【混乱の要因】何でも間を取ろうとすると陥るドツボ

↓先ほど書いた記事↓の補足です。

【根本が見えなくなる】クーデターは民主主義じゃないからwwwww

 

 

全てを和で捉えると陥るドツボ

情報社会や国際社会の上で、日本人が最も気をつけなくてはならないのは、和を重んじる心です。

全ての人と分かり合おうとする和の心は本当に素晴らしいものですが、そんな民族性を持ち合わせているのは地球で日本くらいのものです。

日本人は他の国の人もついうっかり自分たちのような穏やかな民族性を持ち合わせていると考えてしまいがちですが、そういう民族性を持ち合わせた上で先進国入りできたことの方が世界的に見れば奇跡であり、逆に言えば「とんでもない民族」なのです(笑)

日本人のお人好しさは時に仇になり、武器でもあります。

結果、国際的にはこのお人好しさは功を奏すこととなり、明治維新の開国後150年間の時を経て、敗戦国であり続けながらも国際社会を引っ張っていけるブランド力を獲得しています。

世界の国々から、日本は信頼できる国、嘘をつかない国、正直な国という評価を頂いているのも、日本人の和を重んじるお人よしさあってのことでしょう。

また、他国がお得意のプロパガンダの流布や情報戦略にはめっぽう弱い日本人ですが、日本のアニメやゲームが世界的に人気を博してしまった結果、国家的なプロパガンダ活動は全然していないのにも関わらず、他国が羨む程のもの凄い数の親日外国人を誕生させてしまいました。

大局で見れば、ついつい和を重んじてしまう日本人のお人好しさは、善い結果を生んでいます。

ただ、気をつけなくてはならないのは、国内の問題です。

現在の日本は、少数の人々の意見の声も聞き入れようとし続けた結果、どうしようもなく無責任な振る舞いをする人たちに国の中枢に入り込まれ、不利益極まりないことを強いられる環境を作り上げています。

どうしてこうなってしまったかと言えば、「全てを和」で捉えてしまったからだと私は考えます。

物事の中には、和で捉えるべきことと和で捉えたら駄目なことがあるのですが、何でも分かり合おうとしてしまった結果、様々なことに矛盾が生まれてしまって、ルールも滅茶苦茶になってきているんですね。

結局これが私たちの日常を最も苦しめていることでもあるんです。

なので、この記事では、折り合いをつけるべきこととそうでないことをお伝えしたいなって思います。

 

絶対に歩み寄れないイデオロギーとは……

イデオロギーというと、一般的には政治思想を指します。細かく言えば正義思想の中での右左のどちらに属するかなどを定義する時に使われます。

右左どちらの意見にも耳を傾けることはとても大切なことなのですが、こと日本国内においては、このイデオロギーというものに気をつけなくてはなりません。

なぜなら、先ほどの記事でも指摘しましたが、日本の野党やメディアの主張は、右左というイデオロギーを飛び越えて、単なる人治主義の主張だからです

【根本が見えなくなる】クーデターは民主主義じゃないからwwwww

つまり土俵が違うんです。

次元が違う話を右左というイデオロギーの中でしているんですよ。

もう国内政治における会話は右左ではなくなっています。

単に民主主義と人治主義の言い争いみたいなものになっています。

こういう中でお得意の「和」を我々民主主義者が発揮してしまうと、発揮してしまった側が怪我をします。

なぜなら、人治を少しでも受け入れた瞬間から法治(民主主義)は崩壊するからです。

たとえば、人治主義的な野党の言い分を受け入れて半分歩み寄ったとしましょう。つまり、民主主義と人治主義の間を取るということですね。

すると定義上は、半分は法のルールにのっとって、半分は感情任せってことになりますね(笑)

このルールの上でも人治は成立できますが、法治は完全に崩壊することになります。

だって法治というのは、ルールを守ってこそ意味があるんです。それを時によって守っても良いし守らなくてもいいってなったら、それは既に民主主義じゃないんですよ。

オール人治主義なんですよね。

だから、彼らに「和」を発揮しちゃいけないんです。「和せず、同せず」でなければなりません。

人治主義と民主主義は次元の違う考え方で、人治で行うと不幸が多いから、よりましな統治方法として民主主義があるのです。

民主主義は完璧でもないし、穴も沢山ある主義ではありますが、人治主義と比べたら億万倍ましな統治方法なんです。

以前有事シリーズで半島メンタルの主張は一ミリたりとも受け入れてはいけないって言っていたのはこういうことでもあるんですね。

【いざ実践!】情報戦で日本国民が勝つ方法⑦

ほんの少しその要求を受け入れた時点で、次元低下するほどの変化が起きてしまうのです。

だから和を発揮してはいけないんです。

そもそも彼らの主張は左なイデオロギーではなく、人治主義という別次元のイデオロギーであることを心得ましょう。

 

男女平等にすればするほど世の中はおかしくなる。

後もう一つ伝えておきたいことが男女のこと。ジェンダー問題。

 

最近の野党はジェンダー問題に躍起ですよね。

LGBTだの性的マイノリティを利権化するために奔走したり、男女平等と言いながらフェミニズムのごり押しを繰り返したりと……。

見ているこちらが辟易するような矛盾を繰り返しています。

先に言っておきますが、野党の人々がこの問題に積極的なのは、心底ここに問題を感じているからではありません。

単なるビジネスです。

隙間産業的に様々な分野のマイノリティを対象に、新たな被害者ビジネスの利権化を図っているだけなんですね。

彼らはビジネスのために、特別不平等など感じていなかった私たちの日常に不平等を植え付け差別を感じさせます。

つまり、問題は彼ら自身が作っているんですね。

↓関連記事↓

【ご立腹!】ジェンダーフリー推進者の間違った主張

【ご立腹②】フェミニズムに告ぐ!戦争で一番死んだのって誰?

 

男女平等言うけれど、元々性機能も役目も興味も違うのが男女です。

これこそ日本の古くからの言葉「和して、同せず」の言葉まんまに、互いの違いを認めって仲良く暮らすことが大事です。

しかし、人知主義で単なる利権ビジネスがしたいだけの野党の人々(主に社民出身者と共産党)は、男女の同一化こそが平等だという絶対に実現不可能な理想を追求することで様々な場所にトラブルを引き起こし、そのトラブルをビジネスの糧としています。

人治主義と民主主義の間をとってみたように、男女の間をとってみましょうか。

男女の間を取るということは、一人の人が半分男で半分女って言うのが理想ってことになりますよね。

つまりはジェンダーレスってことです。

男と女しかいないこの世で、男でも女でもないという事を創り出そうとしているのが、男女平等です。

本来ある性の違いに存在する互いの良さすら彼らは消そうとしています。

私たちはどんなにあがいでも、男か女かに生まれてきます。

そこを平等化する必要はないんです。どこまで言っても男女の興味は違います。求めるものも違います。

追及すればするほど、互いの違いが浮き彫りとなり問題が大きくなって気が付くと「和せず、同せず」の気持ちを作り上げてしまうはずです。

平等なんて言葉は必要なくて、ただただ互いを尊重するだけで良いのです。

平等になろうとする方法を考えるのではなく、どうやったらみんなが仲良くできるかだけで充分です。

 

日本ではついうっかり彼らのような自己利益しか考えない人治主義者が政治の世界に沢山いることによって、問題にする必要のない問題を社会問題化させていたり、彼らの言い分をついつい聞き入れることによって、民主主義が知らず知らずのうちに崩壊させられています。

だから彼らとは「和せず、同せず」が必要なんです。

 

誰とでも仲良くすることはもちろん良いことですが、

時には「和せず、同せず」が必要であることを見極める癖をつけていきましょう。

今が正念場です。

 

今日のリンク集

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6 件のコメント

  • 今の日本の混乱をこうしてわかりやすく解説して頂き、本当にスッキリします!
    そして理解して、迷わず日本を好きでいられます。
    いつもありがとうございます!

    海外の人がこんなに好きになってくれる独特な日本を、日本に生まれた人々がアメリカや諸外国に憧れるばかりでなく、日本人であることを卑下することなく、愛国心を持って日本を大好きでいられたら、みんなもっと幸せになれるんだろうなぁと思います。
    テレビの影響かと思いますが、今の日本人は日本人なんて、日本なんて、、、と卑下してしまっている人が多くて、でも本当の深層心理では日本が好きで自分の故郷が大好きなはずだと思います。
    海外へ旅行をしたときに、海外の文化も景色も素敵でそれぞれいいなぁと思いましたが、一番羨ましいと思ったのはみんな愛国心を持っていてその国に生まれて暮らしていることを誇りにしていることです。
    私もそんな愛国心を持った日本人でいたいと切に思います。

    それと、男女平等の問題も全く同意です!
    そもそも生まれつきの脳の構造が違うし、体格も違うのに、あらゆることを男女平等にするのは不自然過ぎますよね。
    私が個人的に問題と感じているのは、保育士さんの男女平等雇用を訴える問題です。
    オムツを替えたりトイレへ連れて行ったりする保育士さんを男性である必要は全くないんじゃないかと思います。
    それを言うと今の世の中では女尊男卑だとか批判されますが、現に幼い子供への性犯罪が親の知らないところで起きていて、自分の口で何があったか言えない子供に対する事件で、表沙汰になっているのは氷山の一角だと思います。
    男性の脳は個人差はあっても、女性より性的衝動が強くできています。
    性犯罪にならなくても、親としては父親以外の男性にトイレのお世話をしてもらいたくありません。
    モラルを持っている立派な男性保育士さんもいると思いますが、そうじゃない人が混じる可能性を排除できない限り信頼することはできないです。
    男性は男性の強みを存分に発揮できる職場でしっかり働いてほしい…。
    これは女尊男卑でしょうか?

    タケヒサさんの記事を拝見して一番にそれを思いました。
    適材適所で男性と女性がそれぞれの強みを生かせる社会になったらいいですよね。

    • 積極的に男女平等を訴えている人は誰かと調べていくと、やっぱり民進党(立憲民主党)・社民党・共産党辺りのくだらない野党勢力に行き着きます。
      その声によって働き方改革とか無意味な政策を政府がやらなくてはならなくて、そういう流れから結局国民が辟易する流れができてきています。
      今回の正念場を乗り切って、メディアと野党六党との攻防を勝利で終わることができれば、徐々におかしな流れは減っていくんじゃないかなぁと私は思ってます。

      そもそも日本男子ほど女性に優しい人たちはいないと思います。男尊女卑とかいう歴史もきちんと調べ直せばそれこそ嘘であることがよく分かり、江戸の頃の方が本質的な男女平等が実現されていたことがよく分かります。

      現代人は過去の日本は男尊女卑だと思い込まされているからこそ、変な行動になりがちなので、その呪縛が早く解けたらいいのになぁと思っています。

  • 男女平等も元を辿れば野党なんですね…。
    最近は左翼の、日本人は歴史を猛省しないといけない、憲法改正のために国会前でデモをしなければ、という思考の一般人(とっても大好きな友人にもいます)、著名人にモヤモヤしてしまいます。
    半島系の人たちがするのは最悪仕方ないとしても、同じ日本人がしていると、悲しいです。
    なんとか変な野党の悪あがきに負けないで自民党に持ちこたえてもらいたいです!
    カケ問題って、安倍首相どうこうより文科省や獣医師会の問題が大きいですよね?!
    前川助平のような人物が所属していた文科省の闇って相当深いんじゃないかと浅い知識ながら思います。

    昔は男尊女卑だったというのも、嘘なんですか?!
    よく、江戸時代は楽しそうだなーみんなイキイキしてるし活気があるなぁやっぱり着物って粋でオシャレだなぁ〜と憧れる反面、男尊女卑の時代だから女性で生まれていたら大変な苦労したんじゃないかと思っていました。
    でも、大河を観ていても、男性は10代から自分自身に責任を持った立派な男性で男らしくて、女性は女性らしく覚悟を持って生き抜いていて、、、なんだか一生がとっても濃ゆかったんだろうなぁと思います。
    江戸時代の侍は刀を携えていても、ほんとうに刀で人を切ってしまうことはかなり少なかったとも聞きました。

    タケヒサさんの説く江戸時代の話、男尊女卑の話などもとても興味があります!

    • 本当に男尊女卑だったら「かみさん」や「奥さん」や「女将さん」という言葉を男性が女性に向かって使うはずもないですね。
      庶民の服装を見ていても、現代と同じように女性の方が常に華やかな着物を着ています。
      また男女平等ということで、今は女性も男性みたいなスーツを着て生活していますが、それ方が異常のように感じます。
      昔は男子も女子も着物という同じ形の召し物を身にまといながらも、互いの好みに合わせて発展させてきました。
      そっちの方が平等だなと思います。

      お風呂も混浴が普通で、仲良く一緒に入ってました。本当に男尊女卑なら、一緒にお風呂に入ることはないでしょう。
      さらに驚くのが混浴しているのに、性犯罪が起こらなかったということ。海外の人々はそれに最も驚いたと言われています。

      最近相撲のことで再び男尊女卑が脚光あびちゃてますが、安藤優子を筆頭に認識が滅茶苦茶。
      日本には女性しかできない神事は沢山あり、男性がやるべき神事と女性のやるべき神事が明確に棲み分けしています。
      それに伊勢神宮の祭司は黒田清子様ですよ。安藤優子の無知はひどすぎると思います。

      それから元々江戸時代には女性の相撲も盛んだったようです。しかも、女も裸にまわしだけを着けて戦っていました。しかし、女が丸裸(おっぱいぽろり)というのが西欧人には野蛮に映って結果それが女性の地位を下げることになるだろうということで、土俵は男性しか入れない聖域という建前を作り今があります。
      女性を土俵に上げないのは、男性の優しさから生まれたものだと私は考えます。
      女を土俵に上げろというのなら、まずは丸裸になる覚悟を持ってほしいものです。
      男性だけが丸裸で女性が服を着るというのなら、それこそ不平等であると私は思います。

      是非江戸の庶民文化の本を沢山読んでみてください。男尊女卑という間違った認識によって、男女ともに苦しめられていることに気がつくことが第一だと思います♪

  • 相撲のことが問題になっていたんですね。
    TVで竹田さんも、土俵に上がらないのは女性が穢れた存在だからという全く嘘の情報がワイドショーで説明されていると驚いていました。
    それなら黒田清子さんが最も清いともいえる伊勢神宮の祭事を行っているはずがない!と竹田さんも仰っていました。
    もともと天皇の娘が行ってきた祭事なんですね。

    なんなんですかね。
    今の報道って、、。
    私は歌舞伎も好きですが、女性が歌舞伎役者になれないことを差別だなんてちっとも思いません。
    たぶん歌舞伎ファンの多くの女性がそうですよね。

    現代以前のことはまだまだ勉強不足でわからないのですが、少なくとも今の時代に残っている男女の違いを男尊女卑だ!女性蔑視だ!と言っている女性はその人自身が女性としての自分を不遇に思って女性の性を差別している心の現れなんじゃないかと思います。

    同じ女性としてそういうフェミニズムの人が一番女性を差別していて憤りを感じます。

    それよりこれ以上、男女平等思考が強まって、より男性が男性らしくなくなり、女性が女性らしくなくなってしまうと先はどんな社会になってしまうんだろうと怖いです。
    男性には男性らしく、女性には女性らしく生きることができることを、もちろんその中間があってもいいのですが、多くの人が心の底では望んでいるはずなんですけどね。

    着物は同じ一枚の布からできていて、男性と女性で着こなしによって力強くも、可憐にも見えるので凄いですよね!
    タケヒサさんも着物を着られるんですね。
    私もです。

    着物を着ると脈々と継がれた日本人の心が蘇ってくるように感じますよね。
    成人式や結婚式で着物は豪華絢爛なイメージがついてしまっているけど、カジュアルな街着の着物を着る人口がもっと増えれば日本の日本らしさをもっと取り戻していけるかもしれませんよね。

    江戸時代の文化についてもまた勉強してみたいと思います!

    • そうですね。
      平等という言葉では無く、公平という言葉がこれから浸透したら良いなと思います。
      日本は常に公平な国作りを心がけていました。
      平等はアンバランスが生じやすいですが、公平は安定を生み出します。
      歴史を読み解けば見えてきますので是非学び続けてください。

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