教育や思想という観点でこの150年と向き合ってみたら分かったこと。
この150年は思想に惑わされた時間だったと思う。
明治維新から今年で150年。
その150年の節目が後数日で終わりを告げようとしている。
この数か月、明治の開国から現代に至るまでの間に、どのようにして日本人の心持が変化していったのか、自分なりに考察してきた。
そして、結論として見えてきたのは、この150年という時は、思想というものに振り回されておかしくなってしまった時代という割り切りもできるなと思った。
西洋の主義思想が正しく見えた時代は戦前から。
明治の開国の時、日本は西洋と比べて自分たちの方が劣っているとしか思えなかっただろうと思う。
すごく遠い国から当たり前にやってくる技術を持ち合わせている彼らの方が、自分たちよりも大きく見えるのは仕方ないのだろうと思う。
だからこそ西洋の思想の方が、日本以上に素晴らしいものがあると思ってしまう人がいて当然だと思うし、実際の所日本以上に素晴らしいと思わせるものがあるのは事実だと思う。
ただ、思想という面だけを切り抜けば、その作業は深い遺恨と混乱を招くだけのことだったのではないのかなとも思う。
思想よりも道理でしょう。波動でしょう。
結局思想を紐解いてみてつくづく思うのは、思想なんてものは民度によってとらえ方も使われ方も変わるということ。
そして、思想を軸に考え出すと、こんがらがってしまい物事が複雑になってしまうということ。
人には必ず感情があり、その感情はその感情に適する事態に遭遇することによって発露するしくみになっている。
そのしくみに沿った動きをすれば、それ相応の結果が得られることに過ぎず、
思想云々で何かが変化することは基本的にないように思う。
そして、その思想の根幹となるものには、波動が起因するものと今の所私は考えており、その波動の状態は民度という形で表に現れるものだと思ってる。
思想で戦う時代はもう終わりにしたいよね。
共産主義であれ、社会主義であれ、国粋主義であれ、どの主義主張の思想であったとしても、民度さえ高ければ上手く行く。
ただし、その主義主張の根幹にある神の数が少なくなればなるほど、不思議と民度は低下する。
どの宗教だから、どの思想だから良いのか悪いのかではなく、
矛盾の無い道理の上で生きることができる状態になれば、不思議と民度は高くなり、治安は保たれるようになると思う。
道理の上で生きるだけのことなのならば、本来思想など不必要な話ではないかと最近特に思う。
日本人が無宗教と言われる所以は、道理に沿った上で多くの人は生きてこれたから、思想に無縁でいられただけのことではないかなと思う。
それが思想を持ち合わせていないことが野蛮だとか言われたもんだからおかしくなってしまった。
西洋社会は常に思想の対立が起きていて、その思想の対立こそがインテリの証でもあるように見えたから、これこそが進化だと思ってごっそりその傾向持ち込んじゃったけれど、どんな思想も道理には敵わないんじゃないかなって思う。
どんな綺麗ごとも道理には敵わないんじゃないかなって思う。
どういう時に人は怒りを感じ、どういう時に人は悲しみを感じ、どういう時に人は寂しさを感じ、どういう時に人は生きる喜びを感じるのか。
そういう当たり前の心の動作にあった活動の循環を模索していけば、人は普通に生きられるように思う。
というよりも、その普通の循環はたった150年前の日本社会にはあったのだと思うと……やっぱりバカバカしいなと思うことは多い。
それでもあの当時にはあの当時なりの、私たちには分からないしがらみやストレスはあったのだろうと思う。
それ以上に、西洋の脅威というものは、あまりに大きなものだったのだろうと思う。
あれからもう150年も経って、敗戦国となって70年も経過したのだから、そこら辺含めてやり直していくべきだよなと思う。
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おはようございます。
今回も大変興味深い記事をありがとうございました。
偶然ですが、昨日に知り合いと雑談をしている際にこんな話を聞きました。
「ヨーロッパの人って意外と日本人のことや日本文化を知らないんだよね」
「だから、何でも日本と比較するんだ」
「それと日本の隣国の歴史も知らないんだよね、民族の変化が歴史になっていることとか」
私は歴史に全く疎いのですが、ヨーロッパだけでなく他の国の方々も、自国に関心がないのでしょうか。
そう考えると、一部の方を除き、日本人も国のことにあまり興味がないと思うことがしばしばあります。
昨日の辺野古のお話しでも感じたのですが、教養を持ち合わせていなく感情だけで公式な場で発言をする。
自分の影響力を良く理解せずに、無責任に同意者を募る。
日曜日の朝に放映しているTV番組でも辺野古のことが取り上げられ、某有名芸人が発言者をかばったとのことでした。
その芸人の発言も読ませてもらいましたが、私には「同類?」と思えて仕方がありませんでした。
主観に偏ったコメントをお許し下さい。
教養がない人の方が、薄っぺらい感情論で全てが解決すると思っている傾向が強いように思います。
そして感情こそが正論だと思っているので、全体像が見えず自分が正しいという気持ちが強くなるように思います。
だから、それが恥ずかしいとかそういう感情が育たないんだと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久さん こんにちは。
唐突ですが、アインシュタインが娘宛てに書いたとされる手紙を、2年前に見てコピーしていました。その内容が心に残っていましたので、勝手ながらここで一部分を紹介させていただきます。
【もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。
恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貧欲を完全に破壊できる強力な装置、愛の爆弾を作る準備はできていない。
しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、しかし協力な愛の発電機をもっており、そのエネルギーは解放されるのを待っている。
私たちがこの宇宙的エネルギーを与えかつ受け取ることを学ぶとき、愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。
なぜなら愛こそが生命の神髄だからだ。】
人間の本質は愛と光。しかし私たちは生きていく中で、たくさんの心のゴミ(エゴ)をつけてしまいました。愛が一人ひとりの心の奥底にあることを忘れて。愛に目覚めるとは、心のゴミを取り払うこと。捨てられず執着してしまうのが人間の弱さかもしれませんね。
宇宙最強のエネルギーは【愛】だったんですね!
愛の反対語は正義 とも言われています。
(アインシュタインの手紙 娘)で検索すると手紙の内容を見ることが出来ます。
こんにちは。
愛というものも、使い方を間違えれば大きなエゴになっていきます。
言葉って難しいですね。
あまり難しいことを考えずに、ただ今日一日何かの役に立つ「一日一善」をモットーに生きる方がこの言葉に沿う生き方になるような気がします。
やはり日本の古来からの心持ちを見習い取り入れ、そこに満足を感じられる心持ちが一番アインシュタインの求める形になるのではないのでしょうか。
アインシュタインは日本に来られたときに「日本人は、他のどの国の人よりも自分の国と人びとを愛しています」と言いました。
かつては考えずもそこにあったものを思い出して生きたいですね。
お返事ありがとうございます。
愛と言う言葉はよく使われていますね。
精神世界とかスピリチュアル、歌の歌詞等など。
愛にも無条件の愛と条件付きの愛と2通りあり、この世の中はほとんどが条件付きの愛だと思いました。本物の愛は、相手に何も求めない。
お互い束縛しあい監視し合っている夫婦やカップルは、条件付きの愛なんでしょうね。(私自身も人のこと言えませんが、目の前の生活を感謝の気持ちで過ごすことを忘れないように!と思っています。)
そうですね。
愛は誤解しやすいですし、知らずうちに正義も育成しやすいから、あまり考えないくらいが丁度良い気がします。