昨日、読者様から心屋さんに関するコメントを頂きました。
大事なことなので記事にした方がいいかなと思ったので記事にします。
「いつものことだ」として慣れたらダメだなと思いました。
心屋仁之助さんの仰ってることが人としての道理が欠落した非常に危険な思想であるということは、気がついている人はもうみんな知っていることだと思います。
ですから、昨晩このようなコメントを読者様がお寄せくださった時に、
こんばんわ。
アメブロで黒猫と言う名前でブログを書いているものです。こちらには初めてコメントします。
竹久さんは、今日の心屋仁之助さんのブログの件は知っていますか?心屋の認定講師の方のリブログなんですが、イジメにあって死にたいって言って苦しんでるのが自分の子供だったら死んでも良いよって言ってあげるって話なんですけど…
信じられない思いです。竹久さんならなんて言ってくれるかな?と思って…。
是非考察頂けたらと思ってコメントしました。
正直、「またか」としか思いませんでした。
心屋さんは以前、児童虐待を推奨しているとしか思えない内容をブログに書き、大炎上したこともあります。
「心理学ではなく新興宗教」精神科医が、人気カウンセラー・心屋仁之助氏の「娘叩く母」肯定を斬る
その時ですら、反省の感触は全くなく「俺は俺」を貫くことを決意された上に、そもそも心屋を批判する人の方がおかしいという、本人のメソッドからしても矛盾に満ちあふれることをほざいておられました。
【心屋仁之助】あなたは世間から叩かれるために生まれてきたのでは?
ですから、心屋さんについて何か見聞きしても単純に既視感が強すぎて、本質的なことを見逃すようなコメントで返事してしまいました。
コメントありがとうございます。
今読みました。
なぜ自分にも問題があると思わないのか、甚だ不思議としか言いようがない感覚に教われました。
それしか言いようがないですね。
彼らに何を伝えても、自分には問題がないと思ってるので、子供の不登校の要因に母親の言動があるとは絶対に思わないのでしょう。
問題を目にした時に、自分を不在化させる怖さを知りました。
本当に心屋教は、単に恐怖ですね。それではこれからも宜しくお願いします!
その後、今回の「イジメにあって死にたいって言って苦しんでるのが自分の子供だったら死んでも良いよ」というブログ内容において、一番欠落してはならない視点を読者様が指摘してくださいました。
子供側の気持ちを忘れてしまう大人の恐ろしさ
原文そのまま貼らせて頂きます。
横入りすみません。
見過ごす事が出来なくて、
黒猫さんのコメント 読ませて頂きました。
気になって心屋さんのブログを読みに行きました。
死にたいって言ってる子供に死んでもいい発言、これを実際に うちにいる20歳の娘に聞いてみました。
もし 貴女が死にたいって言って、
私が 死んでもいいよって言ったら
貴女はどう思う?と。
すると 娘は そんなんありえないわ、って。
SOSに決まってるじゃないって、
死にたいって言葉は 自分が必要とされているか
愛されているかどうかの裏返しなんだよ
それを確かめてるんだよって言いました。
だから 死んでもいいなんて言ったら絶対にダメです。
ましてや母親なら なおさら。
娘が言いました、
今まで育ててきた親なら そんな事は言えないはず
って。私は口が裂けてもそんな酷い言葉
死んでも言えないです。
もし 友人が相談してきても同じ、
だって 愛情が無い。
死にたきゃ死ねば?と言ってるようなもの。
見捨てた発言ですよ。
それでカウンセラー?
ありえません、信じられない。
心屋さんのメソッドにはまればはまるほど、自分の視点しか見えなくなっていき、愛する我が子のSOSや心持ちは全く見えなくなっていきます。
それはとても人として悲しいことで、同じ日本に住み、同じように生きながら、このような事をしてしまう親、そして傷つけられた子供の心の事を考えると本当に悲しくなります。
今、私はアダルトチルドレンについて注視した本を書いていて、どうしたら日本からアダルトチルドレンが消滅できるのか、小さな頭で一生懸命考えて書いているのですが、心屋さんのようなメソッドを世の中が肯定している限り、この国の苦しみはもっとひどく大きくなってしまうのだろうと改めて気がつかされ、それもとても悲しく思いました。
他の方のコメントでもありましたが、心屋さんは単純にオウム返しによるポピュリズム形成をすることしか考えていません。
心屋仁之助はじめ、あの界隈って、単に相手の言ってることを肯定し、言って欲しい(と思われる)ことを言ってるだけなんじゃないですかね。だから薄っぺらいんですよ。
「つらい」と言えば「つらいのを我慢しなくていい」
「子供を叩いてしまった」と言えば「子供を叩いても良い」そんな表面しか見てないから「死にたい」と言っていれば「死んでも良い」になっちゃうんですよ。
自分に痛みは無いですからね。コンサルにしろカウンセラーにしろ、相手を肯定しつつも相手とは違う視点から、アドバイスを与え、視点を広げてあげるのが最低限の役割です。
相手の言って欲しいことを言ってあげて問題解決したつもりになってるならバカでもできます。
(だからまともな訓練もせず、金払えば認定講師とか認定カウンセラーとか名乗れちゃうのかもしれませんが)
そのカウンセリングは、自己肯定だけを植え付けるので、他者が介在して社会が成り立っているということを忘れさせていきます。
自分にも問題があると思う・思わない以前に、他者との関係の中で社会が成り立っているという視点が心や信者の中には完全に欠けています。視点が自分の内側にしかなく、彼ら彼女らの世界が自分だけなので自分以外の人たちを傷つけても問題ないというようなことができるのだと思います(恐らくは、そういう自覚すら無いです)。
最近の心屋仁之助自身の、都合の悪い人間をブロックしまくりという行動が如実にそれを現してますよね。
ですから、我が子の苦しみすら、自分のことのように思うことができない悲しい親たちが生まれてしまいます。
自業自得は、引き寄せの法則の一つですよ
きっと今回の事も、話題になればなるほど、心屋さんは批判に噛みつくのでしょう。
いつも思うのですが、引き寄せの大好きな人は、どうして負の引き寄せの一面は見ようとしないのでしょうか……。
心屋さん界隈やレリゴーブス的なスピリチュアルな人々は、やたらと引き寄せが好きです。
願えば何でも叶うとかいう、小学生の子供だってその矛盾に気がつくような魔法の法則にほだされて生きています。
そんな訳ないだろって、世の中の人たちは誰でも気がつくものですが、
「他者が介在して社会ができている」という根本論を失ってしまった彼らは、そもそもその当たり前の事が理解できなくなっています。
そして、現実的には甚だ矛盾のある願いもポジティブに捉えれば全て上手くいくと思い込んでいるので、上手くいかない時の対処の方法が分からなくなり、毎度パニックに陥ります。
【引き寄せ】「出したものが返ってくる」本質が分からずにいる人たち
そして、自分を否定してきた存在を存在ごと消すことに没頭し、そして自分の理想とする世界造りに舞い戻っていきます。
引き寄せの法則が、出したものが返ってくるだけのしくみで動いていることが理解できたのなら、どんなことも「自業自得」の一言で終わるだけのことですが、
自業自得
みずから行なった善悪の行為によって,本人自身がその報いを受けること。よい行為によってよい結果がその本人に生じ,悪い行為によって悪い結果がその本人に生じること。転じて,自分のしでかしたことだから悪い報いを得てもやむをえないということ。
この世は自分にとって都合の良いことしか起こらない!と思い込んでしまっている人たちは、道理によって発生した自業自得の産物には目もくれず、それを全て無かったことにして、狂喜乱舞を繰り返していきます。
彼らは気がつくことはないでしょうが、彼らのメソッドはどのようになってこのようなおかしなことになってるのか、真っ当な理解ができる方々はきちんと理解して対応をしてほしいなと願ってます。
心屋は、サイコパスな宗教です。
今回の件でまた他の読者様からこんなコメントを頂きました。
黒猫さんのコメント読んで、心屋さんはカウンセラーやめた方がいいと思うくらいあきれてますが、今日たまたま
双極性障害(躁うつ病)を見つけて
「アイデアがどんどん沸く、夜寝なくても平気、お金の使い方が荒い、自分の意見が一番」て教祖様そのままでは…と思った次第です。
何でも病気とは言いませんが、こんな状態の人たちが集まったらどうなるか。
自分がその仲間になろうとしてたなんて!怖いなーと思いました。
本当にその通りの病気の症状を発症されていると私も思います。
というか、心屋教はそもそもサイコパス宗教です。
決して、私が言い出したことではありません。
本人談です。
【本人談】心屋は、魂の波動が低くてサイコパスで楽しく生きることしか知らないバカっぽい宗教。
ですから、彼らの間違いを指摘しても時既に遅しなのだとは思うので、素人が間違いを指摘して直そうとするのではなく、
単純な事実である「サイコパス」であり「双極性障害(躁うつ病)」である事実を多くの人が知っておく必要性があるかなと思います。
とりあえず、心屋さんはおかしなことが当たり前だと思うようになりすぎて、既視感ばかりでなんとも思わなくなっていくのも怖いなと思いました。
心屋さんの信者の多くは主婦です。
一番の被害者は子供たちです。
それを我々真っ当な大人はきちんと理解して対応差し上げるべきだなと改めて思わされました。
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こんにちは。
>とりあえず、心屋さんはおかしなことが当たり前だと思うようになりすぎて、既視感ばかりでなんとも思わなくなっていくのも怖いなと思いました。
この一文にハッとしました。
偽スピ教祖たちとその信者の様子を遠いところから見ている分には、ある種のエンタメを見ているような感覚でした。(マダムユキさんのブログの最新記事にも通じる感覚のような気がします。)
けれど、信者の周囲の人たち(家族や友人等)は現在進行形で傷ついていたり心を痛めている。
その事実に気づき、悲しいやら情けない気持ちになりました。
偽スピの問題って自分が思っている以上に深くて厄介な問題なのだと今さら認識しました。
こんにちは!コメントありがとうございます。
本当にそうなんですよ。
私もコメントをくださったモナさんの言葉で、「ハッ」とさせられたのです。
特に子供が関わる問題を多分に秘めている心屋さんや子宮、Happyの問題には、その傍で泣いている子供たちのことも考えて行動したいと思いました。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
陰ながら応援してます。と言いつつまた出てきてしまいました…(^_^;)
以前、アメブロの方にコメントさせて頂いた やま というものです。
お世話になっております。
学生の頃、私はいじめられたことがあります。
死にたいと思ったことも多々ありました。
いじめられていた時に親にヘルプは出しましたが、死にたいという思いは言いませんでした。
その気持ちも伝わっていたかもしれませんが、親に直接「死にたい」と伝えるのは本当に最後のヘルプだと思います。
それぐらい親に「死にたい」と伝えることは勇気が必要だと思います。
それなのに「死ねばいい」って…
当時の私がそんなこと言われたら、多分死んでるか本格的に病んだと思います。
なんだか悔しくて泣いてしまいました。
そんな私も今は母親です。
子どもはまだ幼児なので実際に言われたことはありませんし、もし死にたいと言われた時、どう返答するかは分かりません。
それでも、私はそんな返答は絶対しませんし、したくありません。
コメントするのが苦手でかなり迷ったのですが、こういう思いをした人もいるんだよ!ということでコメントさせて頂きました。
長文乱文、失礼致しました。
いつもお読みくださりありがとうございます。
素直に自分の気持ちを伝えてくださりありがとうございます。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは。
今日も素敵な記事をありがとうございます。
昨日のコメントも拝読させていただいて、そうか、自分が心屋にハマっていた時は完全に自分が楽になりたい一心で、相手の立場に立って物事を考える思いやりの精神が完全に欠落していたんだなぁと痛感しました。
というか、未だに視点が自分の時が多々あり。本当に気をつけます。気がつけて良かったです。
自分のこと肯定してほしくて、自分のこと大切にしてほしくて、、、って何でもかんでも自分自分自分!!!そこに「そのままでいいんだよ。」って自分がもっとも言って欲しかった魔法の言葉をかけてくれる教祖様が現れたら後は何も考えず、問題の根っこを解決させないでズブズブと自分を肯定してくれるその人に付いて行くだけ。あー、、、いい大人が痛い痛い。デラシネ。デラ死ぬ。爆
ただ、ひとつだけ自己弁護させて下さいm(._.)m
心屋にハマる人は主婦が多いと仰っていますが、当方兼業主婦でして、仕事をして子育てをしているとやはり余裕がなくなります。何より疲れる。実家や夫の実家も遠いため両親の助けもあまり受けられず、、、となると、ぶっちゃけおかしくもなります(-.-;)藁にも縋りたい気持ちで縋る藁を間違えました。笑
そんな感じで心屋の言葉は現実逃避にはうってつけでした。
ですが現実に戻るきっかけを作って下さり、竹久さんには本当に感謝しております。
仕事と子育ての両立も、とにかく逃げ出したくて仕方なくて、自分の視点しか持ち合わせていなかったあの時はデラ死にたいくらい毎日辛かったのですが、今を生き、自然の一部であることを意識しながら取り組んでいる最近は、なんだか同じことやってても不思議と満たされる感覚と、感謝したいことが増えました。仕事においても子育てにおいても。
まだまだ実践勉強中ですがこれからもお世話になりますm(__)mいつもありがとうございます。
正直な気持ちをお寄せくださりありがとうございます。
この言葉響きました。
「心屋の言葉は現実逃避にはうってつけ」
アメブロの方のこの記事のコメント欄で私がキレッキレの返事をしたことで、炎上しちゃってるのですが(笑)、その方たちのフワフワした言葉を見ていると、まさにこういうことなんだなと思いました。
そのフワフワデラシネっすということには、どうやら彼女たちは気がつきたくなくて、とにかく自分たちを肯定してほしいという欲求がこれでもかというほど伝わってきて、いい経験したなぁと思ってます。
べらぼうにキレてみて、学ぶことってありますね☆
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは。
SOSに関して心当たりがありましたのでコメント致します。
主観が入りますので、不適切であれば削除ください。
私は子供時代に人をいじめたことがあります。そして中学時代は思春期という多感な時期にかなりきついいじめを受けていました。毎日泣いていました。当時母は「そんなにつらいなら無理して学校に行かなくてもいいよ」と言ってくれました。でも私は「1日でも休んだら二度と学校にいけなくなる」と言い切り通い続けます。母は「わかった。じゃぁがんばりなさい」と言いながら見守ります。
そして気付いたことは、いじめが始まった原因が私の”子供時代からの怠慢な態度”から始まっていたこと。
因果応報,自業自得です。(もちろんいじめはいけません。)
なので、私は私をいじめていたクラスカーストのメインの人達に謝りのお手紙を渡したのです。
読んでくれただけでも奇跡でしたが、それから彼らからも謝ってくれて逆に今でも付き合いのある友人の数人です。(現代はいろんないじめがあるのでこれが正解ではありませんが)
しかし、それがきっかけで今度は相手の顔色を伺いいつも自分が悪いのかもしれないというネガティブ思想が始まりました。それで高校時代は別件で苦しむことになり「死にたい」と思うようになります。
けれど、親にもそれは言えなかったのです。
なぜなら中学時代に理解しようと一緒に苦しんでくれた親を悲しませると思ったからです。
大切な人を、大切な物事をさらに傷つけてしまうという葛藤がさらに「死にたい」と「現実から逃げたい」と思わせるのです。けど、誰にも言えないのです。
また高校時代は周りにも自傷行為をする人もおり、今ほどメンタルヘルスに焦点があてられることもなくネットなどの逃げ場もありませんでした。
そこで気付いたのは「死にたい」と言っているのは何よりも、「生きていたい」ということです。
言葉に出せるということは、勇気がいるし、SOSを出せる相手がいるということです。
そこに至るまでの背景を聞いて考察して、そこからじゃぁどうしようかとなるのが、カウンセラーの方なら当然理解していることだと思うから、そこに助けを求めて行くはずなんです。聞いてほしいからカウンセラーって存在するんじゃないんですかね?
1人1人に背景があり、それぞれに選択肢があるのに、「●●だから大丈夫」「それでいい」と言ってまとめてしまうのはいかがなものかと思います。苦しんでいる人は「それでいい」の理由を知りたいのです。
私はゆりこさんのエゴのブログを読むことで、子供時代が「怠慢で強欲なエゴ」高校時代は「被害者意識のエゴ」だったというのを理解できました。
本当に感謝しています。ありがとうございます。(毎度長文ですいません)
コメントありがとうございます。
私のブログを読んで、yukikoさんの今までのことを振り返り、どんなエゴに自分が振り回されていたかに気がついたと教えてくださり、素直に嬉しく思います
自分を客観的に考察するのって本当に難しいことですよね。そのお手伝いをされるのがカウンセラーの役目だと私は思います。
ですから、私も「●●だから大丈夫」「それでいい」と言ってまとめてしまうのはいかがなものかと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんにちは。
ありがとうございます。
人間、弱っているから藁でも掴んで縋る完全に貧困ビジネス!だと、思います。
感じるのが大事ですが、冷静さを失えば判断をどんどん間違えて、負のスパイラルに嵌って動けなくなります。こんなはずじゃ無かったのに!って。
日本も便利で、大抵思い通りに行く事ができます。想定外が、稀で思い通りに行く事が当たり前と思いがちです。実際は、反対です。人類の中で、自分中心に世界は周っていない事に、既にあらゆる神様を信仰していなくても先人さん達に下さいは、気付いて戒めています。ブログを拝見する度に、自分に戻るきっかけを頂戴しています。ありがとうございます。
熱狂的な信仰、救われたい気持ちわかります。
ただ、人生の舵は、他人に任せてはいけないと思います。アドバイスにしても、材料に過ぎません。
自分が、自分の最高責任者で、自分の人生を自分で生きる覚悟を私達、近年特に忘れがちなんだと思います。孤高に生きる訳では無く、和合の精神も大事ですが、他人に生き死に任せてはいけません!
切羽詰まるとどうしても視野が狭くなります。
二者択一になったら、もう少し幅をもてる人間関係が築き辛いから、奇跡の問題放り投げの簡単な言葉が心に響いて逃げて行くと自分でも思います。
今が、全ての奇跡です。
どうか、お互いを真に尊重できるならば、恥ずかしい発言も行為も減るはずだと思います。
心を神様を語るならば、敬意を忘れず、品格ある、心が整わない方々がきちんと整えられる場を大切に、発言は、丁寧に温かく、迎える場をスピリチュアル系、神様代表と自らを名乗られるならば、是非、実践されて欲しいです。
今、生きているから、感じられます。魂は、永遠であっても、今生きているのが何故か考える魂の導きを語って欲しいです。
命を大事にせめてして、欲しい。
生きるって、かなり奇跡ですから。
負けずに大事な命を繋いで欲しいです。
私は、応援しています。
いつも、痛い人達に冷静に俯瞰できるお話ありがとうございます。
こちらこそ、素敵なコメントありがとうございます。
本当に全部同意です。
ここが分かれば、発狂する必要も、私の気持ちも分かってよと人に要求する行動もないことに気がつくのですがね。
気がついてくれるといいのですが、どうでしょうかね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
Yurikoさんは霊感とかありますか? 実は、Yurikoさんのブログで上がってる教祖さまのひとりにかなり前から遠隔透視されてるような気がします。 私もそんなに良い波動ではないので共鳴したのかなと。
低波動の信者(私)のせいで、教祖さまの波動や言動がおかしくなったのなら責任を感じます。
コメントはYurikoさんが承認しないと公開されない設定だと、コメント欄に詳しく書けるんですけど。
コメント欄に詳しく書いても大丈夫ですか?
残念ながら霊感はありません。
ただし、波動感知能力はずば抜けて高いです。
私のことは遠隔透視できないはずなので、その方の妄想だと思います。
ですので、これ以上の情報は結構です。
お気遣い頂きまして、ありがとうございました。
yuriko様
こんにちは。
私は家族を自死で亡くしており、なんとも言えない心持でしばらく過ごしておりました。
心無屋さん、本日12/2も「死んでもいいよ」関連の記事を書かれていてびっくりしました。
本当に自死するときって「死にたい」ではなくて、
「生きていたくない」の方に気持ちが行ってしまうような気がします。
そんな心が弱った状態の時に、万が一「死んでもいい」などというメッセージが目に入ってきたら、
多分、実行に踏み切ってしまうと思います。
もちろん、そんな時は「死のうと思う・死にたい」など、絶対口外しません。
もしどこかの誰かが実行してしまったとしても、心無屋さんは「知らんがな」で終了だと推測しますが。
ご自身の身内でも「死んでもいいよ」といえるのかしら?
心無屋巧言令色鮮し仁之助さんに、自業自得ブーメランが還った時が楽しみです。
yuriko様のブログを見て、一人でも多くの方が気付かれますように。
長々と失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
心屋さん界隈は、本当に視野の狭さが見てて辛いです。
その視野の狭さが、様々なトラブルの要因になっていることにも気がつかず、「誰も私のこをなど分かってくれない」と悲観し、そして「君はそのままでいい」などという甘い囁きに乗っかっているだけだということにも気がつけません。
憂慮が批判と思われることはいつものことですが、これが身内であったらと……頭悩ませる瞬間はいつもあります。
身内の死というのはとても辛いものです。
しかも、今回のきっかけは母親と娘の関係の中で起きた一言です。
その一言の重さに世の中が憂慮していることに彼らが気がつくのはいつの日のことになるのでしょうかね。
自己肯定だけをする恐ろしさに、そろそろ気がついてくれても良さそうな頃合いだと私は思っています。
竹久さま
まず、ごめんなさい。
竹久さまのブログは、ときどき拝見しておりました。論理的な考察と、冷静な(あるいは、冷徹な)文調に、なぜだか勝手に「男性」だと思い込んでいました。しかし、今日、タイトル下のお名前を見て「女性」ということを知り、びっくりしました。
だからといって、「男性がどうの、女性がどうの」といったことを言いたいわけではございません。単純に、びっくりしました。勝手な誤解をしており、まずは、ごめんなさい。
さて、心屋氏に対する(または、それ界隈に対する)竹久さまの指摘、「うんうん」とうなづくばかりです。
もちろん、それには最大限の配慮と、すべての読者に対する愛情は必要ではないかとは思いますが、それでも、「ノーと思うものには、ノーと言ったほうがいい」「言うべきものは言ったほうがいい」のではないかと感じております。
ただ、私個人的には、心屋氏と過去に少なからずの関係があったこと、友人を心屋氏に紹介してしまった経緯があることから、その後のことを考えますと、なかなか「言うべきものは言う」まで至っておりません(情けない)。
しかし、彼(ら)には多くの問題点があると感じており、何らかの形で、「なんとかしなければ・・・」とは、思っております。
心屋氏をかばうわけではありませんが、かつては紳士的で、分別のわかる、とてもいい人でした。ひょっとしたら、今も直接会えばいい人なのかもしれません。
けれども、かつて師と仰いだ人を罵倒したり、事実ではないことを、まるでそうであるかのように言ってしまったり、周囲の人のことを考えず、目の前の人が(一瞬だけ)癒やされる(ような気になる)言葉をブログに書いたり、後先考えない傲慢な物言いは、「さすがにどうよ」という印象です。今の彼とは、知人でいたいとは思いません。
いつの日か、彼は変わってしまいました。
心屋氏が、どのような言動をしても「勝手にどうぞ」です。でも、それに影響される人が少しでも減ればいいな。何もできないのが歯がゆいですが、いつの日か、私も……。今は、陰ながら応援しております。
コメントありがとうございます。
私は男性っぽい文章を書こうとは思っていないのですが、文章が男性っぽいということは常に言われていて、だから最初は男性だと思ってたという読者様は結構多いです(笑)
多分そう思われるのは、二十代の前半から三十代の半ばまでの社会人時代、企画書、調査報告書、概要書などの個人の感情を入れてはいけない文章を書き続けていたからなのかな?と自分で分析しております。
そのおかげで、男性の読者様も多いのかなと思っております。
また以前書いた記事(http://takehisayuriko.tokyo/2018/10/03/post-3094/)で、男女差別というものを感じた事が一度も無いと伝えたことがあるのですが、それも社会人時代、感情を入れ込まない文章を書く技術が必要な立場に置かれたからかなと思ってます。
ブログを書いていると色々気がつかせて頂けることがあって、ありがたいなと思っています。
心屋氏をかばうわけではありませんが、かつては紳士的で、分別のわかる、とてもいい人でした。
私はお会いしたことはありませんが、なんとなくそれは分かります。
私はテレビで数回心屋さんを拝見しただけですが、特別嫌な印象は受けず、同じように紳士的な印象を受けました。
やっぱり、気をつけなくてはならないことは、「地獄への道は善意で敷き詰められている」ことだろうと思います。
善意で頑張ってるうちに、いつの間にか自分を見失うのだと思います。
特に精神世界は、その傾向が強いです。
私も何度も、途中からおかしくなってしまう人と見てきました。
いつ自分がそうなるか分からないという思いは、今も、いつも、抱えています。
ですから、とにかく現実世界をとことん注視するようにしています。
知人の変化は結構こたえますよね。。。。
お察し致します。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
昨日今日とゆりさんのリングの上の闘いを、少しだけドキドキしながら見守らせていただきました。(なんだか上から目線だったらすみません。でもリングにイナズマ走りましたね(古))
私は心理学部卒なんですが数年前まで定期的にカウンセリングのトレーニングを受けつつ、カウンセラーとしても時々仕事をしておりました。また、20代前半に父の自殺を必死で止めようとしていた数年間があったことを、熱覚めシートさんのコメントを拝見して急にリアルに思い出しました。
私は、父に「そんなに死にたいなら死んでもいいよ」と言ったことがあります。当時長野県で働いていた私の職場に父が突然現れて、山の中で死のうと思ったけど最後に顔を見に来た、などと言うので、仕事を早退して父と何時間もかけて話をした後でのことです。これ以上自分にできることはなく、もうどうしたらいいかわからない…、それでも父が死ぬと言うなら本人の意思だから仕方がないのだろうか…と、父を失うことを覚悟して放った一言でした。父の、本当は死にたくないという気持ちも受け止めたし、それでも死ぬと言うなら結果も私が受け止めるしかないと思ったのです。(それが正しかったのかは今でもわかりませんが、お陰様で父は健在です。)
そんな一個人の立場で感じることですが、心屋さんとお弟子さんやファンの方は「そのままでいい」「死んでもいい」などの言葉を軽々しく扱いすぎていて恐いです。クライアントさんのことも、一人ひとりを見ていないでしょうし、放った言葉の結果を自分事として受け止める気もないのでしょう…
カウンセリングの現場で「死にたい」と言われるシチュエーションや背景も、ひとつとして同じものはありません。沈黙が、相手の一番心に寄り添う行為であるときもあるんです。
ホントに、心屋さんの言葉はホステスさんの勧めるお酒だと別記事でコメントなさった方、言い得て妙ですね。ホステスさんだってたいへんなお仕事(私には絶対つとまりません)だと思っていますが、現状を鑑みると心理カウンセラーを名乗らないでほしいなと思います。
自分のことを長々と、しかも脱線しまくりですみませんでした!全然読まれないけど自分のブログでも書いていくべきですよね。最後になりましたがゆりさんのいなし方はいつも通りお見事、とうならされました。
リングにイナズマ(笑)世代がバレる~キン肉マン~(笑)
温かく見守ってくださりありがとうございます。
仰る通りで、彼らのしていることが全て似て非なるものと私が感じるのはそこなんです。
相手ときちんと向き合っているのか、言葉の重みをどこまで感じているのか、適当な言い回しで自己保身を繰り返しているからこそ、周囲の怒りを買っているのだと思います。
今でこそ沢山読まれてますが、私のブログ歴もう7年ですよ。そしてその歴史のほとんどの時間は誰にも読まれてませんでしたよ(笑)
でも、誰かに読んでもらうと言うよりも、自己確認のために続けるツールとしてブログって本当にいいものだなって思うので、自分の為に書き続けてください。
それではこれからも宜しくお願い致します。
私、心○関係のコメント、全く違ったところに書いてしまってたみたいですみませんでした。親がはまってる、スピリチュアルやカウンセリングでお子さん達が苦境に立たされる。ゆりこさん達のようなブログがあって、その実態を知らせて頂けるのはありがたいです。私は子供自体を見えない世界とのチャネリングに使っている方のブログを知りました。神社や霊山のような所に一緒に行ってはチャネリングをお子さんがしてます。その子、龍使いだそうです。そのような行為が無知でも怖いって思うんですが。パワースポット、神社での間違った祈り、龍…いつからこんなに巷に溢れるようになったんでしょう。
それ滅茶苦茶怖いですね。
神様は小学生の本を出したあの子のことを彷彿させる気味悪さがあります。
まぁそういう時代だったと言うしかないのでしょうが、気がついた人から気合い入れて立て直すしかないと思ってます。
それではこれからも宜しくお願い致します。
そうなんです、怖いですよね。龍だけでなくオオカミも…だそう。死者とも会話とか、その男の子と母親とクライアントさんとで神社に行ってチャネリングツアーとかもされてました。その母親はよく体調を壊してるようで、私は男の子は元気かなぁと様子伺いでブログを覗いてます。心○とかみつろうさんとかのようなお金儲け的でなく、ゆりこさんのおっしゃる(夢見)のような方かと。
アメブロの方は拝見してませんが、噛み付いて来られた方がいたようですね^_^;お疲れ様でした。
夢見で始まっても金が入れば次第にエゴの肥大化が止められずモンスター化しますからね。
時間の問題だろうなって思います。
お心遣いありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。
どーも。暇人です。
このブログが、暇人による他人の粗探しブログということはわかったよ!
暇じゃないですがwwwww私wwwwww
このコメント一つであなたが情弱すぎる暇人だということはよく分かりましたwwwwwww
竹久様
初めまして。
いろいろ検索してこちらのブログにたどり着きました。
スピリチュアルを否定してる訳ではありませんが、疑問を感じることが多々あります。
そして、1番不思議に思う事は、それを盲目的に信じてしまってる人が沢山(多くが主婦)いるということ。
信じる信じないは個人の自由なので否定しませんが。。。
検索したのは、医師の内海聡さん、日本母親連盟、医師の松久正さん、心屋仁之助さん。
子育てをしてると、沢山悩むし、誰かにすがりたくなるのも分かります。
娘さんを叩くことによる罪悪感を持つことも分かります。
(そうして、「自分は人間として親としてダメなんだ」と責める気持ちも分かります。)
叩くことを認めるのではなく、その母親の心のケアをすること、カッとして娘さんを叩きそうになったらその場を離れるようにするとか、具体的なアドバイスをする事の方がずっと大事だと私は考えます。
竹久様のようにしっかりと分析をし、情報を発信する事で、気づく方が増える事を願ってやみません。
応援しています。
はじめまして。応援してくださり、ありがとうございます。
現代人は、無自覚の中で二元論と革命思想が息づいていてるので、「何かおかしい」と思った途端、その対象となるものを全て否定してしまう言動にかられてしまう人が多いです。そして、その否定によって、ますますこじれた問題が生まれているように思います。
多くの人が二元論という枠組みの中に閉じ込められているから、あるがままに物事が見れなくなっていることに気がついてもらえたら、日本はもっと楽しくなるはずと思っています。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。