週末やたらと「まんが日本昔ばなし」を見ていたら思ったことがありましたので記事にします。
西洋童話に惹き付けられた子供時代
週末やたらと「まんが日本昔ばなし」を見続けてたことで、気がついたことがあります。
私は西洋童話ばかりに興味を示していたけれど、思い返して見れば、日本の童話にも触れていたことを思い出しました。
しかし、ここに気がつくまでは、そんな自分の歴史をすっかり忘れてしまっておりましたので、日本の昔話をけっこう知っていた自分に驚いていました。本気ですっかり忘れていたのです。
さらに、日本にはこんなにも沢山の民話が残されていることに改めて気がつき、そのことに驚きを隠せませんでした。
そして、疑問はどうして幼少期の自分が、「まんが日本昔ばなし」よりも西洋童話に興味を持っていたのかということに繋がりました。
しっかり考えて見て、分かった事があります。
理由はとても単純ですが、洋服ばかりを着ていたからだと思います。
今でこそ趣味で和服を月一回(去年は二回)目標に、着物に袖を通す生活を心がけていますが、袖を通そうと思う一昨年までは、着物というものは自分にとって縁遠いものでした。
子供の頃に着物を着た記憶は七五三の2回とお正月に一度だけ。合計3回(写真撮影を含めたらもう数回プラス)。それから夏祭りに浴衣を着るくらい。本来身近にあるはずの着物がとても縁遠いものだったがために、着物を着ている設定が、自分の中でどうも身近に感じられなかったように思います。
一方で洋服は毎日着ているし、ドレスは着物よりも身近なものでした。
母が独身時代ニットの機械編み講師をしていたこともあって、可愛らしい手作りのニットワンピースも沢山持っていましたし、親戚や母の友人からお下がりで可愛らしいワンピースも沢山もらって、喜んでいつも着ていました。
それから、3歳からピアノのお稽古をするようになった事も関係しているように思います。
ピアノの発表会は年に一度あるのですが、その発表会の為に従兄弟がドレスを手作りしてくれて、そのドレスを着て毎年ピアノの発表会には出ていました。
着物よりも断然洋服の方が身近だったのですね。
絵本を見て興味をそそるのは、着物よりもドレスだったのはそのせいだったと思います。
だから、絵本の内容以上に、可愛らしい服を着ている主人公の絵に興味が沸いてしまったのかなと思います。
それに、日常の生活においても着物は見かけませんから、同じ日本の話なのに、子供心には西洋以上に、昔の日本をとても遠くの話に感じてしまうのではないのでしょうか。
生活様式一つとっても、テーブルに椅子と、昔話には登場しないものが今の普通だからこそ、その違いを理解することに子供は混乱するのかもしれません。
民話は地味
しかも、民話は主に庶民の話です。
大人になって民話を読み解けば、なんと凄い国家なのだろうと思えるのですが、西洋童話の設定と比べると常に地味ですよね。
物語の冒頭で出てくる登場人物がじーさんばーさんを筆頭にだいたい冴えないんですよ。(逆に言えば、じーさんばーさんが主人公になる話が成立することが今思えばすごいのですが……)
「西洋系の物語が貴族基盤に出来上がっている」のと比較すると、日本の昔話は地味ですよね。主人公だいたい庶民ですし、情景として浮かび上がるのは、いつも山、川、田んぼ。
それと比べたらやっぱり西洋の童話は派手ですよ。始まりからお城が出てくるのが普通ですからね。
さらに、民話というのは地域に根付く話なだけであって、決して子供向けに書かれた話ではありません。
例えば「竹取物語」
あれも童話の一つとしてカテゴライズされていると思うのですが、竹取物語というのは全くもって童話ではなく、大人だからこそ分かる奥の深い物語だと思います。
他の有名なお話の多くも、本来童話としてカテゴライズしにくいものの方が多いのではないのでしょうか。
個人的には「浦島太郎」なんかも、童話にカテゴライズできないよなって思います。
つまり、日本の昔話の多くは、経験に基づく思慮深さが伴って物語に味わいが持てるものが多いので、子供心にはいまいち理解できないものが多いのではないのかなと思います。
一方で西洋のお話は、単純明快で分かりやすいものが多い。
絵本の見た目も、自分たちに馴染みやすい上に、お話の内容も子供のレベルにあっているからこそ、子供がはまりやすいかなと思います。
民話が無限大に残されてる日本ってすごい
「まんが日本昔ばなし」っていつからいつまで放映されているのか気になってwiki確認しました。
ANN(毎日放送、NET〔現・テレビ朝日〕)系
1975年1月7日 – 1975年3月25日
JNN(毎日放送、TBS系)
1976年1月3日 – 1994年9月24日
実は元々はテレ朝から始まってたんですね。日本昔ばなしと言えば、TBS(こっちではCBC)だと思っていたのでびっくり。
なんとざっくり20年も放送されまして、全国ネット枠時代で全952回放送されたとのことです。
一回当たり2話が原則の構成なので、単純計算しても1904作品の昔話が放映されたことになります。
少なくとも日本にはその数に匹敵する、いやそれ以上の民話が存在していると言えるでしょう。
こんなに国土が小さい日本に、こんなにも沢山の昔話があるということ。これは何を物語っているのでしょう。
昔は全く気にならなかったことが最近は気になるようになっています。
伝承は平和の証
日本は様々な民話が語り継がれ残っているということは、それぞれ土着の人々が古より受け継がれ今もその土地で生きている証であると言えるでしょう。
つまり、地球の多くの場所で行われてきた民族抹殺(民族浄化)のようなものが行われてこなかった証なのだろうと思います。
そして、昔話を貪るように見ていて思ったことは、日本は常に平和な国なのだなぁということ。
特に民話のレベルになると、今の私たちの心情と変わらない話ばかりが落ちています。
今だからあのオープニングテーマの曲の歌詞の言葉の意味が染み入りますよね。
♪坊や良い子だねんねしな~ 今も昔も変わりなく
今も昔も変わりなくという言葉の感覚が、今、初めて、腑に落ちております。
日本は今平和になったわけではなく、ずっと平和だったのです。
平和に生きているからこそ、持ち合わせる心情に変化がないのです。
昔話から歴史を読み解くのも楽しいですね。
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