武漢ウイルス騒動において、完璧な防疫を行った台湾。
そんな台湾の衛生観念を築き上げたのは、実は日本人でした。
この記事はさっきの記事の続きなので、そっちを先に読んでもらえたら嬉しいです。
↓さっきの記事↓
今の台湾を作ったのは日本の祖先たちです
「今の台湾を作ったのは、日本の祖先たちです」
そんな言葉を正々堂々と言うものなら、袋叩きに合いそうなのが今の日本なのですが……これは私の言葉じゃないです。
多くの台湾人の方が仰ってくれる言葉です。
その時の言葉は、少し変わってこうなります。
「今の台湾を作ってくれたのは、日本の祖先です」
自虐史観にまみれた教育しか受けていない私たちは、「そんなはずはない」とどうしても思ってしまいますが、本省人である台湾の人々の多くは別の気持ちを持ち合せているそうです。
日本人に学び、強く賢くなったと仰ってくれる人が沢山います。
先日お亡くなりになられた李登輝元総統も、同様の言葉を森元首相に投げかけられています。
戦後日本は、GHQの洗脳を受け、日本の共産主義者たちが息を吹き返し、さらには中韓&北朝鮮のようなちょっと様子のおかしい人たちの言論が正論とされ、そして自信を失うことが続いてきましたが、日本精神(台湾語でリップンチェンシン)を受け容れ、受け継いでくださった台湾人の方々は、そんな風に日本のことを見てはいません。
日本人のおかげで、日本人が教えてくれたからこそ、自主独立できるようになれたと言ってくださってもいます。
そういう言葉を素直に受け容れるようになってから、私も台湾と日本の歴史を改めて見直すようになりましたが、確かにこれは事実のように思います。
また今回台湾が、武漢ウイルスの防疫で最善の策が取れたのも、日本による統治の時代があってこそのことだろうなと……思ってもいます。
なぜなら、台湾人に徹底的な衛生観念を伝えたのは、台湾統治時代の日本人だったのですから。
後藤新平が台湾に植え付けた衛生観念
今回武漢ウイルスで、パーフェクトゲームを実践したと言える台湾ですが……100年ほど前の時代までは、不衛生で疫病などの病で多くの人が苦しむ土地柄でした。
そんな不衛生な土地に派遣されたのが、医師出身の政治家後藤新平さんです。
後藤さんは、手洗いなどの基礎的なことを含め、台湾の衛生管理を徹底し、習慣化させました。
その徹底ぶりは、当時その観念が無かった台湾においては、理解してもらうのに時間がかかる行為だったはずです。
しかしながら、後藤新平さんは何を言われてもそこを徹底したそうです。
またどうして彼がそこまで徹底したかといえば「衛生なくして経済なし」という考えがあってのことです。
そして、衛生問題を徹底的に解決することで、経済は自然に後からついてくる、という考えの元に行われたこの政策によって、台湾では病に苦しむことが減り、人口は増え、経済は安定するようになっていきました。
また、衛生が如何に大切なのかという倫理観を宿すようになったからこそ、常に台湾は防疫に対して敏感に対応し、そして今回の完璧な防疫対策にも繋がったのだろうと思います。
明治時代の日本人の教えがあったからと、私が思う理由はここにあります。
一方で日本はちょっとどころか、かなり残念な事が続いてますね(>_<)
完全に習慣化された衛生観念で助けられている面は多々あるにしても、防疫対策はあまりにガバガバです。
また、祖先と血縁的に近いのは私たち日本人であるはずなのに、精神性をきちんと受け継いでいるのは台湾人だと思うと、少しどころか結構嫉妬してしまいます。
ただ…台湾人の実績を見ていると、日本人の見ている方向が間違っているだけなんだなと思わされます。
戦後の日本人は未来ばかりみて、過去を見るのを止めました。
一方で、台湾人はかつての日本人が教えてくれたことを大事にしました。
この差の違いによって起きているのことなのだろうなと思わされます。
逆に言えば、過去の日本人の行動を見習い・受け継いでいけば、ここまでの混乱が起こることはなく、物事はスムーズに流れ出すだろうなとも思います。
今こそ、過去の日本人と向き合うべき時じゃないかなと思います。
ちなみにですが……後藤新平さんは、私が大好きな偉人・児玉源太郎さんの部下で、児玉源太郎さんの推薦で台湾で働かれるようになった人です。
是非夏の読書の中に、児玉源太郎さんについて書かれた本も仲間に入れてもらえたら嬉しいです。
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いつも楽しく読ませていただいています。
台湾の話、初めて聞いて感動しました。
若い時は、台湾と香港の違いがわからないぐらい疎かったです(笑)
今回の話を聞いて、日本は忘れてはいけない事を
忘れそうになっているように感じました。
戦争を知っている人が少なくなり、
挨拶や礼儀、季節や風習、なぜそれが
必要か今一度、考えたいと思います。
おはようございます。
私も石垣島で暮らすまで、台湾の場所すらはっきりと理解していなかったです。
っていうか……八重山諸島の地理も歴史も理解しておらず、西表島に人が住んでいることに驚いたくらいです。
戦争を知っている人が少なくはなっていはいるものの、戦後の戦争の語り部たちは概ねみんな共産主義者かデュープスであり、体験者ということを土台にして間違った歴史認識を伝えてきました。一方で本当に頑張ってきた人はあまり人に語らず、本などにほんの少しその情報が残る程度です。
ですから、語り部が少なくなるこの時期からの方が、冷静に分析できるかもしれないと思ってます。
アメリカから出てきているヴェノナ文書など、今こそもっと深く戦争を研究できる時期に入っていると思います。
私たちは幼い時の教育によって、かなり事実認識を間違えてしまっていますが、これはこの時代に生きた人間の性であると受け止めて、どうにかして正しい状態に戻していきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは、お久しぶりです。記事と論点がズレているのを承知の上でのコメント何卒御勘弁下さいませ。m(_ _)m
台湾併合と韓国併合。私は今四十代ですが、学校で習う歴史は何となく日本の侵略目的みたいな悪いイメージがあったように思いましたねぇ。
…ただ、インフラの整備と共に台湾には台北大学・朝鮮には京城大学と云う旧帝国大学があって
恐らく、日本と同水準の教育を目指していたと思うんですね。そういった事実を踏まえると、私は
先人達は台湾や朝鮮の方々を言い方は本当に失礼ですが(._.)奴隷ではなく人間として対等に尊重していたのではないかなぁ??と思ったりしました。
また、(主に)大平洋戦争で戦死なさった台湾や朝鮮の方々は英霊として靖國神社に祀られている訳で。こういったモノを含めて考えますと、かつて日本の外国に対する行為は本当に全てが全て間違っていたのだろうか??などと思ってしまいます(まぁ、逆に全て正しいとも思えませんが)。
現在の台湾と韓国。同じくかつて日本に併合された時期がありながらどうしてこんなに違うのだろう。そんなに日本が嫌いならば独立後「これから私達は自力で頑張りますので今後一切日本とは関わりたくありません」位にタンカを切って下さる気概や根性があったならばまた現在は変わっていたかも知れませんね??( ´Д`)??
おはようございます。
私も学校で「侵略」と習いました。
大人になって、明治維新、そして日清・日露戦争の中にあった本当の理由に気が付き驚いたものです。
日本は他国が実施している植民地とは違い、併合してからは同じ日本としての対応をしてき、インフラ整備や教育を整備しました。
ですが、敗戦国になったことで、そういった事実は戦勝国の移行で消されました。
また台湾と韓国の日本に対する態度の違いですが、これは中国の対応を見れば理解しやすいかなと私は思ってます。
というのも、朝鮮半島は過去数千年に渡って、大陸の属国国家(支配される国家)なのですが、一度も大陸国家になったことはないのです。
清の時代台湾は、化外の地と揶揄されながらも清に統治されましたが、朝鮮は最下位の属国でした。
また清だけでなく、明や元なども朝鮮を自国の領土にしようとはしませんでした。
この事実が物語る意味が、日本併合との台湾と朝鮮の違いに現われていると思いますし、朝鮮の対応に関しては、中国国家を見習うべきだと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。