【変なニッポンの教科書】太宰治は許され、槇原敬之は追放?

昨今、芸能人が逮捕されると、過去の作品も含めて封印しようとする動きが強いですが、なんだか変だと思いませんか?

 

マッキーの前に太宰じゃないの?と私は思う

来年度の教科書に槇原敬之が作った「世界で一つだけの花」が乗せられていることが問題になっているというニュースを見たけれど……

私はこういうのはどうかなと思う。

つまり、作品と人物を同一視するのはどうなのかなと思う。

その人の人間性と作品は常に別物だと思うから。

それに「世界で一つだけの花」は、贔屓目にみなくとも純粋に良い作品だと思う。

そう思う人が多かったからこそ、平成で一番売れた曲にもなったのだと思う。

 

また、最近はこんな風に不祥事を起こすたびに、過去の作品まで含めて全てを悪いものと見なす傾向があり、こんな人の作品を子供に見せる事は害悪だという理論がまかりとおるのだけれども……

その度に私は、なんで太宰治のことは議題にのぼらないんだよ!って思ってしまう。

そして、太宰のことを何ら話題にせず、目の前で起きた芸能人の事ばかり話していることがそもそも不思議で仕方がない。

だって太宰って、人として相当クズでしょ?

作品と人間性を同一視して語るのなら、最近逮捕された芸能人だけじゃなくて、過去に遡って考え直して当然なのに、もちろんそんな話題が出るはずもない。

単純に目先のクレーム回避しか考えていないということだと思うし、その浅はかさが馬鹿馬鹿しいと思う。

ちなみに太宰治がどれくらいのクズだったのか知らない人もいると思うので、太宰の人生をすごくコンパクトにまとめてくれた記事を引用しますね。

彼ぐらいひどい人間はそうはいない。その人となりを知れば、誰だってこの人には他人を責める資格なんかないと思うことだろう。

彼は戦前、重罪とされた共産党の細胞活動をやっていた。れっきとした犯罪者だったのだ。さらに、情死を企て、女は死んじまって自分だけ生き残った。これも何らかの罪になったはずだ。情死から生還した後は薬物中毒の治療のために精神病院に入院している。ジャンキーだったのだ。2人目の奥さんは不義は働きませんと誓ってもらったのだが、その誓いもどこへやら、あっちこっちに女をつくってその1人とは子までなしている。借金も山ほどあったらしいし、酒も毎日浴びるほど呑んでいた。悪所にもたびたび出入りしていたし、大恩ある人に嘘もついている。

しかも、この人は徴兵も文士徴用もされていないのである。あの時代に戦地に行かない/行けないのは、「男としてダメ」と国家に認定されたということだ(自分もダメ認定される立場なのでよくわかる)。
師である井伏鱒二は文士徴用されているから、年齢がネックになったのではない。本当にダメだったか、ダメアピールしたかのどちらかだ。どっちにしてもヘタレだった。

最後はご存じのとおり心中自殺だが、これは子をなした女とは別の愛人である。

彼を評して「サイテー!」という人がいても、私はその人を責めない。だって、本当にサイテーなんだもん。書いてて気持ち悪くなってくるぐらいさ。

http://news.kodansha.co.jp/20170311_b02

 

ちなみに私は人間失格があまりにも気持ち悪すぎて読めもしなかったし、太宰が作る作品はどれもこれも文章が頭に残らないくらい苦手で、ありあまる抵抗感を持ち続けて今に至るのだけれども、その理由はオリラジあっちゃんの解説でよく分かるようになった。

生い立ちに色々問題があったことは可哀想だとは思うけれども、許容しがたいクズだとやっぱり私は思う。

でも教科書に載ってるから、多少は触れあわなきゃいけない。だけど、先生たちは太宰の人間性に授業で触れることはなく、ただただ作品の話だけを進めていったから、太宰が人間として許容しがたいクズだと気がついたのは随分大人になってからのこと。

さらに先ほど紹介したあっちゃんの動画で、なんで私が太宰が苦手で苦手で仕方ないのか、その理由もようやく分かったくらい。

 

それから、国語の教科書には、他にも作品以前に人としてどうなんだろうと思う人が結構載ってる。

個人的な意見を述べれば、「蟹工船(小林多喜二)」が載っているのは、当時(高校生の時)から、ずっとおかしいと思っている。(今は載ってるかしらないけれど、私が高校時代の時は載ってました)

まぁ太宰に留まらず、文学や芸術に身を寄せて生きる人と言うのは、少々所か大いに変わっていていることが多く、生き方として人の手本になるかと言えば疑問符が残ることが多いのではなかろうかと思う。

そのため、作品と人間性を照らし合わせて選別し始めたら、教科書に乗せれないような人が多勢になってしまうのではなかろうかとすら思う。

それでも、その人物とは別として、作品の中から学ぶべきものがあると考える所があるからこそ、教科書に載せてきたんじゃないのかな?

その根本を忘れて、逮捕されたから教科書に載せられないとか、今さら何言ってるの?って思ってしまう。

日本の教科書には明治の文豪がこれでもかというほど載せられているけれども、そもそも明治の文豪と呼ばれた人の中で、品行方正だった人はどれほどいたのだろう。

私はほとんどの人が、品行方正だったとは言えない人物だったと認識している。

 

とても品行方正だったとは呼べない人たちを天才と崇め奉る横で、教科書から消えていこうとしている現代の天才がいることに対し、多いなる矛盾を感じてしまうのは私だけではないと思うんだけれどな……。

 

【追記】

ちなみにですが、マッキーの逮捕が変なタイミング(1年以上時間が空いた後)だったがために、おぱよさんたちはまたもやアベガーを発動しているようですが、須田のオジキによると、アベガーとは全く関係ない理由がちゃんとあったそうです。

 

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8 件のコメント

  • ゆりさんこんにちは!おっしゃるとおりで…その人自体の問題と芸術作品を同視して排除しようとする風潮は、メディアや教育界が自らの首を絞めるようなものだと思いますね。マッキーの在り方を裁くんじゃなく、反面教師にしたり家族で話し合う機会にしたり、ほどよい距離感で見ている一般人は多いでしょうに…

    じつは、私は太宰の大ファンなのですが、『人間失格』に至っては人に貸したままあげてしまったり、書店で見かける度に買ってしまうので、今は何代目かの『人間失格』を所有しています。
    が、合う・合わない、がバッサリ分かれる作品であろうことは100%わかります!人間のダメさや矛盾やゆらぎを煮詰めたような作品ですよね。

    ただこちらも程よい距離感を持って読むと、人間ってホントに矛盾を抱えた生き物だよな、とそこに自分を見たり、日本語の巧みさ、美しさ、鋭さが際立つ作品で、読むたびにしびれるんです。
    だからこそ読みつがれるのでしょうし、太宰の生き方と作品を上手に切り離して伝えてくれた先人に感謝しています。
    現代を生きる私達も、作品と出演者のあり方は別だけど、みんなで決めた法を侵した責任はとってもらう、と構えられることが必要かもしれませんね。

    ちなみにですが、太宰は共産党の活動を非合法だからこそ行なっていた(思想に共鳴して身を投じていたわけではない)、という複雑な内面があります。
    そんな、矛盾と変容を繰り返しながら死んでいくのが、人間の人生の意義でもある気がしていますが、たしかに太宰の半生は学校では話しづらいし、学生の年齢では『人間失格』の何ががいいかわかりにくいと思うので、太宰の名前だけでも記憶に残れば良いんじゃないかな、と思います(^_^;)
    マッキーや瀧さんも、いい具合に作品が残っていけるよう、落ち着いて対応したいですね。

    最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願い致します。ゆりさんの記事はすごくタイムリーで、世の情勢と自分自身の状態を確認する機会になっています。毎日の更新もなかなか大変かと思いますが、応援しています!

    • こんにちは!
      そうなんですね!何度目かの人間失格購入、スゴイです。
      私は伝記がやたら好きすぎたせいか、太宰に限らず、明治文学にありがちなアンニュイでまどろこっしい感じが全般的に苦手なんですよ。
      ずっとそれはなぜだろうと考えていた結果、多分生き様なんだなという事に気がつきました。
      でも、自分の好き嫌いや彼の人生があーだこーだだからという理由で、その作品を焚書するのはおかしいと思っています。
      今社会のオピニオンリーダーが行っているのは焚書ですよね。そんな焚書に張り切っている人たちこそ、多様性とか言いたがるから、なんとかしてほしいなと思ってます。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

      • そうなんです。児玉源太郎さんとは正反対の生き様ですよね(^_^;)私も現実的には児玉源太郎さん派です。

        ちなみに太宰は明治生まれの昭和の作家で『人間失格』も戦後の発表です。
        あっちゃんの動画の『人間失格 分析編』をご覧になられたかわかりませんが、神道への信仰を失って何を信じれば良いかわからなくなった日本人に向けて問題提起している作品だという分析を聞いて、ゆりさんのデラシネの話を思い出しました。
        (リンクがうまく貼れずすみません。)

        私は敗戦後の事しか頭になかったですが、明治維新以降の急激な変化によって、日本人全体がデラシネ状態にずっと苦しんできたのかな…と思いを馳せています。
        正直しんどいですが、生きてるうちにこの150年の総括ができたらいいなと、自分のやるべきことを改めてちゃんとやろうと思いました。

        めちゃめちゃ記事から話題がそれてすみませんでした。
        戦前から世論形成のための芸術利用はありましたが(最近もトリエンナーレとか…)、日本人にとって大切な芸術は芸術として残れるはず!とマッキーや瀧さんの作品も見守っていこうと思います。

        • おはようございます。
          詳しい解説ありがとうございます。
          私はついつい三島由紀夫や司馬遼太郎くらいまで明治の文豪とくくっちゃう癖があるんですが(^^;)、みんな昭和の作家ですよね。
          申し訳無いです(^^;)

          人間失格分析編は見ていないです。早速見てみようと思います。

          明治からの混乱は致し方ない部分はあったと思うし、命かながらでありながらも、ここまでこれた事が凄いとは思うけれども、その代償は大きいし、呪縛が解かれ始めた現在にならなければ見直しすらできなかった状況であったと思います(メディアの力があまりにも強かったので)
          ようやくメディアの力が弱まってきたこの時期を好機に捉えて、150年分の大清算したいですね。

          プロパガンダに彩られた世論工作から放たれて、それぞれ道理で生き直せれる時代になったら良いなと思ってます。

          それではこれからもどうぞ宜しくお願い致します。

  • こんにちは

    人間失格のストーリーの動画とてもおもしろかったです。
    イヤホンで聞いてて声の演技が惹き付けられました。
    内容はPG15とか18でしょうか。

    太宰治は故人というのも大きいのかなと。
    太宰治が共産党に関わってたから教科書に入れたのですかね。
    わかりませんが。

    蟹工船といえば小林多喜二ですかね?

    • こんにちは!
      あっちゃんの動画結構聞き入っちゃいますよね。さすがプロだなと思います。
      教科書に入っていることと共産党であることは関係ないと思いますが、愛国的な話は戦後ではタブーなため、そっちは切られてますよね。

      小林多喜二です!教えてくださりありがとうございました!直しておきます☆

  • たしかに品行方正を条件に入れたら、国語便覧すっごく薄くなりそうですよね。
    ただ有名人に限らず、死んだら帳消しみたいなところはないですか?もう悪く言わないというか。
    死んでも作品が残るなら、その時点で品行方正でなくても教科書に載るというか。

    槇原さんは、どうなるかですよね。

    • こんにちは!
      ですよね。薄くなりそうですよね。
      死んだら帳消しされる人もいれば、死んでなお抹殺され続ける人もいるよなぁと思ってます。
      特に真の愛国者と言える人は、触れられないなぁと思う事が多いです。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

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