【壱岐・縄文祭】主催者の方々と話し合う時に気をつけた方が良いと思うこと

昨日、このような記事を書いたのですが、

一番大事だと思うことを書き忘れたと思ったので、追記しておきます。

 

世の中の一般的な正論や常識は理解できないと思って、対応してください。

今回、縄文祭の実態を見たことで、憤りを感じた人は多いと思います。

その思いの根本にあるのは、彼女たちが何かにつけて非常識であったこと。また島の方々への配慮がない上に、常識外れした自分勝手な振る舞いばかりをしていたことなどが、上げられると思います。

せめて、迷惑を掛けている事に気がついて謝ってほしいという思いを持つ人もいるでしょうが、根本的に彼らは自分の行動に対して、罪悪感というものがありません。

そこを知っておいてほしいなと思っています。

そもそも「自分中心に生きることが人を幸せにする」という考え方が軸にあるので、他者がどのように思うのか、考える視野も欠落している事が多いです。だから、罪悪感というものがすっぽり欠落してしまうのです。

ですから、なぜ相手が怒っていたりするのか分からず、また自分が批判を受けている理由も分かりません。

 

だいたい彼らは、批判されると、

出る杭は打たれる的な考えに転換されます。

後は、魔女狩りとか。

 

つまり、目立ったから怒られた

とか

正しいことをしているのに追放されている

みたいな感じで、自分に落ち度はないのに批判されていると思い込みます。

 

そして、本質的な問題点が何かが分からないままに、センチメンタルヒロイン的な立場を自らの中で作り上げていきます。

 

最終的には、「批判されても、私は負けない!頑張る!」みたいな感じのど根性で、再び歩き出しますが、今までの行動に対して反省することはありません。

というか、そもそも「どこまでいっても自分は悪くない」と思っているから仕方がないかもしれません。

ですから、反省は絶対にしないものと見ておいた方がいいです。

また、謝罪の弁など引き出せるはずもないと思っておいた方がいいです。

反省させることが主眼になってたりすると、論争が蟻地獄みたいなことになるので気をつけておいた方が良いと思います。

 

また彼女たちは、彼女たちを批判している人(アンチの人)の感情にあるのものは、「嫉妬」だと常に勘違いします。

「自分たちが幸せで楽しいことをしていることに対して、アンチは嫉妬している」のだと必ず思い込みます。

だから、「怒るなんてことしかできなくて可哀想」とか「人を批判するなんて、心が不幸せなんだね、情けないね」みたいな感じで、会話をしたところで、本質的な問題点には絶対に辿り着けません。もちろん、自身に問題があることにも気がつきません。

 

そういうことじゃないんだけれど!って普通の感覚がある人なら思うはずですが、彼女たちはそうは思いません。

 

また、全ての事において事実を直視できず、勝手に超ポジティブ解釈していく心の癖があることも覚えておいてください。

 

先日の縄文祭では、雨予定ではなかった壱岐で突如大雨が降り出したとのことで、普通の感覚のある人なら、「祟られてるよな」って感じに思うはずなのですが、主催者さんたちは、どこまでもポジティブにこの雨を解釈されておられました。

 

こういうタイプの人たちですから、普通の正論とか、普通の会話ができると思って対応しない方が良いと思います。

 

絶対に分かり合えることはないという大前提の上で、事実だけの会話を心がけてください。

すごく腹が立つことは沢山あると思いますが、腹が立ち感情に飲み込まれた瞬間に、彼女たちが意とする感情論のフィールドでこちらが戦わなくてはならなくなるので、どんなに腹が立っても、感情に飲み込まれないようにしてください。

とにかく、絶対に分かり合えることはないです。

こちらの正論を相手が理解できることも絶対にないです。

 

ですから、事実だけを積み重ねていく大人の対応で対処されるのがきっと良いと思ってます。

応援しています。