男女平等、人権!人権!言う人たちって、なぜ男子のことについてはコテンパンに言うんでしょうね。
男子の人権はないのでしょうか。
毎度疑問です。
フェミニズムの横暴にうんざり。
女性の言論界の中心で居続けるフェミニズム陣営ってさ、女子の格を下げることしかしてないって思うんだよね。
っていうかそもそも人としての品格が欠如している人ばっかりだよね。
そして、その品格の無さから、ルサンチマンを発動させてるに過ぎないと私は思うけれども、こういうルサンチマンが「女性の代表です」って言われることに、日本の女性らしく生きている人ほど違和感を覚えているのではないのかなと、私は考えています。
嫁とは呼ぶのはダメだ、専業主婦は人権侵害だと、彼女たちは言い張りますが、それは単に自分がそういう幸せに恵まれなかった反動なのではないのかと私は思ってます。
また多様性を主張するなら、まずは自分の反対意見の人の思いも汲む行為ができて当然ですが…当然の如く彼らはそこを無視しますよね(>_<)
古い価値観も多様性として認めてほしい、という中高年の新聞投書にそうだそうだと共感の数珠つなぎだが、そのお互いに確認し合う雰囲気もまた多様性を認めなさげだな。もうあまり言われないアップデート(上下があるということ)というようなお笑い第7世代的流行語は都合のいい言い方に過ぎない。自然
— 岡林リョウ (@z4v7ICDS3O5rhS0) March 5, 2021
そして私が毎度において最も疑問に思うのが、フェミニズムたちのじじぃへの糾弾の卑劣さです。
彼女たちは「女性は弱く迫害されてきたもの」という位置づけを行うことで、男性にだったら何を言っても良い、何をしたって良いって思っているんじゃないかしら?
これっておかしなことですよね。
ただ、こうすることによって、男性の発言を萎縮させる効果はあり、それによってフェミニズム論者の活動の幅を広げることはできるわけですが……
前にも言ったけど、この行程の先にあることこそが、女性の抹殺なんですよ。
地獄への道は善意で舗装されていることに気がつけないフェミニズム
最近ミスユニバースのスペイン大会での優勝者がトランスジェンダーって話題になってたけれど、
フェミニズムたちが推進する世論によって何が起きるかというと、結局それは生粋の女性の迫害だったり、民族の迫害なんだよね。
たとえば日本のミスユニバースでも近年の優勝者は「ハーフ」がトレンドになってる感が強まっているけれども、これって言い方変えれば、生粋の日本人女性への差別だよね。
そしてこうして、彼女たちはマイノリティ優位論を片手に、マジョリティを迫害していくわけだけど、行き着く所はさっきも言った通り、女性の抹殺。
にもかかわらず、張り切りまくる彼女たち。そしてその扇動に溺れる人たちを見ていると「地獄への道は善意で舗装されている」ということわざはやっぱり本物だったなぁと思う次第です。
それではまたね♪
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はじめまして。やなっちと申します。
1年ほど前から、記事を拝見しています。
読み初めの頃は、自分には???な記事が多い気がしていましたが、
「自分とは「自然の一分である」」という記事を拝見し、その内容が腑に落ちてからは、
どんどん「〇の世界」に引き込まれました。
そして「そうだ、私は本来、自然界(食物連鎖)や〇の世界が好きなのだ」と気づいてからは、
今までの考え癖から解放され、心が確実に安定しているなと実感する日々を送っています。
今では、記事の内容に共感しっぱなしです(笑)
今回の記事もまさに!という内容でした。
一方的な批判が世論(といってもマスコミが作り上げているのでしょうけども)という名のもとで大きくなり、
批判に対比する意見が「ネット上では…」という…情報の一部が切り取られ、置き換えられていく。。。
鵜呑みにしていたら、そこで思考停止します。それこそ”悪の思うつぼ”なのでしょう。
ちょうど釣り合う天秤のように、右と左を見ながら、バランス感覚を養っていきたいものです。
とはいえ、誰かに共感してもらいたいものでもなく、結局は、自分の〇の世界の中で、
また終わり(始まり)に帰ってくればいいかーと思う日々です。
ちょっと感覚的すぎて、とりとめのないコメントとなってしまいました(汗)
これからも竹久さんの記事を楽しみにしています。
季節の変わり目どうぞご自愛ください。
はじめまして!こんばんは!
すごく嬉しいコメントをくださりありがとうございます。
私の言っていることは、一般的になかなか受け容れにくいことも多いかと思います。
それゆえ批判されることも多いのです。
△の世界観が強くなればなるほど、〇の世界は理想であり虚言のように見られがちですが、〇の世界は実在するし、踏み込んでみれば入り口は激しく厳しいことばかりですよね(>_<)。 でも、馴染めば必ず穏やかに変容しますし、生き心地を感じやすくもなります。 そこを実感したと言ってもらえるほど、やっていて良かったと思えることはありません。 教えてくださりありがとうございました。 それではこれからも宜しくお願い致します。
こちらこそ、コメントありがとうございます!
そうですね。「〇の世界」に気づく前、「(今思うと結果して)〇の世界に入り込んでいた頃」は、思い出してみても、つらい思いをしていたなぁと思います。まだ「△の世界」との区別がつかなかったというか。。。竹久さんが言うように「〇の世界」が体に「馴染んでいなかった」ですね。
けれど、馴染んだ今は、前と比べて確実に心は穏やかです。
きっと周りの出来事は変わっていないのでしょうけど。見方が完全に変わりました。
今もまだ、「△の世界」視点で考えてしまうことがありますが、そういう時は、竹久さんのブログを読み返して、クールダウン(笑)しています。(「△の世界」に生きている人が多いですし、「△の世界」は考えやすいですからね、今もそちらの視点で思いを巡らせることがあります)
そんな中、先日の「直線の時間を生きる人と螺旋の時間を生きる人」記事にも、とてもとても共感しました。
私はその記事を読んで、コンパスがゆっくりと円を書くようなイメージを持ちました。はじまりと終わりは一緒。そして、少しずつ中心線をずらしながら前に進んでいくイメージです。
このイメージは「△の世界」に片足を突っ込みそうになったとき、とても効果的です。下がっても、最後は上がる、と私はよりイメージしやすくなりました。「〇の世界」って曜日や時間と比べて、ゆっくりですよね~~!
そんなこんなで、私は感覚的に「〇の世界」を過ごしていますが、その世界を具体化して具現化して言語化してくださる竹久さんのブログは、大変ありがたい存在ですm(__)m
私が想像する以上に竹久さんに強い風が吹いていることもあるのだと思いますが、こんな感じで気づけた人間もいることが、少しでも竹久さんの心穏やかパワーになると嬉しいです(^^)
(またまた長文失礼いたしました:汗。でもまだ描きたいこと湧き出てきたりしています:笑)
>ゆみさま
こちらの返信欄でのコメントで失礼いたします。やなっちと申します。
前回のコメントで「誰かに共感してもらいたいものでもなく」と書きましたが、やはり、共感していただいたことは、とても嬉しいものだなぁと思いました。私も含めたコメントをいただき、ありがとうございました。
おはようございます。
見方が変わるのは、本当に大きなことですよね。
それの前と後では、正義と悪が真逆に見えたりと劇的な違いが現れますものね。
最初はそこにショックを受けたり、馴染んだ言動のチグハグに収拾がつかないこともあるのですが、徐々に馴染むと、〇の世界の中でも創造ができ普通に生活できることに気が付け、そこまでいくと随分日常が楽になるんですよね。
なかなか理解してもらえない考えのように見えるあれこれが、道理だったと気が付いてくれる人が増えていて、私も元気をもらっています。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
横レス失礼します。
おふたりのやり取りにとても共感しました。
△の世界観は戦後に植え付けられたものですよね。虚言でも理想論でもないのに……。
竹久さんの〇の世界観のお話は、他界した私の祖母(大正生まれ)の価値観と同じです。日本人が本来、生きていた世界観です。
どうぞ批判に負けずに日本人を目覚めさせる記事を書き続けてください。
こんにちは。
勇気づけられるコメントありがとうございます。
日本人が本来生きていた世界観や精神世界に気が付いてもらうためにも頑張って書き続けていきますね。
それではこれからも宜しくお願い致します。