㊎ネットで知り合った人が突然豹変した ~教えて!波動相談室~

金曜日は「教えて!波動相談室」のコーナーの日です。

こちらのコーナーでは、読者の方から寄せられた質問に、波動の見地からお答えしていきます。

また、波動の見地からお答えするものの、これは私の個人的見解にすぎません

ですから、これだけが正解ということはもちろんあり得ませんから、「意見やアドバイスの一つ」として参考にして頂き、その上で自らで答えを見つけて頂けたらと思ってます。

どうぞ、この点お含み置き頂きました上、お読みくださいませ。

ネットで知り合った人が突然豹変した

本日頂いたお悩みは、「ネットで知り合った人が突然豹変した」です。

40代女性・ネリさん(主婦)から頂いた質問です。

ではまずは相談内容をご紹介致します。

ゆりさんこんにちは。

記事を読み、いろいろと参考にさせていただいております。

これから書くことは、すでに過去のことで、今はその人との関りはありません。

それでも、いまだくすぶっているのものがあり・・・今後の参考にしたくて、相談してみることにしました。

趣味関係のコミュニティで知り合った方がいました。

その趣味については、造詣も深く、勉強熱心で、また自分の考えもしっかり持っている方で、私はその人の考えに納得したり、そこから自分の考えを深めたり、そうしてコミュニティで書き込みをするうちに、仲良くなり、いわゆるネット上の「お友達」になりました。

最初は楽しかったです。

ごく普通の日記にも、お互いにコメントをしたりしながら、おだやかにお付き合いをしていた・・・と、思います。

豹変したのは、私が期間限定で仕事をするようになってからです。

その仕事が、その方の前職とかぶる部分があり、最初は善意で色々とアドバイスをくださっているのだと思っていたのですが、だんだん、執拗に、しつこくなってきて・・・仕事とは関係のない発言でも、ものすごい勢いでからんでくるようになりました。

それは、「からむ」としか言いようのないもので・・・例えば、その方が嫌いな作者の本の感想を書けば、「私はその人、嫌いです」・・・ここまではいいんですけれども、なぜ嫌いか、に始まり、そもそもその人の本を好む人の人格を疑う・・・とかまで言い出す始末。

それでも、丁寧に返信をしていたのですが、返信をすればさらに攻撃、返信しないと「私の意見は聞いていただけたのでしょうか」とくるので返信しないわけにもいかず・・・でもまた攻撃。

正直、そのSNSそのものが嫌になるレベルでした。 挙句、その方の日記記事に対して、基本的にはその人の意見に賛成・・・というコメントだったにも関わらず、そのちょっとだけ違う部分を取り上げ、 「なによ、あなただったら〇〇できるっての!?」 と極論をあげてくる始末。

その後、その方がツイッターをはじめ、そこでいろんなことを口汚くののしっているのを見て、完全に嫌気がさし、まずはその方には自分の日記を見られないよう設定し、それから徐々にSNSそのものから遠ざかり、そうして頃合いを見計らって友達解除をしました。

今考えると、正義感が強く、自分が良しとする意見と受け入れない意見がきっぱり分かれているところがあったので、そういう面でこうなったのかなあ・・・と思わないでもないのですが、最初は本当に聡明な方だと思っていたので、なぜこんなに攻撃的になってしまったのか・・・といまだに自分の中でくすぶっています。

万が一、この方に次にからまれても、絶対に相手にはしませんが、同じような人はいるでしょうし、今後の参考にしたいので、よかったらご回答お願いします。

 

 

ネリさんからのご質問にここからお答えしていきます。

また今日のお答えポイントは以下3点とさせて頂きます。

今日のお答えポイント

①リベラリストにありがちな「みんな同じ」が作るもの

②リベラリストは結局、差別主義

③道理で生きるか、思想で生きるか

この3点に沿ってここからお答えしていきますね。

 

①リベラリストにありがちな「みんな同じ」が作るもの

お話しを伺った私の印象でお答えさせて頂きますが……多分お友達は「リベラリスト(左翼思想)」が無自覚に馴染んでいるいわゆる「デュープス」なのではなかろうかと、私個人は感じました。

ですから、ここからは彼女が無自覚のリベラリストであり、デュープスであると仮定してお答えさせて頂きますね。

↓リベラルとデュープスに関する記事↓

3-1.デュープスが蔓延する社会

2019年4月18日

【検証】スピリチュアルとリベラルはやっぱり似てる

2018年6月3日

↑リベラルって何?デュープスって何?と思ったら先にお読みくださいませ。

 

リベラルな人の思想的特徴というのは、「相手と自分の違いはない」という前提で交流しようとするところです。

いわゆる博愛思想というか平等思想というか、みんな同じ人間なんだから誰とでも仲良くなれるみたいな……繊細さの欠けた二元論で物事を捉えきってしまう所がリベラルな人にはあります。

ですから、入口でとてつもなく嫌な感じをすることはないと思います。フレンドリーでいい人みたいな印象を持ち合せることになると思います。

ただ、このような思想の持ち主の面倒臭さは、「違いが現われた時」に出現します。

彼等の「みんな同じ」という考えの「みんな」は常に「自分」に帰属しているため、「みんな自分と同じ考え方をして当然」みたいな感覚に無自覚の段階で陥っています。

だから、違いが現われた時に相手(ここで言う友達)は、もの凄くストレスや怒りを感じたりします。

最初から人は違うということを理解していたらこのような事は起きず、相手の意見を尊重できるのにもかかわらず、入口の設定を間違えているので混乱するようになります。

ですから「違っているのはおかしい」くらいの勢いで、自分の正しさを押しつけるようになっていきます。

違いが無い状態を作るということが彼等の平和観でもあるので、無理にでも「違いはない状態」を作ろうとします。

つまり同じであろうとすることが、違いに目が行き、違いが目に行く事でトラブルが増発されるということです。

 

②リベラリストは結局、差別主義

また、頂いたコメントを読ませて頂いた限りでは、お友達が「あなたの上に立ちたいという意欲=マウント思考」が如何なく発揮されているように思えたので、この項目ではなぜこのような事が起きるのかについて、お話しを進めさせて頂ければと思います。

 

先の項目で、「みんな同じ」と思う意識が違いを許せなくなり、気が付けば「自分の正しさを押しつけて、同じである環境を作ろうとする」ということをお伝えさせて頂きました。

 

ではなぜ、このようなタイプの人がマウントを取るようになるかというと、彼等は自分の持ち合せている正しさこそが生きる指針となってしまっているので、否定されることを強烈に恐れるからです。

ですから本人は無自覚の状態で、その恐怖を回避しようと試行錯誤します。

その結果がマウントとして現われるようになります。

 

③道理で生きるか、思想で生きるか

結論から言うと、リベラルという考え方は「道理に基づかない思想の範疇の話」です。

また、思想というのは人間の頭の中で考える理想などに基づいて行われるため、現実と見比べた時に必ず矛盾が生じます。

しかしながら、一度でもその思想に染まってしまった人は、その矛盾をなかったことにしようと試行錯誤します。

そこに嘘が生まれるわけで……そして、思想を軸に生きる人の多くは気が付けば、みんな偽善的になります。

嘘を覆い隠す美談が必要になるからこそ、偽善になるのです。

現代は多くの人がこの思想ウイルスに苛まれており、また高学歴な人ほど思想ウイルスの影響が強くなっています。

ご相談の中でお友達は「勉強熱心で、聡明」という記述がありましたが、こういうタイプの人は油断すると、思想ウイルスに苛まれやすく、「道理ではなく学術的に正しいとされていることが正しい」と思い込む性質が強いです。

元来の日本人は、聡明な人ほど自然に畏怖や畏敬の念を持ち合せていたはずですが、明治・大正・昭和・平成・令和と月日を重ね、現代文明が発達することで、人間は自然と乖離するようになってしまいました。

そして自然と乖離したからこそ、特に都会では、道理よりも思想が強く力を持ち合せるようになり、多くの人が矛盾と嘘に苛まれる状態に陥っていると思います。

誰もが立ち止まり考えなくてはならない時代だからこそ、今一度自然との融和を試みて、道理をしっかり思い出していきたいですね。

そしてネリさんの中で道理の会得ができるようになったのなら、お友達のように思想を中心に動いている人はすぐに見分けがつくようになり、必要な距離を保った上で関係を築けるようになると思います。

お友達との時間はいろいろ大変な事があったと思いますが、この経験によって思想と道理の違いを今一度確認し直し、ネリさんには是非、道理に基づいた形で生きてほしいなと思っています。

 

ということで、今日の波動相談室は以上となります。

ネリさんのご質問に答えられたでしょうか。

どうぞこれからも宜しくお願い致します。

 

また来週の相談室は、ローレルさんから頂きましたお悩み、「ギャンブル」を解説したいと思います。

それではまた来週お会いしましょう♪

 

あなたのお悩みお待ちしております。

こちらのコーナーでは皆さんのお悩みを受け付けております。

ご相談がある方は、下記リンクの「相談室ポスト」からご投稿ください。

相談ポスト

 

4 件のコメント

  • ご回答ありがとうございました。
    なるほど、「違っているのが当たり前」で、「その中で自分は何を選択するのか」ではなく、違っていることそのものが受け入れられない人・・・ということなのでしょうか。
    以前、佐々敦行氏の『私を通りすぎた政治家たち』を読んだときに、真逆である不破哲三氏について、
    考え方は正反対だが、一貫して筋が通っていて、敵ではあるが立派だった・・・というようなことが書いてあったのですが、デュープスというのは、こういう考え方ができない人たち、なのですね。
    なんとなくですが、頭の中で作りだした「理想」を正しいものとし、現実とは矛盾しているのになかったことにしようとしておかしくなる・・・というのは、わかるような気がします。
    いろんなことが便利になり、ボタン一つで自分の思い通りになる(スイッチを入れれば電気がつく、みたいに)。それが当たり前になりすぎて、がんばってもうまくいかないとか、思い通りにならないとか、そういうことに対して耐性をなくしているのかもしれません。
    例えば、農業で生計を立てるのが当たり前だったころならば、がんばっても努力しても日照り等で作物が実らない、とか、人間の手だけではどうにもならないことがあるのが当たり前だった時ならば、それはそれで受け入れて、そのうえで、できる限りのことをしよう、と、思えたのでしょう。
    でも、今は、思い通りになるのが「当たり前」・・・いつの間にか、そんな風に傲慢になっていたのかもしれない、その傲慢さこそが、思想にとらわれて道理を忘れるもとになっているのかもしれないな、と、ゆりさんの回答を読みながら思いました。
    自分も気を付けて生きていきたいと思います。
    ありがとうございました。

    • おはようございます。どう致しまして。

      >「違っているのが当たり前」で、「その中で自分は何を選択するのか」ではなく、違っていることそのものが受け入れられない人・・・ということなのでしょうか。
      ↑この解釈で問題ないと思います。ただし、本人は無自覚でやっているので、違っていることを受け容れられない自分に全く気が付いていないと思います。

      デュープスの人たちには、信念がないため矛盾に気が付かず流されます。ただその矛盾を作り上げ流しているのが、不破さんなわけで……矛盾を覆い隠すような弁論をするのは得意なのでしょうが、そもそも彼等の発信には矛盾があり、彼等もその矛盾には気が付いているのに、ビジネス上止められないループを続けています。
      韓国の慰安婦問題でいうと、不破哲三の立場が尹美香(ユン・ミヒャン)で、共産党員が李容洙(イ・ヨンス)デュープスが、水曜デモに集まる若者という感じじゃ無いかなと思います。
      確かに尹美香(ユン・ミヒャン)の行動はぶれずに一貫しており……デュープスではありません。見方によっては「筋が通ってる(ぶれない)」となるでしょう。不破さんの筋が通ってるも似たような感じだったのでは??なんて私は思ってしまいました。(本を読んでいないのに、仮説を立ててすみません)

      また現代人の多くは「思えば叶う」という社会環境の中で生きすぎているので、思い通りにならないことに不慣れでそれで混乱しがちですが……仰る通り、思い通りにならないのが普通です。
      そこをきちんと理解してお互い着実に生きていきたいですね。
      これからも宜しくお願い致します。

      • >不破哲三の立場が尹美香(ユン・ミヒャン)で、共産党員が李容洙(イ・ヨンス)デュープスが、水曜デモに集まる若者という感じじゃ無いかなと思います。

        すごい! わかりやすいです。腑に落ちました。なるほど。
        私、尹美香(ユン・ミヒャン)さんの言うことはわかるなあ、と、思いましたから。
        信念がないのに、信念を持っていると思いこんでいる、だからこそ「違う」人たちにかみつくし、無自覚だし受け入れられない・・・のならば、こちらが道理を飲み込み、わかる人間になるしか、自衛の道はないのですね。
        できるかなあ・・・がんばります。

        すみません。もう一つだけ。今回のゆりさんのご回答で、糸井氏のツイートのことを思い出しました。
        糸井重里氏が四月に、「わかったことがある。新型コロナウイルスのことばかり聞いているのがつらいのではなかった。ずっと、誰ががが誰かを責め立てている。これを感じるのがつらいのだ。」とツイートしたときに、
        そのまま素直に受け止めた人たちは「ちょっとせきをしただけでにらまれる」「物流の人に他県は出て行けと怒鳴る人がいる」「医療従事者の子を保育園から排除しようとする」等いろんな状況を思い浮かべて、共感したのに対し、
        これを批判した人たちは「政府の批判をする自分たちを非難したツイートだ」と決めつけて攻撃していたように見受けられました。
        あくまでもざっと見た印象なんですけれども、後者の人たちの決めつけぶりと攻撃ぶりが不思議で・・・糸井氏の前後のツイートは知りませんが、たとえ政府寄りの人だったとしても、政府の批判をやめろというだけならば他の言い方もあるだろうし・・・この視野の狭さ加減も、デュープスのものなのでしょうか?
        自分がその罠に陥らないためにも、お聞きしたくて書き込みました。
        すみません。よろしくお願いします。

        • こんにちは!
          分かり易かったと言われて嬉しいです。

          糸井重里さんに攻撃をした人は、多分前回の検察庁法案のTwitterデモした時にはきゃりーぱみゅぱみゅやキョンキョンを批判した人を攻撃し、彼女らを擁護していたと思います。
          あいちトリエンナーレの時もそうだったのですが、彼等は自分たちが絶対善で自分たちの意見は絶対悪になるため、正義のためなら何をしても許されるという脳内構造を伴っています。
          この脳内構造が顕著なのが韓国です。
          彼等は自分たちの目的を達成するためなら、矛盾が伴っても押さえたモン勝ちになるので、「どうしてこんなダブルスタンダードなのか?」などと深読みしない方が良いです。
          この辺の心理構造はこちらに書かせて頂いてるので、必要であればお読みくださいませ。
          https://takehisayuriko.tokyo/2018/03/24/1563/

          それではこれからも宜しくお願い致します。

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