昨日、日本の始祖である神武天皇が祀られている橿原神宮で紀元祭に参加してきました。
詳細はこちら↓
昨日は興奮のまま眠りにつきましたが、今朝になって一枚の写真がどうしても気になるようになりました。
そのことを今から記事にします☆
朝の光の意味は?
平成30年2月11日。
紀元祭の朝は優しい太陽の光に包まれました。
私はこの日の朝のことをいつでも思い出せるようにブログに残しました。
そして今朝、この記事の中に残して置いた一つの写真が急に気になりました。
松田聖子の名曲「瑠璃色の地球」を思い起こさせる朝日!
朝日が水平線から光の矢を放っている!
ではありませんか!ヽ(*’0’*)ツ
はっきりとしっかりと……。
朝日が水平線から光の矢を放っている!
ではありませんか!ヽ(*’0’*)ツ
私は昨日の紀元祭で、天と地が繋がれていく感覚だけはしっかりと受け止めていました。
だからね…
だからね…
今日、冷静になって考えてみると……思う事があるの。
伝説の地とされている……いや架空とされている高天原が昨日再び繋がったんじゃねぇの????って思えてしかたないのです。
え━━━(゚o゚〃)━━━!!!
って(笑)、書いてる私も、相変わらずぶっ飛んだこと書いてるなとは思うけれど(笑)、まぁ誰にも迷惑かけない自分のサーバーブログで突拍子もないこと書くくらいは良いんじゃないかなぁと思うのでσ(^_^;)
いつも通り好き勝手に書いちゃおうっと♪
高天原とこの世の関係
ちなみに高天原とはこのこと
高天原(たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は、『古事記』に含まれる日本神話および祝詞において、天津神が住んでいるとされた場所のことで、有名な岩戸の段も高天原が舞台である。
『古事記』においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国産みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたと推測される。天照大神が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられた。須佐男命にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。 葦原中国が天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギが天降り(天孫降臨)、以降、天孫の子孫である天皇が葦原中国を治めることになったとしている。
古事記に登場してくる天界。
天照大御神など高天原の住人たちは、私たちの世界とは別の世界で生きているのですが、いつも私たちを見守っていて、天孫たちがピンチになると剣などアイテムを送ったりしてこの世と天界が上手に繋がり続けられるようにいつも試行錯誤されていることが古事記には書かれています。
ただし、今の世を生きる私たちには、この話はファンタジック過ぎるため、神話とされフィクション化されつつありますが……。
やっぱりこれ本当なんじゃないでしょうか。って最近は思うというか、今日からそう思えて仕方ないです。。。
今までの私は、日本神話の高天原をどのように受け止めればいいのか分からず生きてきました。
だけれども、それは完全に高天原と断絶した世界に生きていたからなのではないかなと思うのです。
色々霊界関係の本を読み漁って分かったことは、天界は天界のままに物質界に現れることができないため、天界の意思を継いだ者たちが、少しずつ波動低下を起こして物質界に人として現れます。それが天孫とされる我が国の皇室の歴史でもあります。
しかし、天孫が実在する日本と言う国であっても、もう随分とっくの昔に高天原が直接的な影響を与えれることができない現状が生み出されてしまっていたのではないかなと思うのです。
直接的な影響とは、古事記に残るピンチになるとなぜかすごいアイテムが高天原から投げ込まれるなんだかドラクエ的なパターンなことです。
例えば霊剣。
古事記では地上に降り立った天孫がピンチになると、なぜか毎度剣が投げ込まれます(笑)
昔はよくそういう事が起きたみたいだけれども、なんか最近は全然起こらないから(笑)フィクション化してるけれど、やっぱ本当なんじゃないの?これ。
特に有名な3剣はこれ
- 天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ、あめのむらくものつるぎ)
- 三種の神器の一つで、熱田神宮の神体である。草薙剣(くさなぎのつるぎ・くさなぎのけん)・都牟刈の大刀(つむがりのたち)・八重垣剣(やえがきのつるぎ)とも称される。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。
詳細は「天叢雲剣」を参照- 布都御魂(ふつのみたま)
- 記紀神話に現れる霊剣。韴霊剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う。佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)とも言い、「ふつ」は物を断ち切る音を表す。
詳細は「布都御魂」を参照- 天羽々斬(あめのはばきり)
- 日本神話に登場する刀剣。天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)、布都斯魂剣(ふつしみたまのつるぎ)とも言う。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される。ただし、十握剣については様々な場面で登場していることや、「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから、一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。
詳細は「天羽々斬」を参照
この光…布都御魂なんじゃねぇの?
ちなみに私はこの光が、なんでか分からないけれど、布都御魂に思えて仕方ないの。
布都御魂は石上神宮の神様でもあるのだけれど……霊剣なの。
神武天皇をお助けした霊剣
神武天皇は「東方に国の中心で、すばらしく美しい土地がある」と、九州の高千穂宮を出発し、船で海を渡り、大和に向いました。途中幾多の困難に遭遇しながら進んでいきます。熊野では賊の毒気にあたって全軍が壊滅寸前の状態に陥ります。その時に高天原から降ろされた一ふりの横刀(たち)(またの名を布都御魂・ふつのみたま※日本書紀では韴霊・ふつのみたま)を、高倉下(たかくらじ)が神武天皇に捧げます。するとこの横刀のもつ不思議な力、起死回生の力によって神武天皇の一行は蘇り、賊も退散。神武天皇は、無事に大和を平定することができました。
Wikipedia先生にはこう書かれています。
布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣。韴霊剣、布都御魂剣(ふつみたまのつるぎ)とも言う。佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)とも言い、「ふつ」は物を断ち切る音を表す。
建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。
神武の治世にあっては、物部氏、穂積氏らの祖と言われる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が宮中で祭ったが、崇神天皇の代に至り、同じく物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)の手によって石上神宮に移され、御神体となる。同社の祭神である布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、布都御魂の霊とされる。
ちなみに上の説明にはこっそり書かれてるけれど、個人的にはめっちゃ気になる記述が埋もれています。
「ふつ」は物を断ち切る音を表す。
気が付きました?
そう、この間2月11日の境で波動上昇が起きるよって書いたけれど……
だから、現実と向き合っていないスピリチュアルリストとかガチでヤバい現実がやってくるよって書いたけれど……
↓その記事
波動上昇とかそういうレベルじゃなくて
「ふつ」は物を断ち切る音を表す。
そのまんまに、断ち切られてしまったのではないかと!(´Д`;)
私も微力ながら、力の限りやれることはやったし……もう仕方ないよね。
そして断ち切る代わりに、こちらの世界はどうもしっかり高天原との繋がりが再びもてたような気がしてなりません。
やったね!みんな~!やったね(*^▽^*)
古事記の時代のように、天界から直接物質的なモノが落とされるのもリアルな日常として誰もが体験するのもそんな遠くはないような気がします。
例えばあっこちゃんの家に落とされたドラゴンボールみたいに(笑)
波動がどんどん上昇していけば、あっこちゃんのような心の清らかさは特別ではなくきっと当たり前になると思います。
そうしてあっこちゃんのような清らかな心の人の元になにかしら天からのプレゼントは降りてくるのではないでしょうか……。
まぁ天からのプレゼントは、冒険とセットで届けられるので……単純に有難いだけでは済まされませんが(*’艸3`):;*。 プッ
まぁ、こういう体験をしていく人が増えるんじゃないかなって、今の私は思っています☆彡
厳選!瑠璃色の地球
それでは、せっかくなのでみんなで今日は瑠璃色の地球を聞きましょう。
検索駆使して、良い「瑠璃色の地球」を集めてみました!
やっぱり聖子ちゃんね!
この頃の歌い方がやっぱり聖子ちゃんらしくていい!
聖子ちゃんじゃなくて明菜派な人にはこれ↓
最近の聖子ちゃんでききたい人にはこれ↓
近年独特の粘っこい歌い方が私は苦手ですが、2番手に歌う娘のさやかちゃんの往年の聖子を思い出す歌い方で全てを洗い流してくれます。
でも、やっぱり一番はこれかな↓
今日はみんなで瑠璃色の地球に浸ろう♪♪
追伸……生駒山と石上神宮
追伸……実は、紀元祭の前日……私は、宝山寺に泊ったのだけれども
だから宝山寺で体の浄化をすることになったのだけれども……
本当は石上神宮にお参りに行きたかったの。だから別の場所に泊ろうとしてたのだけれども……あり得ないようなトラブルが続いて、宝山寺に泊ることになりました。
今思えば……お前のすることは一日早い!っていうことだったのかなぁと思ったりしてます(笑)
ちなみに生駒山は以前に反対側の石切に泊り、枚岡神社にお参りしたことがあります。
ここも神武天皇ゆかりの神社で、つまり生駒山自体が神武天皇の平定の為の足跡が詰まった場所なんです。
まぁ自分の意思で宝山寺に泊った訳ではありませんでしたが(笑)……再び生駒山に泊り、神武天皇の平和への足跡を感じさせてもらえたことはやっぱりありがたかったなと思います。
今日のリンク集
今日もリンク多かったのでリンク集作っときました♪
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