エゴが正常化するようになったなぁと感じるようになってから、私はネガティブに生きるようになったなぁと思います。
ポジティブはネガティブの反動に過ぎない
ポジティブを標榜するために必要なことは、その前提にネガティブがあるということだと思ってます。
そしてネガティブという状態を悪いものだと一概に決めつけているから、無理してその心に蓋をして、そしてポジティブで自分を埋め尽くそうとしているのだなと思ってます。
もちろん、私も自分と向き合い始めた時は、そういう思想で、だからエゴを撲滅しようと躍起になっていたのだけれども……
【リンク集②】エゴとひたすら向き合っていた記録:変革期~飛躍
途中から違うなって気がついたの。
つまり……エゴを撲滅するっていうことは、ネガティブな感情そのものが無い状態を創り出そうとしていたのだけれども、それこそが不自然だということにようやく気がついて、自分の中に蠢く感情全てに善悪つけず、甲乙つけず、ただただ受け容れるということが大事なのだと、やってる途中から分かるようになって、大きく方向転換しました。
そしたら、急激に悩んでいた心の状態が改善していくようになったので、「盲点はここだったのか!」と大発見の気持ちを手に入れました。
そして、自分自身がこういう呪縛から脱却できるようになって、現代の生き辛さの多くはポジティブ思考から生まれている事が多いよなと思うようにもなりました。
ポジティブリストとネガティブリスト、運用しやすいのはどっち?
ポジティブリストというのは「やっていいこと」がリスト化されたもので、
ネガティブリストというのは「やっちゃいけないこと」がリスト化されたものです。
ちなみに戦後の日本は、ほとんどのことが「ポジティブリスト方式」で運用されています。
軍事の世界は普通どこの国も「ネガティブリスト」で動いているのですが、戦後の日本は法的な制約が多いため「ポジティブリスト」で動いてます。
軍事は想定できない事が多いため、「絶対やっちゃダメ」な事以外はその場の判断でできた方が効率的で合理的なはずなのですが、日本の場合は、「やっていことが決まっている」中で動いているため、法で定められていない事意外は行ってはいけません。
すると、迅速な行動がしづらいだけでなく、非効率で非合理で非人道的とも言えることが沢山あります。
「ポジティブリスト」の運用は軍事だけの世界に限ったことではなく、ここ最近の日本社会はどんどんこの方式になっていると思います。
なんだか違和感を感じるこの社会体制は、結局「やっていいことが決まっているポジティブリスト」の中で動いているせいではないかなと思います。
自分の人生ポジティブリストになってませんか?
そして、こういう社会の雰囲気が蔓延してくると、自分の日常も「ポジティブリスト方式」で運用している人が多いんじゃないかなと思っています。
やっていいことを決めれば、行動範囲や思考範囲、それから言動のパターンは必ず狭くなるはずなのですが、なんでもポジティブが正解だと思いがちな昨今の風潮は、そこに気がつかなくさせているんじゃないかなと思っています。
一方で、絶対これだけはやっちゃダメのネガティブリストで運用していると、行動の選択幅は一気に広がるので、日常の自由度は増していきます。
私がネガティブ主体で生きてるよというのはこういう意味です。
何でもポジティブが良いという社会の雰囲気は未だに蔓延してますが、それが自分を一番苦しくさせている原因かもしれませんね。
ポジティブもネガティブも波動で視れば、どちらも時化です。
どちらにもならない凪の状態は、フラットな気持ちの上に成り立っていると思います。
ですが、少しネガティブ側に意識をおいて、日常もネガティブリストで運用しておけば、無理に張り切る必要も、無理に頑張る必要もないので、生きるのが楽だと思いますよ。
それにそもそも、ポジティブを意識すれば、ネガティブも同様に意識されるだけですしね。生きづらくなるだけだと思いますから、まずはそこを意識しない環境で生きた方がきっと楽ですよね♪
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