※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第五章 アダチル連鎖を断ち切るために
5-3.許せれる自分になることを目標にする
「親のせいで人生がめちゃくちゃになった」と思えば思う程、溢れるのは憎悪ばかりで、穏やかな気持ちはなかなか発露できなくなります。
この本を手にとって読み進めてくれた方は、多かれ少なかれこのような自分の気持ちを解消し、溢れ出す憎悪を止める方法を探しているのだろうと推察しています。
そのため、この目的の最終ゴールとして、「親と再び仲良くする」ことや「親を好きになる」ということを目標に掲げているかもしれません。
今さらお伝えするのも大変恐縮ですが、この目標設定だと多分くじけることになると思います。
なぜなら、この思いは相思相愛の関係を求めているからです。その望みを達成するためには、相手を変えたり、相手を都合良くコントロールしようという気持ちは含まれやすいものでしょう。だから、危険で難しいのです。
また、「親が謝ってさえくれれば、今までの思いは昇華する」と思っている人もいるかもしれませんが、これは被害者意識が抜けきっていないからこそ発露する思いです。自分の正当性を相手に認めさせることで事が解決すると思っている二元論の中に意識が入っていることに気がついてほしいなと思っています。何度もこの本で書かせて頂きましたが、二元論の考えの中では物事は解決せず、対立だけを深めるだけです。
しかも、謝ってくれた所で過ぎ去った時間は取り戻せないので、謝ってもらったら謝ってもらったで、違う不満が発露するようになります。ですから、謝罪など自分の心持ちにおいて本質的には無意味であることにも気がついておいた方が良いです。
私たちがするべきことは、相手を変えることでも、コントロールすることでも、そして二元論を軸とした中で勝利者になることでもありません。
この思想の枠組みから自分自身が抜けることです。
そして、この枠組みから抜けるために一番有効な手段は、「相手を許すこと」です。
私がこの本を通して伝えたかったことは、なぜこのような事が起きているのかを深掘りして考えてもらうことで、親の教育の根幹にあったもの、親の理想の中にあったもの、そして自分の中にある無自覚の思考性に気がついてもらえたらと思っていました。
相手の気持ちやその気持ちが作られる背景が分かることによって、理解が深まり「許す」材料が一つでも増えたらと思って書き連ねてきました。
そもそも日本文化は「ゆるしあう」ことで成り立ってきました。「ゆるしあう」ことで、秩序が保たれ、民度の高い国家を維持してきました。それ故に、他国とは異質の流儀が形成されました。
しかし、戦後の日本は他国の考えに合わせることが正しいとして常識が作られるようになっていきました。それによって個人の主張が強くなっていき「許せない」気持ちを持つことが正当化されていきました。
「許せない」気持ちを持つことを否定はしません。しかし、「許せない」と強く感じている時、人は醜くなります。その自覚は持つべきでしょう。
そして、一番悲しいことは、「許せない」気持ちを持っている人が誰よりも苦しんでいることです。
許されないことをした人よりも、それを憎み、許せない気持ちを抱えている人の方が息苦しい状態の中にいます。
それは、損なことではないでしょうか。
許せないことをした相手よりも自分の方が苦しみ不幸でいるなんて、馬鹿馬鹿しいではありませんか。
「許せない」感情がある限り、私たちには不幸がつきまといます。
だから、二元論の思考を手放す必要があるのです。「正義」と「悪」の二元論の中にはいつも「許せない」がつきまとうからです。
「親のせいで」という思いを手放し、二元論も手放し、正義も悪もないと気がついてようやく、あなたの中にある「許せない」が手放せるようになります。
その時初めて、過去にひきずられていた思いが昇華されます。
その時感じる幸福感はものすごく大きなものです。
この快感を一度体験したら、「許せない」と感じる思いほど無駄なものはないと思うようになるでしょう。
ですから、親のことを好きになることや仲良くなることを目標にするのではなく、今までのことを水に流し許せる自分になることを目標にしてほしいと思っています。
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