週末、高山先生のキャンプ場がある三重に行って参りました。
そのせいなのか、何年も前に先生が教えてくれた言葉が繰り返し頭の中に響くので、その事について書きます。
倒れた自転車は、自転車の役目を果たしているのだろうかね。
私は生まれてから多分ずっと、この世に生きる人たちの死生観に疑問を持って生きていたと思います。
その疑問は、波動を探求するようになってから、より強くなってしまったと思います。
そんな徒然たる思いを沢山抱えていた頃、高山先生がたった一言で、私の疑問を解決してくれたことがあります。
その時の記事が残ってるので引用しますね。
私がずっとずっと不思議だなぁと思っているのが、人の死生観で。
「死ぬ」という絶対的に避けがたい事実に関して、直視しようとしない人の不自然さ。
人は生まれた以上、誰しもが必ず死ぬもの。
それがいつ時なのかは、自分で把握出来るものではなく、なんとなく気がつく人も入れば、得てして気づかずにこの世を去る人もいる。
でも、何故か多くの人は、自分の生命は自分自身でコントロール出来るような気になっている気がしていて。。。
更に、多くの人は生に対する執着が強い。
この世に、不平不満を口にしている人の方が、その執着心が強いように思えて、それがとても矛盾しているようにどうしても見えてずっとずっと不思議だったんだ。
「楽しい」なら、「生きていたい。」
のは普通の感情の状態だと思うのに、
日常は不平不満ばかりなのに、長生きを目標にしてるって、なんて変なんだろうって、どうしても思ってしまうんだよね。
そんな話を先生にしていたら、先生が教えてくれた。
「そういう人は、動いていない倒れた自転車を見て、『安定している』と思ってしまっているんだよ。」と。
なるほどなぁと思った。
「自転車やコマは、不安定だと思える状態で初めて安定を得る。コマがコマとしてい存在している時、それは不安定な状態だ。だけど回転していることによって、安定さが初めて生まれるのだと。自転車も走り出す事で本来の安定の場所を得るけど、実はそれは不安定でもあると。」
人生もそうだよなぁと思った。
そして先生は言った。
「多くの人は倒れた自転車ような人生の状態の中に生きていることを『安定』と呼んでいる。倒れた自転車は、自転車としての役目は果たしているんだろうかね。」
先生のこの言葉は、私に大いなる開眼を与え、くっきりと自分の持ち合わせている感覚と世の中の多勢が持ち合わせている感覚の違いを浮き彫りにしました。
そして多くの人たちが、延命を求め生き彷徨い続ける理由も分かったように思いました。
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安心安全の人生は、生きることに繋がっているのだろうか。
現代は、命に関してとても敏感だ。
命を粗末に扱ってはならないことは、もちろんのことで、あってはならないことだと思う。
とはいえ、この所の日本は、万が一の事態を想定して上で、日常が危険なことばかりが増えてしまい、結果何もしないことが「安心安全の人生」となっているように思う。
でも、これはこれで、命を粗末に扱っているのではなかろうか?と私は思う。
人が人として生きるためには、沢山の経験がどうしても必要となる。
困難と思われることも沢山現れるし、命の危険性に怯える時間ももちろんある。
この先の人生を考えれば、途方に暮れてしまう悲しみを背負う瞬間だってある。
でも、今の世の中に蔓延る「安心安全の人生」というものは、人が人として生きるために当たり前に経験するべき事象を排除して、倒れた自転車の状態で生きることを求めているように思えて仕方ない。
私は、自分のエゴを正常化させて、恒常的に「今」という感覚の中で生き直すことができるようになりました。
すると、不思議なことに、未来も過去もほとんど気にならなくなります。
今日という日をただ生きることだけに集中できるようになります。
その日常には、当たり前のように困難もあるし、恐怖を感じる時もあります。
でも、それを受け入れて生きれば、いつもそれはすぐに過去の事になっていきます。
とか言いつつ
今思えば、私も世の中に迎合して「安心安全の人生」たる選択を結構していたなぁと思います。
そして、今あの頃を振り返ると、今よりも命を粗末に扱っていたかもしれないなぁと思います。
自分に与えられた役目に気がつくこともなく、世の中のレールに乗って「安心安全の人生」でありさえすれば良いと思ってました。
だから、そこはかとない不安と不満が体の中に充満していたんだなぁと思います。
命を大切にするということは、与えられたこの時間を大切に、丁寧に生きることしかないなと思っています。
「命がある」ということに拘って、何もしない人生になることではないなと思ってます。
さて、今日も楽しく生きましょう♪
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「多くの人は倒れた自転車ような人生の状態の中に生きていることを『安定』と呼んでいる。倒れた自転車は、自転車としての役目は果たしているんだろうかね。」
というのは、まさにおっしゃるとおりですね。
自分の仕事のことでも、似たようなことがあります。
自分は、情報セキュリティ関連の研修などもすることがあります。
ここ最近は過渡期ということもあるのでしょうが、過剰に情報セキュリティ(特に個人情報)に敏感になっているところがあって、必要以上の対応が取られていることが多いです。
元々、ITは人の仕事を楽にしたり、便利にするために導入されたはずなのに、逆にそれが余計な手間を増やしたり、不便さを生み出したりしている。自分は、これを
「ガレージの中で、車のブレーキを踏んでいる状態」
と呼んでいます。車は、早く目的地に移動したり、荷物を運んだりするために購入したはずなのに、事故を恐れるあまり、ブレーキを踏むことばかり考え、外に出かけることすら拒んでいる状況です。確かに、外に出かけなければ、事故は起きませんが、同時に出かけることによるメリットや利益は全て放棄するということですよね。マイナス面にばかり目が行って、プラス面に目が行かない状況です。
心理学的にも、何かを失うときの心の痛みの方が、何かを得たときの喜びよりも大きいということですので、人は成長よりも安定の方を求めるのかもしれませんし、それ自体は、自然の法則にも則っているようにも思えます。
竹久さんは、先日、「【水も人も】循環を失えば腐る。」とい記事を書いていらっしゃいましたが、その通りだと思います。
この前、私のコメントでも「自然にまかせるとエネルギーは低い方に安定してしまう」というようなことを書いたかと思いますが、これは言い換えればエントロピーが増大していくということです。逆に、生命の本質というのは、ざっくり言ってしまえば、エントロピーの減少(秩序が高い方へと変化していく)だと思いますので、まさに動きと循環が必要なのだと感じます。
はからずも、本日、知り合いのブログを読んでいて、「変なこと書いているなぁ」と思って、リンクを辿ってみると心屋氏のブログでした(-_-;)。
書かれていたことのポイントは、「人から何かしてもらったり、助けやお金をもらっても、ただ受け取って、お返しなどしなくても良い」ということ。
まあ、そう思う人は、勝手にしてください なのですが、ここで言いたいのは、このような考え方が、エネルギー、モノ、お金、意識、何でも良いのですが、一方的な流れだけを作り、受け取った側には澱みと停滞を生み出すということ。竹久さんの言葉を借りれば、循環を失い、腐るということです。
お返しというのは、そのような澱みを生み出さないための知恵だと思いますし、更にそれを一歩進めた考え方として、「恩送り」や「Pay it forward」という考えが昔からあります。
(ちょっと調べてみたら、恩送りは江戸時代には普通にあったようです)
竹久さんは、「ペイ・フォワード」という映画はご覧になったことはありますか?もし、時間があれば、一度、ご覧になってみるといろいろな示唆があると思いますよ。
これからも、ブログを楽しみにしています。
いつも勉強になるコメントありがとうございます。
私も経営管理のデータベースプログラムを作っているので、ひでぽんさんと同じような悩みにぶち当たることがたまにあります。
経営管理をデータベース化するメリットは、何より記入ミスや伝票の重複を防いだり、複雑な計算もシステムが勝手に自動で計算してくれるので、計算ミスも防げます。さらにタイムリーな情報共有ができる所にあります。そして、それによって社内の人同士の無駄な喧嘩や無駄な仕事を無くすことができる所が、私がシステム作りに没頭する一つのやりがいになっているんですけれど……。
データベース化すれば、多くの情報を細分化して確認することもできることが、返って先方の仕事を増やしたり、数字がはっきりと出ることによって営業さんの萎縮を促す場合もあります。
こういう流れになってきたら、是が非でも先方の意向を止めるのが大変ですね。
仕事を減らすために作っているシステムなのに、仕事が停滞したり、増やすようなことになれば本末転倒になってしまうので……。ですが、ひでぽんさんの仰る通り「ガレージの中で、車のブレーキを踏んでいる状態」ような本末転倒な社内運営になっている会社は結構あって、会社勤めのストレスは本来の回転とは逆行するような事が横行しているから起きているのではないかなぁと、多々思います。
コンプライアンスなどに対してうるさく言う社会だからこそ、萎縮や自己保身に走ってしまう人が多いのだと思うのですが、この雰囲気に迎合することによって、より生き辛い社会を自ら形成していることに気がついてほしいですよね。
それにしても心屋さんのメソッドってことごとく人でなしですよね。
人の心が傷ついている場所には多少覿面することもあるかもしれませんが、これは本当に麻薬みたいなもので、一瞬の快楽は得れるかもしれないですが、逃れられない苦しみを味わうことになりますね。
ただ、朗報で、他の読者の方が教えてくださったのですが、TSUTAYAのある店舗では、今回の一連の騒動を受けて心屋さんの書籍が店舗から完全撤去されたそうです。
https://ameblo.jp/sekainoakuyuu/entry-12407075279.html
この動き広がるといいなぁと素直に思います。
このブログ主さんが心屋さんに疑問を持ったのは、心屋さんにはまった友人が子供を叩くようになったからだそうです。
https://ameblo.jp/sekainoakuyuu/entry-12404603675.html
ご紹介してくれた映画アマゾンプライムで借りれるみたいなので、早速見てみます♪
それではこれからも宜しくお願い致します。