【馬鹿馬鹿しい】あっちもこっちも虚構の概念

2018年10月29日

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔」の著者から言わせれば、

共産主義も資本主義も、そして民主主義も、ユダヤ人が私怨を元に国家転覆を図るために生まれた虚構の概念だそうだ。

どれもこれも、論として穴が多すぎると思っていた私は納得すると供に、この枠内でしか会話できないこの社会のあり方がどうしようもなく馬鹿馬鹿しいと思えて仕方がない。

 

そもそも共産主義など成り立つはずがない。

中学生になった頃、共産主義という言葉を覚えた。

きょうさんしゅぎ
【共産主義】
財産の共有を目ざす主義。特に、マルクスが唱え出した、生産手段の社会的共有により、階級や搾取のない、万人の平等を目ざす、科学的な社会主義。

 

幼き頃の私は、自分の生まれた土地が共産主義の土地だと疑わずに生きていた。

なぜなら、大企業の城下町に生まれたからだ。

父親たちはみな同じ会社か、その関連会社に通う。そして、同じ目的達成のの為に生きていたし、労働賃金もほぼみんな同じだった。

共産主義だと間違えてもおかしくない社会環境だけがそこにあった。

実際に私の生まれ育った土地は、マルクスが唱えた虚構の理論を実現化したとしか思えない土地だった。

 

だからこそ、中学生の私は勘違いした。共産主義とは、自分の土地のような社会の言葉を指す言葉なのだと心底勘違いした。

しばらくたって、自分の土地が資本主義という概念の中で、世界NO.1の企業だと知ることとなり驚いた。

共産主義なのだと勝手に思い込んだ「私が生まれ育った土地」が、世界でNO.1の企業であり、資本主義の象徴となるのかが全く分からなかった。

そして、日本共産党から敵視される立ち位置であるのかも、全く分からなかった。

マルクスが提唱した概念を実現しているはずなのに、共産党に敵視されている理由が全く分からなかったのだ。

だけれども、今なら分かる。

そもそも共産主義など、虚構論だからだ。

競争社会の中においてでしか、マルクスが提唱した社会など実現不可能なのだ。しかもそれは、そこに住まう人々の民度の高さが無ければ実現など到底しないことを、私は自分の生まれ育った土地が資本主義社会の中でマンモス企業となっていく過程の中で理解するようになった。

 

 

日本は、戦前までの君主の役割とは、民を守ることであった。

上に立つ人は、民の幸せの為に孤軍奮闘し、身を捧げることにあった。

その上で、初めてマルクスが提唱した世界は虚構から現実に変わるのである。

最初から、全てが同じであることを善とする社会の中で、それが生まれるはずはない。

そんなことをしたら、人は当たり前に腐るんだ。

 

資本主義は経済概念でもなんでもなかったらしい

共産主義という概念を作ったのが、ユダヤ人(マルクス)であったと知った時は、それ相応のショックがあり、しかもこの本を読んで、それは最初から国家転覆を図る為の虚構概念であったと分かってしまった時のショックは、これまた大きいものだった。

 

だけれども、資本主義もそうだったのかと分かった今は、これまた脱力感が大きい。

私は、資本主義社会の形に疑問を覚え、会社を辞めた。

資本主義社会の枠組みの中でどんなに頑張って考えても、絶対に人は不幸になるっていうことに、絶対的な確信を覚えたから。

だから、まずは離れてみようって思ったんだ。

離れてみて、客観的に見て考えることをしようと思ったんだ。

 

そして、少しずつ何がおかしいのか分かってきた。

資本主義社会というのは、上昇気流に乗らなければ生きていけないと私たちに感じさせるものに溢れている。だから、私たちは上昇しようと頑張るが、頑張れば頑張る程、不幸になっていくんだ。

頑張れば頑張る程、みんな苦しくなるだけなんだ。

その心のしくみにについては、電子書籍としてまとめ上げるところまではできた。

 

上昇しなくては幸せになれないという思い込みを植え付けるのに最適な「資本主義」という考え方も、そして一律こそが幸せだと思い込む「共産主義」も、どちらもおかしいと思うようになっていった。

そして、どちらもおかしいと思っていたその根源は、そもそもユダヤ人による国家転覆のための理論であったことが「日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔」であったことが分かって、悉く馬鹿馬鹿しいと、今は思ってる。

 

なのにも関わらず、今の世界は、共産(社会)主義か、資本主義でしか、討論しにくい。

そもそも人間が生きる上で間違った方向にしか向かわない対象物でしか、会話できない。

悉く馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。

 

どっちも間違ってるんだ。

どっちの思想に傾いても、築き上げるのは搾取社会であって、循環型社会ではない。

結局、どっちがましかという事で話し合ってるだけで、どこまで頑張ったって本質に辿り着けるはずもない。

 

そこに、割って入ってくる考えが民主主義だ。

これはユダヤ人が考えた君主制度を崩壊するための施策であって、日本のような君民一体型の君民共治をしていた社会には、そもそも必要ないことだ。

民主主義は、感情にほだされやすく、目の前にメリットがあるように見える事項の言葉に流されやすい。

あっちもこっちもの意見を取り入れたら実現できなくなるだけでなく、おかしなことになるだけ。

何かを実現するためには、どこかで苦労や苦痛は当たり前に生じる。

万人が何の苦労もなく理想に辿りつけるなんて、あり得るはずがない。

もちろん、日本の民主党政権時代を振り返ればありありと理解できるように、あっちもこっちもの意見を取り入れれば、何一つとして実現できることはない。

 

民主党はあんだけいい言葉だけを振りまいて、何一つ実現できなかった。

 

 

これが現実なんだ。

 

実現不可能なはずの理想だけ並べられても、それがマニフェストと言うのならば、実現すると思って、人は投票する。

その感情論で動かされてしまうのが、結局民主主義なんだ。

 

そもそも、搾取される君主の下にいるよりは良いだろうということで生まれたのが民主主義であって、搾取などせず、民のことを思い国の為に生きる君主の下にいる国民であれば、民主主義などそもそも必要などないことなんだ。

 

民主主義は、人間の欲に反応する言葉を埋め込めば、幾らでも他国の介入が可能になる。

その他国の甘い言葉が、全くの嘘であっても、それを民が信じれば、他国が日本を簡単に乗っ取ることだってできてしまう。

これが、民主主義の危うさであり、虚構論であると言える一つの理由。

 

とはいえ、今の日本が一気に上を信頼する君主統治になったのなら、それはそれで危うい。

その危険性は、民主党で充分味わった。

今の日本は、民の上にいる人が日本の犠牲になると腹を据えて動いているわけではないのだ。

 

馬鹿馬鹿しく面倒臭い時代だと改めて思う。

でも、この状態のまま、次の世代に渡すことなど到底できない。

私たちが気が付いたこと、分かったこと、できること、それは私たちの世代が精一杯やれるだけのことをして、そして次世代の踏み台になるべきだと思う。

次世代の踏み台として、いつかまた君民共治の日本に返り咲くために、ただ頑張るだけ。

それが、日本人が不幸せの蔓延から放たれる時だと思うから、とにかく頑張るんだ。それしかできることはないなって思うんだ。

 

新刊発売しました!

【紙書籍】

【電子書籍:縦書き】

【電子書籍:横書き】

書籍紹介ページへ↓

【新刊発売】生きやすさを手に入れるための波動とエゴの法則を書いた本

 

 

今日のリンク集

日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔