日本に残されていた民話にはいつも「不思議」が書かれていました。
その事実に気がつき思ったことを残します。
お告げも夢枕も普通のこと
現代に生きていると、見えない世界のことが少し分かったり、見えないはずの世界と遭遇してしまったり、見えないはずのものを見たりすると、とっても特別なことと思ってしまいがちだと思います。
それは、現代に生きていると、不思議なくらいに不思議なことがおきにくくなっているからだと思います。
本当は不思議なことが起きているのに、見える世界だけに囚われて、そこに気がつかない鈍感さばかりが肥大化しているからかもしれません。
その一方で、不思議なことに強い憧れがあるため、見えない世界を特別に扱いすぎているのかもしれません。
週末「まんが日本昔ばなし」を見ていたら、不思議な民話が沢山日本には残されていることが分かりました。
誇張した話もそれ相応あるのかもしれませんが、日本人はそもそも正直です。全くの嘘の話ばかりが残されているとは考えにくいです。
江戸時代中期くらいまでは仏教色が色濃かったために、信仰を促すための不思議話も多いのかもしれませんが、やっぱり全部が作り話とも思えないですし、実際にあったことが元になって伝承されていることが事実なのだと思います。
そこにきちんと気がついて見ると、私たちの日常で不思議なことが起こるのは、もはや当たり前だなと思うのです。
なぜなら、波動が高い環境になればなるほど、身の回りの不思議なことは誰にとっても多発するはずだからです。
波動が高い環境で生きているほど、おとぎ話のような不思議が多発する理由はすごくシンプルな道理です。
波動が高い環境ほど、見えない世界と見える世界が融合し、見えない世界の手助けを得ながら日常生活をするからです。
そして、この地球は幾度の波動上昇を繰り返したおかげで、去年から見えない世界のルールが強く表われる世界に変貌しています。
地球では元々日本のような一部のスポットだけが波動が高かったのですが、一旦その全てが低波動に落ちた後、全体で高波動に持ち上げる作業をしていると、私は考えています。
そして、地球のルールが変わっていよいよ2年目に入るので、不思議なことはより強く、そして誰にでも訪れやすくなっている環境になっていると思います。
メディアが死んで2年目になると、メディアのゾンビ化が激しくなるのと同じ事です。
つまり、地球の波動上昇は、ある種の二極化を生んでいるともいえるのですね。
今までの世界にしがみつこうとする人は、ゾンビのような日常になっていくし、
新しい世界に踏み出す人は、昔話のような不思議が降りてくる。
これから、不思議体験をする人は沢山いるだろうし、今時点で不思議体験をしている人も沢山いると思います。
でも、それは特別なことではなくて、普通で当たり前のことだと思います。
不思議体験を特別に思う程、低波動の環境に押し込められていたことの方が非常事態なだけであって、既に体験した、もしくはこれから体験する不思議体験のある日常の方が本来の人間において普通の出来事なのだと思います。
そうでなければ、あれほどまでの数の具合で不思議な昔話が残されているはずもないでしょう。
毎日不思議なことが起きる訳ではないけれど、みんな人生二度三度は不思議な体験をする日があるというのが普通なのだと思います。
人生に二度三度は誰にでも起きてしまう不思議なことを、誰にも必ず起きる普通のこととして捉えられず、自分だけ身の上に起きている特別なことと解釈していくと、きっと波動低下が凄まじくなると思うので気をつけていきたいですね。
不思議が普通になっていくっていいですね♪
その不思議を特別に思うことなく、憧れる事も無く、
ましてや不思議をネタにアピールする人に翻弄されることもなく、
そして、不思議なことが起きても起きなくても、日々に感謝して、いつも通りの日常を生きていきたいですね。
これから不思議なことが益々増えていくと思いますから、今まで以上に地に足をつけて生きていきたいですね。
お知らせ☆電子書籍発売開始しました。
【縦書き】
【横書き】
本の内容一部を公開してます。
本の紹介ページはこちら↓
コメントを残す