【いざ実践!】情報戦で日本国民が勝つ方法⑦

お気づきでない方も多いかもしれませんが、今日本は既に有事の状態です。

↓参考記事↓

【既に有事】戦争が今目の前で起きてます。

その為今、このような状態において国民がどう対応するべきかについて書いた記事を連続投下しています。

これはその第7弾です。タイトル微妙に変えてますが同じシリーズなのでできれば最初から読んでください。

↓有事関連特集↓

話の内容が分からないという方は、関連記事含めてお読み頂けたらと思います。

では始めます。

 

日本人は何と戦うのか?

いよいよ実践編です!

思ったよりも実践のために書かなくちゃいけない事多かったですね(^▽^;)

ただ、これを理解して実践するかしないかでは、実践する意味や行動方法に大きなズレが生じるはずです。

この記事を読んだ後、実践しようと思う方がいらっしゃるのならば、それは大変有難いことですが、もしも、過去記事をお読みでないようでしたら、大変危険極まりないことになりますので必ずシリーズの過去記事は読んでくださいね。

読んだ上で、そしてきっちりと理解した上で実践してください。お願いします。

↓このシリーズの過去記事↓

さてさて、改めて本題です。

この有事の初戦となる情報戦において、日本人が戦う相手は

朝鮮メンタル

です。

メディアでも、野党でも、北朝鮮でも、韓国でもありません。

この国に蔓延る朝鮮メンタルです。

これに対して毅然とした対応をしていき、この意識よりも日本人の意識が上にある状態を作ることが、今国民がすべきことです。

ちなみに、朝鮮を敵視するとやたらとそれを差別だと認識する人が多いと思いますが、これも私たちに深く浸透してしまった洗脳です。

なぜ、私たちは朝鮮を区別することだけに差別という認識を持つのでしょうか。それこそおかしいと思いませんか?

例題を元に考えてみましょう。

あなたは日本メンタルだね!

あなたはアメリカメンタルだね!

あなたは台湾メンタルだね!

あなたは中国メンタルだね!

あなたはイギリスメンタルだね!

なにかおかしいですか?

おかしくないでしょう。それもそのはずです。

人というのは生まれた地域に合わせた特性を持ち合わせるのは普通のことです。

また、誰もが祖先のDNAを引き継いでいくため、他国に生まれ、他国で育ってもその心意気が否が応でも現れます。

明治の開国後、多くの日本人が海外に渡りました。そして今も、多くの元日本人たちはそこの文化を受け入れながら生きており、日系ブラジル人を筆頭に様々な国で活躍されています。ここに差別を感じますか?単なる出自の話に、差別を感じることの方が失礼です

今一度考えてみましょう。

なぜ出自を露わにしたり、それをはっきりとさせてはいけないのでしょうか。

朝鮮系日本人や韓国系日本人という出自を明確にしてはなぜいけないのでしょうか。

現代においては、日本でも多くの外国人の方が日本に帰化されて活躍されています。一つ言えるのは、出自を明らかにしたがらない人のほとんどは、半島出身者です。

他の国の方々は祖国を隠すようなこともしなければ、祖国と日本の比較に対し差別という言語を用いることはありません。多くは違いをよりはっきりさせながらも順応されようと試行錯誤されておられます。

それができない人の大半は、半島系と大陸系だけです。

私たちは今一度ここをはっきりと認識しておきましょう。

 

朝鮮メンタルを認識することは、差別ではないと。

 

そして、差別という魔法を使って、日本人の言論を封じめること、これこそが彼らの戦略であることを今一度認識しておきましょう。

これは差別ではありません。単なる区別です。

この区別が分からなくさせられているからこそ、日本人は混乱しているのです。

朝鮮メンタルの特徴については下記リンク記事で明らかにしております。

【分析】朝鮮メンタルの特徴⑥

そして、先の記事で明らかにした朝鮮メンタルの傾向がある人には、特定の対応を私たちはする必要性があります。

ここを肝に銘じましょう。

少なくとも、この理解が曖昧だったがゆえに、私たち日本国民は困難を強いられてきたと言っても過言ではなく、曖昧にしているからこそ、今目の前で有事が起きているのです。

この事態の深刻さを今一度肝に銘じて、互いに強く歩みましょう。

 

朝鮮メンタルの人の発言は理解しようとしてはいけません!

まず、日本人の特性と朝鮮メンタルを比較した時に、一番最初に陥りやすい罠

相手の気持ちを理解しようとすること

これにつきます。

先ほどの記事(【分析】朝鮮メンタルの特徴⑥)で書いた通り、彼らは目的達成の為には手段を選ばないために、言動はもちろん支離滅裂になっていきます。

すると日本人のほとんどは「どうして?」「なぜ?」と、その言動の意味を考えてしまいますが、これは無意味な行為です。

なぜなら、彼らは目標を達成するという事だけしか頭の中にないので、その過程にある物事は全て無視します。

また根本的に人の気持ちが分からない心の構造を持っているため、自分の行動が人にどう映るのか考える概念がないだけでなく、目標を達成すれば全て帳消しになるという日本人にはない別の強さを持ち合わせているため、支離滅裂であろうがガムシャラになることができます。

まず、このような彼らの行動パターン原理を理解しましょう。

そして、理解できるようになれば、いちいち私たちが深読みしてしまう行動のほとんどは、目標に向かう手段だけに存在していることが分かり、言動の細かいことに意味がないことが分かります。

日本人ならそのような行動に「恥」の概念がつきまといますが、彼らは下に見られることや下に位置することだけが「恥」であって、支離滅裂であろうが何であろうが、その課程において「恥」というものは感じないメンタルを持っていることは知っておくべきでしょう。

だから、彼らの行動をいちいち真面目に考えてはいけないのです。

しかも、私たちはいつもいつもついうっかり「どうして?」「なぜ?」と考え、相手の目線に合わせようとする努力をするからこそ、深みにはまるのです。

常々お伝えしておりますが、自分よりも波動が下の人と目線を合わせると、自分の波動が相手に取り込まれ波動同期を起こすだけでなく、自分自身も波動低下を引き起こします。

↓参考記事↓

自分の波動を守る法

つまり、彼らの支離滅裂な言動に対して、日本人がついうっかり思ってしまう「どうして?」「なぜ?」こそが、彼らをより元気にさせてしまう一番大きな罠なのです。

だから、彼らの行動をいちいち理解しようとは、してはいけません。

私たちが見定めるべきことは一点、「彼らの目的と目標地点を確認することだけ」です。

本当にそれだけでいいのです。

分かったら、彼らを客観視しながら封殺の手段を淡々と行っていくことです。

絶対に彼らとは向き合ってはいけません。向き合ったら、ただただ疲弊するだけです。

ですから、マスメディアの支離滅裂な報道も野党の行動も、活動家たちの言動も理解しようとしてはいけません。

彼らは、日本国民が自分たちの下である領域を作るためだけに行動しているのです。

私たちは彼らの意識よりも上の立ち位置を陣取り、そして情動を荒げようもない領域を作り出し、その上で毅然とした対応をしていきましょう。

 

彼らの意識よりも上に行く画期的なイメージング方法

波動の見地で日本人と朝鮮メンタルでは、器の大きさに違いがあります。

このイラストくらい違いがあると思っていいと思います。

つまり、象と蟻ほどの違いがあると思ってください。

蟻の気持ちなどどこまでいっても象さんは分からないのです。分からないのも仕方がないのです。

それを無理に私たちが分かろうとするから、おかしくなっているだけなのです。

相手はキーキーキャーキャー五月蠅いですが、それを同じ目線で治めようとするからおかしくなっているのです。

象さんになったつもりで……

踏みつぶしてください!

意識の上で軽々と

踏みつぶしてください!

象さんは大きすぎるので蟻さんがよく見えません。踏みつぶすのは単に仕方の無いことです。悪気とかそういう気持ちは象さんにはないでしょう。

そういう気持ちもしっかり入れ込んで、当たり前に

踏みつぶしてください!

象さんにとっては蟻を踏みつぶすことは、「だから?」と言うくらいの日常生活に支障のないことであって、そこに何の感情も持ち合わせないだろうと思います。

それくらいの気持ちをまずは私たちがもって、相手を意識の上で軽々踏みつぶしていきましょう。

 

本来向き合うことすら無駄であり、無駄なことを私たちがしていたからこそ、お国が危機なのです。

私たちの国の常識に合わない人など、私たちの常識を持って無意識の段階から踏みつぶせばいいんです。

しかし、蟻と言っても、朝鮮メンタルはヒアリのような特殊性を持っているのは確かです。

彼らに絡まれたら面倒臭いと思う人もいるでしょうし、面倒臭いと思うからこそ彼らの意見を尊重してあげた人もいるでしょう。

しかしながら、これも彼らと向き合う点における大きな罠であるとしか言いようがありません。

 

朝鮮メンタルに対しては、絶対に妥協してはなりません

日本人というのは、互いの意見を尊重して、自分の意見を妥協させながら最善を取るという考えに馴染みがあります。

ですから、様々な人の意見を聞き入れるということは、日本に長らく馴染んだ古き良き文化の一つです。

しかしながら、朝鮮メンタルに対してそれをすると仇になります。

彼らは目的の為には手段を選びません。

妥協させることが、彼らの狙いであり、日本人においてはそれが簡単にできることが、彼らをのさばらせる大きな動機の一つになっています。

分かり合えないものは、一切分かってはいけません。

彼らに対しては、分からないことは分からないままであることが重要であり、一切の妥協を許してはいけません。

彼らの為に、私たちの古き良き常識を失うことの方が大問題なのです。

彼らに妥協することで、本来問題にもならないはずの問題が問題となり、そして古き良き伝統文化が崩壊させられていることに問題意識を移行させてください。

 

恫喝してくる彼らに対しては、どう対応するべきか

彼らはこちらが彼らの要求をのめないとなると、暴力を働いたり、嫌がらせをします。

そして相手を追い詰めていきます。

それが面倒臭くなったり、嫌になったり、精神的に追い詰められて、ついつい日本人は彼らの条件をのんでしまいがちです。

彼らに対しては、一切の妥協をしてはいけません。

ほんの数年前は、彼らに嫌がらせされた時の対応策がなかったからこそ、多くの日本人は彼らの嫌がらせに降伏せざるを得ませんでした。

しかし、時代は変わりました。

インターネットがあります。

彼らに嫌がらせされたら、その一部始終をネットで公開すれば良いのです。そして、それを話題化すれば良いだけです。

ネットでは彼らの行動に辟易する人たちの言論の方が多勢を占めています。今や、彼らの行動は恐るるに足りません。

もしも、彼らに恫喝されたり脅されたり、嫌がらせをされるようなことがあったらどうか、

おいしい!

って思ってください。

もしも有名になりたいと思っている人がいたら、有名になるチャンスですよ!

所謂炎上商法ってやつです!

しかも、自分から炎上させているのではなく、彼らと絡んだ結果炎上しちゃった(*`▽´*)ウヒョヒョっていう超美味しい展開なんですよ♪♪♪♪

だから、ひるむ必要なんてどこにもないです。

絡んできたら、こちらも大々的に淡々と事実を公表していきましょう。

それでも絡まれるのが嫌だと言う人もいると思います。

そういう人にはもっと効果的な方法があります。

 

死んでも構わないけれど、何か?

彼らの脅しの根本的にあるものは、「死への恐怖」なんですね。

だから、先にこちらが「死への恐怖」を捨てて置けばなんら彼らのしてくることは怖くなくなります。

そして、実は「死への恐怖」を捨てる事は、エゴを最も収縮させる良き過程となるため、私たち自身もとても生きやすくなります。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。キャハッ

↓超重要関連記事↓

第七章 地球攻略実践編 手放すシリーズ ~ 1生を手放す~

だからこそ、この際だから「別にいつ死んだっていいじゃん!」っていう感じで、生死に対する執着を捨ててみたらいいと思うんですよね。

こんなことを言うと非常識だと思う人沢山いると思うんですけれど、生に執着している人の多くって実はつまらなそうな顔をしているんですよ。

そのことについて書いた記事↓

倒れてる自転車は、自転車と呼べるのだろうか。 その①

倒れている自転車は自転車と呼べるのだろうか②

つまり、結局「生」に執着している人は、この記事に書いたように、生きるという本来の不安定さを放棄して安定を手に入れたがゆえに起こった「倒れている自転車現象」を引き起こしているんです。

明日死んでも構わないと思う気持ちを持つと人は急に生命力が回復します。

そして、朝鮮メンタルのような人と対峙する時に全く怯える必要性がなくなるために、どんな恐怖の波動にも同期もしなくなるんですね。

朝鮮メンタルの人は、私たち日本人の高波動を吸い取ってエネルギーに変えています。それに対して手段を選ばず、最終的には私たちを脅したり、恫喝したりする恐怖を与えようとします。

私たちはその恐怖に呼応するからこそ、物事が長引いていてるのです。

もう有事は始まってます。ここで怯えてどうするんですか。

だったら殺しなさいよ!

と近づいていけばいいだけですよ。

相手は朝鮮メンタルですよ。

殺せと言う相手は自分よりも大きな相手だとすぐに彼らは分かります。すれば彼らの行動はどうなると思いますか?

 

 

想像つきますよね。

 

逃げ出します。

 

決して逃げ出すことを前提に、「だったら殺しなさいよ」戦法を使えと言っているわけではないのですが、恫喝・暴力・嫌がらせなど非道なことばかり彼らが繰り返しているのは、その戦法に私たちが従うと彼らが思い込んでいるからなんですね。

だからこそ、私たちはより毅然とした対応で、彼らに対応する必要があるのです。

 

お前らの我が儘はもう聞き飽きた。

お前らの自由になる空間など、今後一切与えてなどやらぬ。

 

で良いと思うのです。

 

なぜならここは日本です。

朝鮮メンタル発揮して、朝鮮メンタルで生きていきたいのなら、朝鮮半島で頑張ってくださいよ!

それだけのことなのです。

日本には日本の秩序があります。

日本には日本の歴史があります。

日本には日本の常識があります。

 

ここは誰もが心を鬼にして、毅然とした対応をしていきましょう。

国民一人一人は微力です。

しかし微力ながら日々の中でそれを実践するだけで、きっとびっくりするくらい早期の段階で物事は収束するはずです。

彼らがメディアを多用したがるのは、それほどまでに世論を欲しがっている証拠だからです。

世論が毅然とした対応しかしなければ、何も起こりようがないのです。

ですから、普段は優しいあなたも、お人好しのあなたも、ここから半年だけは、朝鮮メンタルに対しては毅然とした対応をしていきましょう。

宜しくお願いします!

 

今日のリンク集

【既に有事】戦争が今目の前で起きてます。

 

自分の波動を守る法

第七章 地球攻略実践編 手放すシリーズ ~ 1生を手放す~

 

倒れてる自転車は、自転車と呼べるのだろうか。 その①

倒れている自転車は自転車と呼べるのだろうか②

4 件のコメント

  • 初めまして。
    とても説得力のある内容だと思いました。
    海外に住んでいますが、文化の違いというか「話しても分かり合えない人」「理解不可能な人」というのは確実に存在すると、わたしももがいた挙句に結論づけています。
    そしてわたしも、よそからやって来て「自分のしたいように」文化を塗り替えようとするのは、いかがなものかと思います。日本からこちらに来たわたしは、そのつもりで「こちらの文化」をまず尊重の上、自分が貢献できること、できる形を日々模索して、楽しく生きています。そうでなければ「侵略」ですよね。

    • はじめまして。お読みくださりありがとうございます。
      日本人にとって「郷に入っては郷に従え」は当り前のことなのですが、この事が当り前だと思って、そしてそれを当り前に実践できる民族はほとんどいないって事にようやく最近私も気がつくに至りました。
      仰る通り、世界のほとんどは侵略という概念しかないです。
      ただ、当り前だと思って日本人が世界中で実践してきた「郷に入っては郷に従え」こそが、実は海外に最も大きな変化を生み出しているように思います。
      ただし、日本は侵略という概念がない分、侵略しようとしている人たちの言動に気がつきにくい一面があります。ですから、そこの括り分けをきちんとした上で、国内で「郷に入っては郷に従え」の毅然さを取り戻したいと思っています。

      それではどうぞこれからも宜しくお願い致します。

  • 先程も嬉しいコメント、ありがとうございました。
    え〜、最新の記事から関連する記事として読み返していましたら、何故か現在、私が注目しているN国の立花さんの動向が、ゆりさんの記事そのままにやっている事の様に思えて笑ってしまいましたw

    この記事がアップされた頃は、ゆりさんも文字の色を変えてまで一所懸命に韓国の正体を訴えて下さっていたのに、御多分に洩れず私も“お花畑脳”のままでした…。

    ですが、この時から1年半ですっかり目覚め、同様に今、賛否両論はあるにせよ、N国の立花さんが動画を中心に世の中の膿み出しを白日の下に晒す事で、この記事にある様に、反日工作員が死に物狂いでコメントしてくるので、逆に冷静に動画を見続けてきたN国支持者は淡々と立花さんを応援すると云う、まるで香港デモ等で決して世界を敵に回さない様に、真の民主主義を求める学生さん達みたいに、最低限のルールを守ろうとする姿勢を感じ、これはゆりさんが仰るところの自分の魂の正直さからくるものなのではないかなと思っています。
    ですから、私がゆりさんのブログ記事から政治に興味を持った様に、現代の若者は立花さんを通して政治に入っていき、またその立花さんがゆりさんの様に、恥を忍んで等身大の自分を見せる事で、この国にあって一所懸命な大人がいる事に鼓舞されているみたいですよ。

    私も微力ながら、後に続く人達の為にも何らかの礎となれたらなぁって思います。
    この稀有な時代を生きる者として、共に頑張っていきましょうね!

    • いえいえこちらこそありがとうございます。

      いろいろある立花さんですが、立花さんの強さはなんといっても「自己保身の無さ」だと思います。
      自己保身を諦めると、結構な具合で恐怖が消滅するから、ある意味怖い物なしになるんですよね。
      そして自分の「正義」の感覚も緩みます。ですから間違ったと思った時の軌道修正も楽なんですよね。

      相変わらずぶっ飛ばしている立花さんは時々どこに行ってしまうのかと思うのですが……似ていると言われたということは……多くの読者さんも同じような気持ちで私を見守ってくれていらっしゃるのかなと思いました(^^;)

      私自身もいろんな場所でいろいろと書かれることがありますが、イラっとした時は「十年後を見てろよ!」って心の中で呟いてます。
      十年後には、どちらの言っていたことが時代に合っていたのか、そして事実としての正しさがあったのかがきっと分かると思います。
      ですから、今何を言われていても構わないです。長い道のりですがコツコツと生きましょうって感じです。

      互いに励まし合いながら生きましょう♪
      これからも宜しくお願い致します。

  • takehisayuriko へ返信する コメントをキャンセル

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