【いつも思ってる】食に対する「罪悪感」が不健康を作ってるんじゃないの?

私は、テレビの食レポで「これなら、罪悪感がない~♪」という言葉が何より嫌いです。

 

テレビは四六時中食べてるな!

最近っていうか、かれこれここ10年くらい……テレビって食べ物の話ばっかりになっていると思いませんか?

っていうか、テレビをつけた瞬間、誰かが何かを食べているというシーンに遭遇してしまう頻度が、近年ますます高くなっているように思えて、さすがにこれは……と思うことが増えています。

テレビの資金難だから起きていることとはいえ、ここまで四六時中食べることばっかりなのは、正直見てて嫌になりますよね。

ただ、テレビ局の資金難と食べ物がリンクするのか分からない人もいると思うので、簡単にその理由を説明しときますね。

そもそも「食べること」は、本能に直結するものであるがゆえ、一度見始めたらザッピングされにくい(チャンネルを変えられにくい)カテゴリーなんです。それゆえ、お手軽に視聴率を稼げる案件であります。

その上、ドラマやコントなどのカテゴリーと比べて、グルメ系は圧倒的に制作費が安くすみます。

さらにBPOを中心としたクレーム団体からの抗議を受けにくいカテゴリーでもあるので、局側としては安心・安定の黄金ポジションが得られやすい番組コンテンツの一つです。

つまり食関係は、

  1. 安定した視聴率を得やすい
  2. 制作費が安い
  3. クレームが少ない

という、テレビ番組的には願ったり叶ったりの美味しいカテゴリーなんです。

ただ、それにしてもここまでどの時間の番組を見ても、四六時中誰かが何かを食べている姿を見るのは、ちょっと気色悪いようにも思います。

しかも、これだけテレビが食の話しかしない割に、グルメレポーターやコメンテーターが食の評価に対して「罪悪感」という言葉を使うのがきしょくてしかたないです。(例:このカロリーだったら罪悪感かんじな~い、さっぱりしてるから罪悪感かんじな~い、など)

っていうか、罪悪感を覚えるのなら、食うな!って私は思います。

また、それ以前の問題として、食べたいと思う気持ちに自然に素直になって、その上で感謝を捧げることが人として当然の行為のように思うので、毎度こういう感じのコメントは違和感ありありで見ていますし、食に対して罪悪感を覚えるから、食が毒になっているケースも多いんじゃないのかなぁって、あのコメントを聞くたびに私の脳裏は囁くのです。

常識脳で食すると、食は毒になるんじゃないのかなと思うのです。

また、どうして私があのように思ってしまうかというと…それは自分自身がエゴ脳から脱出しようと試みた時に、そのことを実感したからだと思います。

現代の人は、今自分が何を食べたいのか、何を美味しく感じるかということよりも、世間的に言われている栄養素を取ることやカロリーに合わせることに一生懸命で、それによって本当の美味しさを忘れ、食物に対して感謝を忘れているんじゃないかなぁって思うんです……っていうか、そこから脱出しようと思うまでの私はまさにその典型でしたし、同じような思考性を持ち合せていました。

だから平気で「罪悪感を感じな~い♪」なんていう言葉を言えるんだと思うし、またこの言葉が共鳴されるからこそ連呼され続けているのだろうと思うのですが、この感覚こそが体にとっては毒のように私は思うんです。

逆に、世の中の思考(常識)に合わせることなく、素直に自分が食べたいものを食べ、そしてその食物にきちんと感謝できていれば、全ての食物は自分にとって薬となり、活性エネルギーになるように私は思います。

 

本当に食べたいと思うものは、今身体が欲しがっている物。だから食べたいという欲求が沸く。

実はそれだけのことで、身体は回っているように思うんです。

 

一方で今時の感覚で生きている人は、身体が欲しがるものよりも、世の中の常識として正しいものを選ぶから、おかしなことになってるんじゃないのかなと思う次第です。

素直な心で生き、その上で今日食べたいものを食べることの方が、栄養素やカロリーを計算して食事をするよりもよっぽど健康になると私は思っているし、食べたい物がいつでも食べられる豊かな環境ほど、ありがたいことはないと思っています。

このありがたさをしっかり感じて、本当に自分の食べたい物を味わったのなら、満たされない感覚や罪悪感など湧いてくるはずもないのになぁって、あの感覚から離脱してから、いつも私は思っています。

ですから皆さんも、素直に食べたい物を食べ、そして感謝して、まずは食に関する情報思考から外れてみてください。

心が素直になると、満足感は全然違ってきます。

満足感が違うからこそ、食に対する感謝の度合いも変わってきて、食した物は全て薬となり、エネルギーとなるように感じています。

だから、まずはそこから変えましょ!

せっかく美味しく頂くべきものに対して「罪悪感を覚える」なんて、あまりにおかしな感覚ですし、この感覚こそがカルトじゃないかと私は思う次第です。

ということで、改めて皆さん!

食べたい物が食べられるこの時代の恩恵をしっかり噛みしめて、一口毎に感謝して生きていきましょ♪

罪悪感なんて捨てちまえ!

罪悪感は食を毒にする!

だから捨てちまえ!

って感じで……素直に感謝して生きましょ。

そして全ての要素を薬にしてエネルギーにして活かさせて頂きましょう。

飽食の時代に感謝して、全ての食を薬にしてエネルギーに変えていきましょ♪

 

それではまたね!

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14 件のコメント

  • こんばんは。

    大して悪いことでもない(全然悪くない)ことなのに、ただ「食べたい」という自らの欲求に負けたことからくる自己嫌悪に陥らないために偽善的に使用される「罪悪感」。
    若しくは「何も考えずにモリモリ食べてる馬鹿と思われたくない」といったような外面ばかり気にしてる自分を正当化するために使用される「罪悪感」。
    どちらの場合でも、ただ自分を偽って自己の責任を矮小化するために「罪悪感」という言葉を偽善的に使っているのでしょうね。

    個人的な事ですが、私はいくらカロリーが抑えられるとしても人工甘味料が入っている食品は手に取りません(やむを得ない場合もありますが)。
    要は食べ(飲み)「過ぎ」なければいいだけのこと。
    「罪悪感」を免罪符に自分をコントロールする機会を有耶無耶にするようなことはなるべく避けたいですし。

    あと、デカ盛りや激辛を取り扱った番組とお店にイラッとしてしまいます。
    食べ物で遊ぶなと教わらなかったのでしょうかね…

    • おはようございます。

      私がモヤモヤしていた感覚がなんだったのか、頂いたコメントでようやくはっきり分かりました。

      自己の責任を矮小化するために「罪悪感」

      これをうっとうしいと思っていたんだと思います。

      表面上矮小化した所で実質は変わることないのに、それで変わった気になっている感じがとてつもなくうっとうしかったんだと思います。

      教えてくださりありがとうございました。
      これからも宜しくお願い致します。

  • はじめまして、おはようございます。
    つい数日前に久しぶりに拝読してから貪るように読んでおります。
    個人事業主にも拘わらず狩りに駆り立てられている起業家を見ていられなくなった最近だったので、循環型社会の話にほっとしております。

    さて、今回の記事ですが、まさにそうだと感じました。
    ちょうどこの記事を読んだ時に断食中だったんですが、そもそも私たちって食べすぎですよね。
    お腹もすいていないのに「セミナーで持たなかったら」とあらかじめ食べてしまったり、余計なものを食べたりしていますよね。
    断食をするようになってから、その時はお腹いっぱい食べて、後でちゃんと胃を休ませる。
    ただこれだけのことなのに、食べることに対しての罪悪感はなくなりました。
    それからコロナのおかげで飲み会が減り、自炊が増え、むしろ健康的になったと思っています。
    ○○しすぎの社会は疲れますね笑

    • おはようございます。
      今の社会、「多様性」を連呼する割に、それぞれのリズムや個性に関しては一切無視するので、結局みんな自分の感覚よりも情報に従うしかなくて、その結果みんなおかしなことになっているだけだと思います。
      食ほど自分の身体と会話できる時間はないと思うので、その時間を愛おしく思い大切にした方が良いと思うし、それだけのことで充分健康に近づけるような気が私はしています。

      今の社会から感覚的に脱出していかないと、いろいろ面倒臭いですよね。
      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • 友理子さん、初めまして。
    巷では健康のためにダイエット!が持ち上げられているのに、テレビでは食べ物の話ばかりしていて、矛盾を感じていました。
    罪悪感も何も、ダイエットしたい!と言ってる人が食べる時点でどうなんだろう?と思います。身近にもそういう人が居るので、これもテレビの影響かなぁと考えていました。
    昔から「食べ物だって、コレが好きだ!と思ってくれてる人に食べてもらいたいはず」というようなことを思っていたので、罪悪感を持ちながら食べると毒になりそうというお考えに、何度も頷きました。
    今日のお話で「人間だって動物で、自然の一部だ!」という思いが一層強くなりました。

    いつも拝見するだけでしたが、今日は思わず「それそれ!」と声に出るほどに賛同いたしましたので、記念にコメントしてみました。
    これからも楽しみにしております。ありがとうございました。

    • こんにちは。
      ちょっと前でもテレビは「Gotoのせいで感染が広がってる~」と散々恐怖を煽った後…テンション変えて「週末に出かけてみたいスポット」紹介とかやってますからね。
      っていうか、これがテレビというものと割り切って付き合わないと、頭が混乱してしまいますよね。
      Goto&ダイエットに限らず、全てそうだと思ってみていきましょう。

      人間は他の動物より知的というような言い回しで何か自分たちが特別だと思う勘違いをしがちですが、結局動物ですよ。
      そこを忘れているからこそおかしくなっているんでしょうね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • 最近お友達が飼っている鶏を絞めてごちそうしてくれたのですが、
    本来、誰しも食に関する罪悪感は少なからずある気がします。

    昨日はそのお友達の飼っている鶏がアライグマに一気に数羽に襲われたので、そのアライグマを駆除しました。動物園にいたら人気がでるくらいかわいかったです。

    そういったことを目の当たりにして、人間以外も生きるのに必死なんだなと思います。

    世界中でも食事前にお祈りする国は多いですし。申し訳ない気持ちと同時ありがたいと思う感じ。
    命をいただく罪悪感がカロリーとか自分の容姿や健康に転嫁されておかしなことになっているような気がします。
    その気持ちを自分に向けるんじゃなくて食べ物に向けるのが普通のような気がします。

    • こんにちは。
      その感覚よく分かります。
      だから私もくりすますは丸鶏を調理するようにしていて、むごさを確認しています。
      https://ameblo.jp/yuriyuriko28/entry-11968835816.html

      仰る通り罪悪感は食物に向けるべきもので、自己肯定感のために利用する物じゃないんですよ!
      私もモヤモヤを言語化してくださりありがとうございます。
      すごくスッキリしました。

      食に対し、感謝とむごさの上で成り立っていることを忘れずにしていきたいと思います。

      これからも宜しくお願い致します。

  • 内澤旬子さんの飼い食いと世界屠畜紀行面白かったです。

    中韓の犬食いに嫌悪感があったのですが、日本も昔は庭先で鶏や豚を育てて潰して食べてたんですよね。
    戦前〜戦中に小鳥を食べて美味しかった、とか、
    養豚の仕事をしたことがあるんですが、子豚ってすっっっっごく可愛いんですけど、豚肉は美味しく頂きますし、、
    子豚可愛いーーってメロメロになりながら豚肉食べてる自分は、犬も可愛がりながら食べるだろうなーと思いまして。
    犬って美味しくて牛みたいにもたれないらしいです。

    それを読んで普通に食べたいな、って思う自分て罪深いように思いますが、みんな他の命を頂いて生きてる生き物なので、、
    でも、日本の養鶏養豚て利益のために9割動物虐待な育て方してるので、食べる人にも育てる人にも育てられる動物にも優しい形に変わってほしいな、って思ってます。

    日本の牛豚鶏の餌の5割以上がアメリカから輸入してる農薬まみれの遺伝子組換とうもろこしな問題(ラットにあげたらがんが発生する飼料を食べたお肉や卵や牛乳を食べて、人間に影響ないわけないと思うんですよね、、)も、改善されてほしいですし、
    自由がなくてストレスだらけ、そりゃ免疫弱るでしょ、な環境で育てといて、鶏インフルやら豚コレラになったら全頭殺処分て、誰が得するの?この飼育システム??ってすごい違和感で。

    グルメだなんだ、のテレビってほんと大衆白痴化させたいんだな、、って思います。
    まっとうな人間ならやたらとグルメ放送する前に、食べ物がどんな人の手と自然のかけあわせでできているか、とか根本で、殆どの人が知らないでいる情報をとりあげることこそテレビのできる仕事だし多くに還元できることだと思いますが、、、

    • こんにちは。
      仰る通り、直視すればするほど、何かおかしい矛盾した社会の中に私たちが生息している事が見えてきますよね。
      動物はそれぞれ何かを食べ生きていく生物ですが、人間だけが自然的でないことは明らかだなぁと思っています。
      本来の自然に沿う形で、穏やかな人間社会に戻れたら良いなと思っています。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • こんにちは!いつも楽しく拝見しています。
    斎藤一人さんが食べ物のことで「命を奪っておいて、美味いだの、不味いだの言ってるんじゃない。」と言っていました。私もそう思います。
    私の小学校の時は、家庭科の授業で実際に生きている鶏を先生が生徒の目の前で絞めて、それを料理して食べました。女の子たちは泣いていましたが、その後の人生で食べ物を大切にするのが自然に身についているのではないか?と思います。これが真の教育ではないか?と思います。

    食に関しても現代人は竹久さんの仰る道理から外れているな~!と感じます。だから変な世の中になっていくんでしょうね!つい数十年前までは実際に生きていたものを自分の手で料理して家族が普通にそれを見ていたでしょうし、そこから自然に感謝する事ができて、恵みを頂くのが当たり前だったと思います。

    道理から外れた現代社会は虚構の世界で、これから崩れ落ちていくのでしょうね!
    色々ありますが、道理を外さず腐らず地道に生きて行こうと思います。

    • こんにちは。
      それ良い授業ですね。
      特に子供のうちに経験しておくのは良いですね。
      先ほどのコメントにもありましたが、時代が近年に近づくにつれ、誰もが幼少期に当り前に目にして理解していたことを理解&体感せぬまま大人になり、それで苦しんでいるケースが多いように思います。
      道理に沿うことは何か、お互い考え実践していきたいですね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

      • 自殺に関しても思うのですが、現代人は自然な形で死に向き合う事をしていません。あちらに逝かれる方が、最期の最期まで懸命に呼吸をしている・・・この姿を見ると自殺という発想はあまりでてこないのではないか?と思います。
        これも昔は、普通に自宅で家族が看取って、お別れをしてきたわけで・・。
        現代人の自殺の増加は、これも道理から外れた結果なんだろうな?と思っております。
        何はともあれ、道理に基づいた地に足のついた生活をしていきたいと思っております。

        • こんばんは。
          日本の戦前は、誰もが家で産まれ家で死んでいました。
          ですが戦後の今は、誰もが病院で産まれ病院で死にます。
          自然死と言える老衰状態の老人ですら、家で死ぬと事件として扱われるそうです。

          根本的におかしなことが沢山あり、当り前の経験ができないまま大人になってしまったがゆえの面倒臭さが今の社会にはいたる所にありますが、それぞれが自分のできる範囲で道理に基づいて生き直すことで違いは必ず現れてくるはずだと私は思います。
          お互い地味に地道に実践していきましょう。

          これからも宜しくお願い致します。

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