私は最近なぜ、恐怖喚起とも受け取られるような記事を沢山あげているのか、このことについて説明したいと思います。
恐怖喚起は低波動を推し進めるのではないの?
最近、私は「出したものが返ってくるから、覚悟して生きましょう。」
的な事を
突然沢山書かせて頂いております。
一昨日は「神様がいなくなってる」っていう私の中にある感覚を素直にお伝えしました。
このような事を書けば、ある種恐怖喚起とも受け取られやすいのは事実です。
神がいるのかいないのかなんて、検証しがたい情報ですしね。
それに、常々私は、「恐怖という感情は波動低下を引き起こすよ」という話もしております。
すれば、「言っていることとやっていることは違うのではないか?」という疑問も持たれて然るべきだと思います。
ということで、なぜこのようなことをお話ししているのかということと、それから、恐怖の質の違いについてお話できればと思います。
恐怖は、現実を直視しても逃避しても生まれるものです。
本来、人間が日常的に恐怖を感じなくてはならない環境にいることがそもそもおかしいと思っていますが、それは人間が低波動化してしまい、社会全体が低波動化してしまっているから起きていることだと、散々書かせて頂いております。
だから、エキサイティングな予言や情報には気をつけろ!と私は常々お伝えしています。
第二章 光の特性を理解する ~天は未来を内包しているが、未来を決定している訳ではない~
どうして気をつけろとお伝えしているかと言えば、これは現実逃避に繋がって行くからです。
今の現実を直視すれば、どうにもこうにも辻褄が合わないとしか言いようがない未来の恐怖に怯えることは、現実を誤認させ、不安を高め、さらに行動が明後日に向かって行きます。
だから、気をつけてほしいのですが、エゴに心が支配されると、人は気がつかぬうちに、現実を直視できなくなります。
そのため、事実としておかしなことを言っているのにそれに気がつきません。
またエゴに支配されると「未来に不安を感じる話の方が馴染むようになる」ため、人の心はトンデモ理論としか言いようがない、陰謀論的なエキサイティングな情報にリアリティを感じていくようになりますが、こちらに嵌まってしまえば、現実を生き抜くことはできません。
一方で、事実を直視するからこそ生まれてしまう恐怖というものは必ずあります。
たとえば、日本の安全保障の問題。
先に示した予言や陰謀論でこの世が動いていると勘違いしてしまっているスピリチュアルリストの方々は、「憲法九条があれば世界平和に繋がる」、「沖縄基地があるから戦争が起こる」と事実誤認甚だしいスローガンを掲げ、自らの中に宿った「正義」を盾にヒーローやヒロインを演じたがりますが、
事実をきちんと認識すれば、「憲法九条があれば世界平和に繋がる」なんて事はあり得ず、この憲法によって利益を得るのは、日本を侵略しようとしている中国や朝鮮半島などの国々だけなのです。
また「沖縄基地があるから戦争が起こる」のではなく、なくなれば沖縄県はすぐに中国に支配される危うさを持ち合わせています。
事実は「沖縄基地があるから戦争が起こる」のではなく、「沖縄基地があるから戦争が起こらずに済んでいる」と言えるのです。
また、地球の環境はメディアや所謂左派の人たちが言いたがるような、平和に満ちたものではありません。他国のプロパガンダと国内の工作員おぼしき人たちの連携した活動によって、ジワジワと侵略されているのが事実です。
この現実を直視すれば、事実を直視した上での恐怖という感情は否が応でもわいてきてしまうものなのですが、現実を直視した上で生まれる恐怖をエゴはなんとしてでも阻止しようとします。
なぜなら、たとえ恐怖という感情であっても、意識が現実に留まるとエゴは収縮せざるを得ないからです。
だからなのでしょう。
現実を直視した上で感じる恐怖は、多くの人は「臭いものには蓋をする」ように見てみない振りをして、現実を逃避した上で感じる恐怖はエキサイティングに楽しみます。
日本の安全保障に関わる最も私たちの身の危険に重ずる問題に対して、多くの人は直視した上で生まれる恐怖から目を背け、理想的なスローガンに走ってしまいがちです。そしてこの行動パターンは、エゴによって作り出される感覚の違いを最も分かりやすく演出してくれていると感じています。
まず気がついてほしいのは、
あなたが持ち合わせる恐怖には必ず二種類あるということ。
そして多くは現実直視した上で起きた恐怖に対しては、弱腰になり見ないようにしようと試行錯誤する心の癖をエゴによって抱えていること。
この点に気がついてほしいなと思っています。
現実を直視した上で感じた恐怖は乗り越える必要がある。
二年前に百田尚樹さんが書かれた「カエルの楽園」は、今の日本の現実を直視しまくった上で書いた寓話なのですが、なんとも薄気味悪い恐怖の味わいがありました。
そして、恐怖の味わいとしては、現実逃避の上で感じる恐怖よりも数倍強い恐怖感を一瞬は味あわなくてはならないため、拒絶反応を示す人も多くいたことを覚えています。
ただ、目の前にある現実を直視して生まれてしまった恐怖というものは、覚悟を決めて向き合わなければなりません。
カエルの楽園には、日本の安全保障の根幹となる事が書いてあるのですが、「怖いから」という理由で、今の現実から予測できる未来の恐怖を直視せず逃げれば逃げるほど、必ずその恐怖通りになるのです。
だからこそ、その恐怖を受け止め、越えて、その上で生きる必要性があります。
そうしなければ、その恐怖の日常が現実となるのですから。
最近の私がお伝えしているお話の軸は、百田さんが書かれた「カエルの楽園」を同じ線上にあるものです。
だから書いています。
直視した上でこの恐怖をそれぞれ乗り越えてもらえたらいいなと思って書いています。
なぜなら、直視して腹が据われば、この恐怖もあっという間に過去のものになるからです。
この恐怖は未来にあるものではなく、今ある恐怖なのです。
恐怖を感じる場所が、「今」にあるものか「未来」にあるものか、よくよく注視して情報を受け取ってみてください。
そして、私の情報に限らず、自分の抱えている恐怖が「今」にあると思った時は、腹を据わらせて現実を真っ正面から受け止めて、その恐怖を克服していく努力をしていきましょう。
すれば、恐怖を感じていた時間は過去のものとなり、その現実を前提とした合理的な判断がし易くなるはずです。
さらに、恐怖を克服したことで、波動は一層向上するものだと確信しています。
だから、書いています。
それではこれからも宜しくお願い致します。
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こんにちは。いつも有益なメッセージありがとうございます。
仕事中なので、一言だけ。
何となくなんですが、「恐れ」と「畏れ」ということを整理すると、竹久さんの言いたいことがわかるような気がしました。
これからもよろしくおねがいします。
さすがひでぽんさん!!
「恐れ」と「畏れ」ね!!!!!
めっちゃ盲点でした!!
意味の違いと感覚の違いをはっきりと理解したことがないので、早速この違いを勉強致します。
いつも有益なご指摘ありがとうございます。
自分で書いて思ったんですが、この「恐れ」と「畏れ」の違いを意識していない(混同している?)というのが、天皇制を含めた君主制を「ファッショだ!ファシズムだ!」と騒ぎ立てる人たちの、一つの原因になっているのかもしれませんね。
あっ!!その感覚すごくよく分かります。
確かにその違いを混同しているからだと、私も思いました。
ただ、違いを人に説明できるような語彙が生まれてきません。
勉強しなきゃ☆
いつもありがとうございます!
こんにちは。ちょっと時間があるので、あくまでも自分の感覚的なものですが…。
「恐れ」というのは、ざっくり言えば、心の不安から湧き起こるものであり、「畏れ」というのは、自分では手の下しようのない大きな存在、上位の存在、例えば神とか自然とか、そういったものに対する敬意のような意味を含んでいるのかなと思います(畏敬のような言葉を使うとわかりやすいかもしれません)
そう考えると「恐怖が波動低下を招く」というのは、不安感が波動低下を招くということにもつながり、偽スピの教祖様たちが不安感を煽るというのもわかりやすいような気がします。
一方、先日の記事にあったような「神の存在を感じない」などと言う場合には、正に神様への「畏れ」「畏敬」と関連する事柄であり、これは不安というよりも、自己認識・自己反省・内省による謙虚さを生み出すのではないかという感じがします。
ただ、これについても、神様に対して「依存」するような感情をもっている人にとっては、依存対象がなくなってしまうという不安につながるということも考えられますので、「恐怖喚起」と受け取られる場合もあるのかもしれませんね。
便宜上、神様という言葉を使いましたが、神様でも自然でも何でも良いのだと思います。ただ、自分自身が手の及ぼせない、それでいて、その一部だというような感覚を持っていれば、あまり、先日の記事に対して、波動低下を招くとか、恐怖喚起というようなことは考えなくても良いのかなと思いますよ。
(竹久さんは、「自分というのは、自然の一分」という言葉で表していましたっけ?それで良いのかなと思います)
うわ~!!!!私が上手く説明できていなかった部分に関して、とっても分かりやすく、しかも私の中の言葉の中に曖昧さを含ませてしまっていた部分に関して、分かりやすく解説して頂き、本当にありがとうございます。
私の中にあったモヤモヤとした部分がひでぽんさんのおかげでスッキリ致しました。
本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願い致します。