【重要】民主主義って感情論じゃないよ

最近テレビを見ていると、「民主主義=感情第一主義」としか思えない言動ばっかりが横行しているように思います。

こういうメディアの論調に多くの人が知らず知らずのうちに流されていないかと……、とても心配になっています。

 

メディアは人民裁判する場所ではありません!!

昼時のテレビ、特にフジテレビのバイキングとグッディにたまたまチャンネルを合わせる度に、あの番組はいつも個人の感情に基づいて「許せるか、許せないか」という事を延々と話し合っている印象があります。

あまりに不快なので数分も見ていられないのですが、ザッピングするたびに「許せるか、許せないか」という言葉が聞こえてくるので、よっぽどこの視点でしか番組作りをしていないのではないかなと思ってます。

ほんとこの光景に遭遇するたびに、タモさんがいた昼時ほっこりのフジテレビを懐かしく思ってしまうのですが……帰ってこないものはもう帰ってはきません。

ただ……フジテレビにも色々事情があるのでしょうが、番組予算削減に伴い手っ取り早くそこそこの視聴率が稼げる番組によって起きている国民への影響をもう少し考えてほしいなと思います。

特にバイキングが行っていることは報道でもバラエティでもなく、単なる人民裁判だと私は思っています。

人民裁判 wikiより

法律によらず私的に断罪すること。 しばしば集団の圧力で行われる吊し上げのことをいう。 社会主義国家で、職業裁判官と人民の中から選ばれた代表とが同資格でおこなう裁判。 中国の人民法院における裁判がこれに相当する。

 

そして、作り手側も自分たちのしていることが人民裁判だとも気がつかずに、これこそが民主主義だと思い込んでいる様子も感じます。

さらに、この番組の影響で視聴者も民主主義をより勘違いしてしまう構造が生まれているのではないかと思い、大変危惧しているのです。

 

 

法治あってこその民主主義です。

最近のメディアはやたらと自分にとって「許せるか、許せないか」をクローズアップしたがりますが、本来そのような感情は民主主義国家にとっては不必要なことです。

なぜなら、民主主義国家というのは、民衆の意見によって法が定められ、その法に従って国家運営することによって秩序を保っているのです。

ですから感情論以前に、おかしいとい思うことがあればこの国の制度や法律がどうなっているのか国民は確認せねばなりません。

そして、おかしいと思う制度や法律があれば、地元の議員に伝えて改善なりを行ってもらえるようにしなくてはいけません。

今テレビが行っていることは、それを端折って個人の感情の正論を戦わせることに執着しています。大変危険なことだと思っています。

なぜなら、この国の大前提が分からなくなり、感情に従って動くことが民主主義だと思い込ませることに溢れているように思うからです。

また、韓国がロウソクデモに沸いた時には、やたらとあれを美談仕立てにして報道したりもしていました。このように感情論によって法を乗り越える事が美学だと思わせるような訴求も多いように思います。

これは、民主主義ではありません。

革命理論が息づいた共産主義者の考えです。

 

共産主義は、感情主体の直接民主主義を求めます。

日本共産党は、一応革命思想を捨てたということになったおり、その前提で議会制民主主義の中で活動をされていますが、

彼らの行動を追っていくと「はて?」としか言いようがないことが多いです。

 

共産主義の考え方は、法よりも正しいのは共産主義であり、共産主義化することが正しい国の在り方となります。

そして、共産主義者の考える民主主義というのは議会内で話し合うことではなく、議会外で国民の声を集結させていくいわゆる「直接民主主義型」で世の中を変革していくことになります。

彼らが議会で話し合わずに、なぜか国会の外でデモなどをやりたがるのはそのためです。

彼らは彼らの感情論が唯一の正義であり正しいこととなります。

そしてこの正義を貫くためには、法に則らずまた暴力的であっても構いません。

それが、彼らにとっての民主主義となります。

 

そして、テレビは知ってか知らずか、このような共産主義者の根底にある考えを増長させるような番組作りをしているように見えて仕方ありません。

ですから、民主主義一つとっても個人の感情論が優先される世界だと勘違いする国民が量産されているように思います。

 

そして、問題なのは、知らず知らずのうちに私たちが誤認してしまうことです。

私たちが誤認していけば、誤認した世界がより強固となっていきます。

民主主義とは一体何なのか、その根本がテレビを見ているとより分からなくなっていきやすいので、改めて民主主義、三権分立などの根本を国民一人一人が確認し直す行為が、今必要かなと思います。

 

読者様のご要望を反映して、紙書籍作りました♪

だから、あなたの「幸せ」は苦しい。 (∞books(ムゲンブックス) – デザインエッグ社) 

電子書籍は半額以下です。(縦書きと横書きと2パターン用意してます。)
だから、あなたの「幸せ」は苦しい。【縦書き】
だから、あなたの「幸せ」は苦しい。【横書き】

本の内容一部を公開してます。
【特別公開】だからスピリチュアルに騙される

本の紹介ページはこちら↓
【お知らせ】だから、あなたの「幸せ」は苦しい。発売中

 

 

生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本

電子書籍は半額です。(縦書きと横書きと2パターン用意してます。)
生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本【縦書き】
生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本【横書き】

書籍紹介ページへ↓
【新刊発売】生きやすさを手に入れるための波動とエゴの法則を書いた本

 

 

 

 

6 件のコメント

  • こんにちは。

    >民主主義とは一体何なのか、その根本がテレビを見ているとより分からなくなっていきやすいので、改めて民主主義、三権分立などの根本を国民一人一人が確認し直す行為が、今必要かなと思います。

    ここは、かなり賛成です。
    実は、幸か不幸か(笑)、子供の頃から感じているのですが、(ひょっとすると日本に限らず)このあたりはかなりの混乱が見られるように思います。
    (それが、主義主張の違いによりコミュニケーションが全く取れない理由のひとつにもなっていると思いますが…)

    僕は、全く民主主義者ではないのですが(笑)、それを否定する気も全く無く、長い歴史の中で残ってきた一つの形態だろうとは考えています。

    で、改めて一人ひとりが確認した方が良いと思っているのが、
    民主主義 ←→ 独裁主義
    共産主義 ←→ 資本主義
    という、本来、個別に分けて考えなければならないことが、ごちゃごちゃになって語られることが、かなり多いように感じています(もちろん、理想的に共産主義を実現するために、どのような政治形態にするのが効率的かということも考える必要はあります)。

    マスコミで声高に語っている人(ブログ等も含め)や、政治家でも、そのあたりをきちんと整理して語っている人をあまり(殆ど)見ないのは、教育上の大きな問題なんだろうなぁと感じています。

    • こんにちは。
      実はこんな記事を書きながら、私も民主主義賛成派ではありません(笑)もっと合理的な統治方法はありますし、話すと長くなるから端折りますが、民主主義は非常に危険な統治方法だと思っているからです。
      革命論者が持ち合わせる定義は全て本来の定義の逆をいく性質があるため、彼らの声によって定義がぐちゃぐちゃになってしまっています。
      面倒くさいですが、みんなでそこからやり直す必要があるよなと感じています。

  • 人類には、民主主義は、まだ、早いのかもしれません。
    全員が悟りを開いたり、アセンションしてるわけでもない
    ので、集団を良い方向に持っていくのは難しい。
    すべての人がリーダーで、責任を果たしていくは困難です。縄文時代や江戸時代のようにいくのは、奇跡です。

    銀河英雄伝説おススメです。

    • こんばんは!
      そうとも言えますよね。民主主義というのは、情弱を洗脳したが勝ちの側面が非常に色濃いです。
      しかも、不安や恐怖、そして不満を訴えた上で理想を語り、民の欲求と自己保身を束ねて扇動する言葉の方が強力に人々をコントロールしやすくなります。
      となれば、人の自我(エゴ)は民主主義の方が肥大化しやすく、人々は己の保身と欲を軸にした生き方が当り前になりやすくなります。
      このような状況下に陥れば陥るほど、人は自らがリーダーになりたい渇望を抱きやすいものですが、それは新たな混乱を生み出す要因になっていくものでしょう。
      一方で、封建社会が身についている日本人はどんなリーダーの言葉であっても従順である側面があります。どのリーダーについていくかでこの従順さが仇になってしまう側面にもそろそろ気がつく時期だと私は思ってます。

      銀河英雄伝説教えてくださりありがとうございます!チェックしてみます☆

  • こんにちは、ゆりさん。
    今回の記事で「はっ!」とした気持ちがありましたのでコメントをさせていただきます。

    正しいか正しくないか。
    それはその立場にならないと本当のことは分からないと思います。
    ですから、自分の都合の良い解釈で白黒を付けることは、個人の心中では良いと思いますが、
    それを一般論として提示することは好ましくはないと考えます。

    どうも自分にとって都合の良い情報を鵜呑みにして、その意見が正解だと思う人は多いです。
    かつての私もそうでした。
    昔のマスコミはそうやって世論をコントロールしてきたのでしょうか。

    偽スピ系の方々も同様で、信者へ向けた言葉は「体裁の良い救いの言葉」であって、
    その言葉を探していた人々の胸に刺さります。
    都合が良いからです。
    教祖(または仙人)に依存し、自分を見失い、自分の足で立つことを放棄することは生きることを
    諦めていると受け止めてしまいます。

    「引き寄せで夢を叶える」
    「好きなことだけしてお金持ちになれる」
    「全ての人と事に感謝をすれば幸せになれる」

    間違ってはいないでしょうが、そこには大切なことが掛けています。
    自分で経験する。
    他人の経験では成長も幸せもないと思います。
    経験から積み重ねた学びに成長の糧があると思っています。

    刺さったものがただのトゲでは化膿するばかりなのです。
    そう感じました。

    相変わらずのブログ汚しをお許し下さい。

    • おはようございます。
      そうですね。経験値のないことを情報で評価するのは非常に危険が伴うだろうなと思ってます。
      ですから、民主主義って危ういんですよね。
      民衆は、必要な痛みがない方を選択したがるし、すれば選挙はそういう民衆に対する人気取りになる。そして、一番大事な問題は先送り。
      まさに今の日本がそうです。
      どうしてそうなるかと言えば、民衆は専門家ではないので現場の本音の思いまで、どんなに説明されても視野が広がりにくい傾向があります。そこに民衆の都合の良い反論があれば、当り前にそちらに流されてしまいます。
      そこが民主主義の危うさで、民主主義を採用するのであればそれこそ民一人一人が学習し自立し節度をもった行動が必要なのですが、民主主義が感情論だと思う人が増えれば増えるほどそれすら失われることになります。
      気をつけたいですね。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    CAPTCHA


    このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください