3-8.学校教育と共産主義の親和性

※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに

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アダルトチルドレンは国民病?!

第三章 戦後教育・戦後社会とデュープス

 

 

3-8.学校教育と共産主義の親和性

共産主義に関する理解が深まるようになってから私は、戦中の映画やドラマを見ていると、「軍国時代って共産主義国家みたいだな」と思うようになりました。

国民全員が人民服のような同じ格好をし、食料は配給制。経済も麻痺してしまい自由に商売することも許されない。国民は国の圧力にコントロールされるばかりであり、言論弾圧や人権弾圧のようなことが平気で起きる。日本の軍国主義時代に起きていたことと、ソ連・中国・そして北朝鮮などの共産主義国家の社会体制は非常によく似ています。

私たちの祖先が体験してきた悲惨な歴史の一部が、共産主義国家が歩んでいる実情と似ていることは非常に不思議だったのですが、江崎道朗先生の著書「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」によると、このような事態の背景にコミンテルン(国際的に活躍する共産党員)の存在が深く関わっていたとのことです。そして私は、江崎先生の分析結果によって、今まで不自然過ぎると思っていた軍国主義の実態がようやく掴めてきました。

社会主義者や共産主義者は、国家管理型の計画経済を理想と目標に掲げています。この思想に基づく彼らの言論や思惑に沿って、戦時体制の政策、言わば軍国主義が実行されてしまった部分も大いにあったようです。

支那事変(昭和12年・1937年)がきっかけとなり始まった日中戦争は終戦の兆しが見えず、さらには欧米相手に戦う事になってしまった日本は、余裕をどんどん失っていましたが、敢えて日本の戦争が収集しないような言論を繰り広げていたのは、当時朝日新聞の記者であり政治の中枢で意見を申し述べることもできた尾崎秀実(おざきほつみ)を中心とするコミンテルンの工作員です。そして、工作員である彼らの扇動によって、日本は疲弊していく策ばかりを講じてし続けてしまいました。ですから、どんどん疲弊して余裕のない状態において、戦時統制体制という形をとり、官僚独裁で政策を実行できることは、焦りを感じていた一部の官僚にとって非常に魅力的な体制に映ったようです。

しかし、これはコミンテルンにとって、一党独裁型の共産主義国家にしていくための布石でもありました。

コミンテルンたちの考えに最も欠落しているのは「母国」の感覚です。戦争に勝っても負けても、それを契機に自分たちの理想である一党独裁の共産主義国家を創り出すことは彼らの普遍的な目標です。

そのため戦争という非常事態も彼らにとっては、その理想を叶えるための好機に全てすり替わっていくのです。

つまり、私が不思議だと感じていた軍国主義の実態とは、完全な共産主義国家になるための通過点でもあったのです。そして、共産主義者たちによる工作によって計画経済が敷かれていき、日本はより深い混乱に陥っていたというのが事実だったようです。

とはいえ、まるで共産国のようだった日本の面影は、瓦礫の山と化していた日本が復興を遂げるとともに、社会全体としては過去のものになっていきました。

しかしながら、学校教育という場面においては、その面影から脱却できない状況が続いています。

どんな部分にその面影を感じるかと言えば、まずは名札。それからスカート丈から髪の毛の長さまで学校の規格にあった形で整えさせる校則。子供たちに良い大人になってほしいと願ってのことなのかもしれませんが、学校教育という枠組みにあるものは、子供たちを画一化するための術ばかりが溢れているように思えて仕方ありません。

また、学校が求める規格に子供たちが合わない時には、指導という名の体罰やペナルティで子供たちを学校単位の規格で画一化していく作業が行われています。そして、子供たちは不必要なストレスや劣等感や欺瞞ばかりを身につけていっているように思います。

 江戸時代の方が満足いく教育ができていなかったように私たちは思いがちですが、第一章でご紹介した外国人が書き残した文献を見る限り、その頃の方が子供の目線にきちんとたった上での教育が実践できていたようです。にもかかわらず、社会的に発展したはずの現代の方が、それを上手くできなくなっている事実を、今一度私たちは考えるべきではなかろうかと思います。

たとえばいじめ問題。この問題は毎年話題になっていますが、戦後教育が始まって一度でもこの問題が消えたことなどあるのでしょうか。

教員たちは「いじめはいけない」とただただ言葉で指導して統制を図ろうとしていますが、生まれてしまう根本的要因はこの教育システムにあるのではないのでしょうか。

同年代だけでまとめたクラスの中では、知らず知らずのうちに子供たちの中でライバル心などが芽生えてしまうこともあるでしょう。さらに成績によって序列が生まれるしくみの中では、劣等感を抱えたり、一方で欺瞞を抱える子供がでてきて不思議ではないでしょう。そうして学校の中で知らず知らずのうちにカースト制度が出来上がってしまうのも不思議ではありません。

教育方法ではなく、いまある学校の枠組みこそが、いじめをなくせない要因になっているように私は思うのですが、そこに異論を唱える人の声をメインストリームメディアでは見かけることはありません。

どうして私たちはこの枠組みを維持しようと考えているのでしょうか。

本当にこのシステムは、私たちの民族性を反映させて、立派な大人になるための理に適ったシステムなのでしょうか。

ここをもう少し深掘りして考察してみる必要があるように思いますし、今の教育が組み込まれた背景を見ていくと、非常に共産主義と親和性の高いシステムであることが分かってきましたので、やはり枠組みから見直す必要性があると、私は思っています。

 

今の学校制度は明治に始まったもので、フランスを模範として作られたものだそうです。

当時の日本は、欧米を勉強して理解していくためにも、良いと思ったものは積極的に取り入れていったと思うのですが、第一章でお話しした通り欧米の作り出す世界観は△のピラミッドで、日本が作り出す世界観は○の和(輪)です。フランスという西欧型社会の枠組みで作られた制度ですから、今の学校教育の中にあるシステムが否応がなしに△の形を定着しやすいしくみを持ち合わせていても不思議ではないと思います。

またフランスは、18世紀末(日本で言えば江戸中期)に、王の支配を否定し自由を求める市民によって起きたフランス革命によって、王権を倒し民主主義国家となった国です。そして、このフランス革命に影響を与えたのが、君民統治を理想として掲げていたルソーです。

彼の著書「社会契約論」では、理想の国家をこのように述べています。

「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分はやむを得ず民主主義を選ぶのである」

ルソーは君民一体となり国を統治する方法など理想に過ぎず実現できるはずもないから、民主主義を選ぶと言っているのです。しかし、ルソーが理想とした国家というものは、その時既に東洋の一番端の島国に存在していました。それどころか、二千年以上前には建国され、時を重ねていたのです。

また、江戸末期に日本に訪れた外国人たちが「日本の教育方法をルソーの『エミール』のようだ」と評価しているということは、その時既にあった日本の学習スタイルの方が西欧の理想に近かったと言えるでしょう。

しかしながら、フランスの理想を既に自分たちが持ち合わせているとは気がついていなかった祖先たちは、民主主義を導入しフランスを模範とした学校教育を取り入れてしまいました。封建制度にも問題はあったはずですが、民主主義にも問題はあります。それぞれの制度の良し悪しはあって当然ですが、封建制度を悪とし民主主義だけを善と考えるような現在の社会体制では、制度を深く考察することすらできなくなっています。これこそが問題だと私は思います。

また、当時の日本人は圧倒的に西欧の方が進んでいると思っていたはずなので、精神でも学ぶことが沢山あるだろうと考えていたと思います。だから、君民統治よりも、民主主義の方が進んでいる考え方だと勘違いしてしまったのか、もしくは民主主義を導入した上で、一歩進んだ君民統治を考えていたのかもしれませんが、気がつけばこのシステムの枠組みに知らず知らずのうちに人は縛られるようになってしまいました。そして、本来あるはずの民族性利点が活かせない構図の中でしか思考できないようになってしまいました。こうして、対等ではなく、管理する側と管理される側が出来上がるようになり、上下の感覚が強く刻まれるようになったのではないかと思います。

また、民主主義を主体とした思想の対立は明治後期から大正時代に華を咲かせていき、社会主義や共産主義の考え方も日本に定着していくようになりました。この背景には明治直後に導入されていった学校体制という枠組みは大きく影響しているはずだと思います。

それから、先ほど紹介した江崎道朗先生の著書によると、新たな教育方法を取り入れたことにより、明治の頃から庶民とエリートの間で大きく価値観が異なる状況が生まれていたようです。エリートたちは、日本が西洋のような産業国家にならない限り、西洋の植民地にさせられてしまうという恐怖にもの凄く縛られていたそうです。そのため、彼らは日本の伝統文化と自分を断絶させて、また、自分たちの国の歴史はどのようなものか、民族性はどのようなものかという一番大事なはずのことを見向きもせずに、ただひたすら西洋のものだけを吸収していく努力ばかりをしてしまいました。急務に迫られた焦りが、彼らの余裕を失わせてしまったのでしょう。そして、自分たちの民族性と比較した上で取り入れるべきものも、そのまま模倣してしまったがために、また現在においてもそれが続いているために、長期に渡っての思想の混乱がこの国で続いてしまっているように思います。

 

ちなみにフランスは、「フランス革命」に代表されるように、革命思想の強い国でもあります。先の項目で申し上げた通り、革命と維新は似て異なるものです。革命の心に潜む上下関係の心は、新たな上下関係を生み出しやすい側面があります。フランス革命で王権を潰した後に民主化するはずだったフランスの王座についたのは皇帝ナポレオンです。つまり、王権を潰したのにもかかわらず、またもや皇帝を生み出したのです。結局のところ、革命によるフランスの体制変革は明治維新のように大きく変わることができなかったのです。

やはり常に上下関係を考え、上のせいで下が疲弊すると考えてしまう状態では、良い社会は築きにくいのだと思います。下は上を思いやり、上も下も思いやりながら改善を施していく心持ちがなければ何事も丸く収まることはできず、角のあるギスギスした状態を作り続けてしまうのでしょう。

また、フランス革命によって生まれたのが社会主義思想です。共産主義は、社会主義思想に内包される考え方なので、そもそもフランス革命が起こっていなければ、ここまで日本を悩ませる種になっている共産主義などこの世になかったでしょう。

 

そして、戦後のGHQの政策によって日本の学校教育は、日本を否定していく革命理論を埋め込みやすくなっただけでなく、社会主義者や共産主義者の教員の流入も相次ぎました。そもそも日本が明治時期にフランスから輸入した学校システムは、超管理型社会を目論む社会主義や共産主義的とは親和性が高いものです。だから、学校がいつまで経っても軍国主義時代のような共産主義社会を色濃く印象づける現状から抜けきらないのも致し方ないとも言えます。

ただし、戦後から始まってしまった共産主義と親和性の高い社会体制と教育体制によって、私たちが知らず知らずのうちに革命思想に彩られ、その思想背景で物事を判断しているからこそ、どんどん心が苦しくなっている事態には気がつくべきだと思っています。