためちょっとした選択における迷いも、とても大きく感じてしまう。
だから、自分で考えることを放棄したくなる。
誰かに決めてもらい、迷うことを放棄したくなる。
それによって、心の揺れも止まるのではないかと考える。
確かに、一瞬は止まる。
一瞬は止まるが、時過ぎればまたもや激しく揺れ動く。
理由は簡単で、心が「今」にないから。
だから、激しく揺れるわけで、不安にもなる。
不安にもなるけど、やっぱりそれは嫌だから、誰かにすがって、そして更に思考停止していく。
しかし、
心が「今」に入り、揺れの大きさが変わってくると、迷いも生きる醍醐味だと思えるようになってくる。
悩みがある時は生きている時と思えるようにもなる。
心の位置がどこにあるかそれだけのことで、遭遇する社会の印象は大きく変わる。
不思議なことだなと思うけど、これが道理。
そして本質の道理を理解せず、自我によって作られた世界の中で正解を探すから、より一層の矛盾が生じて迷うだけなんだよね。
もったいないよね。
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ゆらぎを見つめる。そういった作業も魂の修養になります。日本は、大地すら揺れていますから。
こんにちは。
そうですよね。
大地も揺らぐのだから、私たちが揺らぐのも自然であり必然といえますね。
それではこれからも宜しくお願い致します。