【知らないと危険】お稲荷さんをきちんと理解しよう♪

あっこちゃんから

薦められた本「お稲荷さんと霊能者」を読んだら

今まで不可解に思っていた稲荷神社のことが一気に理解できました。

なので今日は、自分の理解を促進させるためにお稲荷さんについての記事を書きます。

では始めます。

実はお稲荷さんがずっと苦手でした。

私は2011年から「いつの日も神社、時々たこ焼き」という神社備忘録ブログをやっていて、そのおかげで随分神社のことや古事記のことや神道のことに詳しくなることができました。

ただ、このブログを開設するずっとずっと前から、なんなら幼い頃からどうしても稲荷神社だけは苦手で避けてきました。

友達に「神社を100社回る」と言ったからには、稲荷神社も参拝しようと思っていたのですが、なぜだかどうしてもそれができませんでした。

でも早く100社回る目標を達成したいから、参拝はしないけれど神社の前までは来たので、カウントだけはしちゃうっていう独自ルールも作ってみたけれど、どうにもこうにも参拝できなかったんですよね。

カウントしてるけれど、参拝していない私の足跡(^_^;)

009 諏訪稲荷神社

013 東伏見稲荷神社

029 三囲神社

032 感応稲荷

040 花園稲荷神社

071 鳩山神社(川越)

087豊川稲荷(赤坂)

でも不思議なことに稲荷と名前がついていてもたまに大丈夫だなって思う場所もあって、そこは参拝することができました。

044 七倉稲荷神社

045 境稲荷神社

048 出世稲荷

076 出世稲荷神社(川越)

167 三崎稲荷神社 (東京 水道橋)

私が参拝できるかできないかの基準はものすごくシンプルで、神社に狐像が飾ってあるかどうかっていうだけの違いなのだけれども、私の中ではとても大きな波動の違いを感じていたの。

大きな神社であれば摂社に稲荷神社がだいたい祀ってあるのだけれども、どこにいってもそこだけは基本的に立ち入らないようにしていたの。摂社で稲荷神が祀られている場合、どこもすぐに稲荷だって分かるくらいの沢山の赤鳥居が並んでいるでしょ。苦手意識があるせいか、あそこだけ全く違う波動空間が生まれている感じがして、それで怖くて参拝とかできなかったんだよね。

細かな理由は分からないけれど、稲荷の常識が分からないなら近づかない方が無難っていう感覚があったかな。

その「よく分からないけれど、なんだか怖い」と感じていた理由

他の神社とは何かが違うと思っていた理由が

↓この本のおかげで一気に分かったの。

分かった上で思うことは、あの頃私は理由が分からないなりに「稲荷を避けていた自分を褒めてあげたい」ってことです。

だって、やっぱり稲荷って他の神社とは別世界だったから♪♪♪

これから神社を回る人は是非参考にしてね!

 

稲荷神は多神教です。

日本は他国には類をみない多神教国家で、様々な神が様々な場所で祀られています。

キリスト教であれば、どこの教会に行っても崇めるのはイエスキリストですよね。日本には3万以上の教会があるそうですが、どこでも崇める存在は変わりません。

一方、日本に神社は約8万社ありますが、キリスト教と大きく違うのは、それぞれ違う神が祀られているということ。ご神体となるのは、人に限らず、自然や山や海なども含まれます。

ただし、それぞれの神社に祀られている主祭神は1柱であることが多く、主祭神が複数の場合ももちろんありますが多くても3柱程度でしょう。

そして、稲荷と聞けば多くは、狐が祀られていると思われると思いますし、私も「お稲荷さんと霊能者」を読むまでは勝手にそのように思い込んでいたのですが、そうではないんですね。

稲荷と言えば、神社の中の一つの系列という風に認識されている土壌があるからこそ、みんな理解がややこしくなっていると思うのですが、

稲荷信仰は「稲荷信仰という一つの宗教の形」が形成されていて、そして稲荷信仰自体がそもそも多神教なんです。

この本のおかげでここに気がつけた時、長年私の中にあったお稲荷さんという不可解な存在の謎が大きくほどけたように思いました。

 

日本には神仏習合の時代と神仏分離の時代があります。

現在の日本は、神仏分離の発想で明確に神社とお寺が括り分けられていますが、神社と言えどお寺っぽい神社もあるし、逆にお寺に行っても神社が祀られていたりして、綺麗に括り分けができない世界になっています。そのせいか、神社とお寺の違いが分からなくなってしまう日本人も沢山いるし、外国人に至っては、より分かりにくい世界となっています。

どうしてこうなっているかというと、江戸中期頃までの日本人の発想が神仏習合だったからです。

アニミズム性の強い日本独自の神道と海外由来である仏教が曖昧に入り交じった独自の信仰観念が長い時間をかけて確立されていたんですね。

しかし、そこに異変が起き始めるのが、古事記の存在です。

すっかり忘れられていた存在になって読むことができなかった古事記を本居宣長35年研究して、誰もが理解できるような状態に解読しました。

すると、神道(神社)と仏教(お寺)は別物だから、別にしようという動きが生まれるようになりました。

さらに明治時代になると国の政策として、神仏分離が推し進められるようになるので、今まで神仏習合だからこそ成り立っていたお寺や神社も、どちらかにはっきりと括り分けされるようになりました。

だから、どうしても曖昧さが残ってしまうし、神社とお寺の明確な違いが分からないという事が起きてしまいます。

そして稲荷信仰というのは、厳密にいうと神道ではない信仰なのですが、括り分けされた結果神道の立ち位置にあるため、これも混乱の一つになっていると思われます。

 

お稲荷さんは、密教色の強い信仰

私はお稲荷さんのことが苦手ながら、できれば理解できるようになりたいと思った一番大きな理由には「伏見稲荷」の存在があります。


309 伏見稲荷大社(京都 伏見)

 

伏見稲荷は、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社であることもあるのだけれども、もっと気になるのは空海の存在。

伏見稲荷を大きくして稲荷信仰の体系化させていったのは空海なの。

なんで空海が?ってなるよね?

ならないかな?wwww

とりあえず私はなんで空海?ってなったの。

だって空海と言えば密教でしょ?

でね、密教って調べれば調べるほど、呪術なの。もちろん良い意味で。

だからね、私の中では、空海は僧侶ではなく、魔法使いなの。

その魔法使いさんが、神道の中で唯一人為的な臭いが強い稲荷信仰というものを作り上げたんだろうっていう興味は沸くし、

お稲荷さんは苦手だけれども、空海は大好きだから、このギャップを何とかして埋めたいとは思ってたんだけれども、情報が無い上に苦手意識が強いからどうにもこうにもこのギャップが埋められずにいたんだけど、ようやく分かった!

稲荷信仰は密教の魔法を取り入れた信仰で、神道とは明確な括り分けをすべき信仰であったということ。

 

お稲荷さんと向き合うなら、高い精神性が必要

私は理由も分からず苦手意識だけが先行して、近寄らずに生きてきたけれど、中途半端に精神世界に興味があるような人はそうであるべきだなと本当にそう思いました。

稲荷信仰には、明確にその使い手ともらい手が必要で、氏神様のような扱い(ただ単に祈れば良い)をすると、手痛いしっぺ返しがあると思います。

なぜなら、稲荷信仰は眷属神を多用するからです。

空海の呪術がどんなものを利用してやっているのかがいまいちずっと分からなかったのだけれども、空海の呪術は稲荷信仰で多用されている眷属神を利用したものが非常に多かったのではないかと今は思います。

そして、稲荷信仰の場合、気を許すと低俗な霊に振り回されるため、そんじょそこらの霊能者であってはダメなのです。

素養として霊能力がある上に、精神性の高さと自身のシャーマニック性を磨き続ける根性が必要となります。

なぜ空海があんな荒行ばかりをしていたのか、ようやく分かってきました。

空海は荒行によって、より崇高なシャーマニック性の開花を求めていたのですね。そのシャーマニック性によって、人々を救済しようとしていたのですね。

このような精神性の高い霊能者の影の役目があるからこそ稲荷信仰には意味があり、信者の悩みを解決したり現世御利益とも言えるものを手にすることができます。

でも、その使い手となる精神性の高い霊能者は現代の温室育ちの中では育まれにくく、さらに敗戦を受けた日本人の多くは稲荷信仰の本当の意味をみんなすっかり忘れています。

我欲にまみれた自己実現のための御利益を頂戴せよと言わんばかりの行動をしている中では、眷属界の制御はどうにもこうにも緩みがちというか、おかしくなっても仕方がないような気がします。

 

自分の精神性と向き合わずに、稲荷神社で自身の御利益だけを求めると危ないと思う

稲荷信仰の本当の意味を理解している精神性の高い霊能者の元で御利益を求める場合は問題ないと思いますが、

そういった存在なしに、ただただ自己利益を望む願い事だけを稲荷神社でするのは危険だろうなと私は思います。

さらにもっと危険なのは、シャーマニック性が開花してしまったばかりで高い精神性を携えていない人が、独学で稲荷信仰に傾倒してしまうことだと思います。

シャーマニック性を開花した時に、既に高い精神性を携えている人はまずいません。だから、シャーマニック性が突然開花しても、繋がれる意識というのは決して高い訳ではないということ。

参考になりそうな記事

第三章 波動の特性を理解する ~波動を下げないようにする方法②見えない世界編~

チャネリングするのは危ないことだからね!

 

そして稲荷信仰というのは、眷属神を多用した信仰だから、それが分からぬまま稲荷信仰にどっぷりはまれば、もちろん仲間になるのは低俗な眷属神ということになる。

神に高級も低級もないだろうと、見えない世界に詳しくない人は思うだろうけれど、調べれば調べるほど全然そんなことはない。

同じ人間でも徳の高い人と低い人がどうしても生まれてしまうように、神様と言えど高級と低級はどうしても生まれてしまうんだよね。

しかも眷属とは神の遣いの役目をする神様見習いとも言える存在たちだから、稲荷信仰をするためには、神様の思いと心を通じ合わせ、その上で眷属神を扱う必要が出てくる。だから、間に入る霊能者には高い精神性が求められるというわけ。

でも、それが分からない人が単純に稲荷信仰に走っちゃうから、低級な眷属神たちの良いカモにされちゃうんだよね。(´д`lll) 。

ちなみに、低級な眷属神の好物は「我欲」です。

稲荷信仰と本気で向き合う覚悟もなしに、自己利益のために稲荷信仰に傾倒していく人は、低級な眷属神のために世の中の我欲が増大する手伝いをさせられているに過ぎない状態に陥っていきます。

稲荷信仰も根本的には神道の哲学的原理は含んでいるのですが、信仰の中にある魔法の扱い方が、他の神道と違って、確実に複雑です。

昔から、稲荷信仰したらずっと信仰し続けなくてはならないから、安易に近寄るなと言っていた意味がよく分かってきました。

稲荷さんにお願いしたら、現世御利益がもらえるなんて甘い期待は危険ですよ☆

 

今だから分かる、私が入れる稲荷神社の違い

記事の最初の方に稲荷なのに拝むことができた場所とそうでない場所があったっていうのを書いたのだけれども、その理由が大分分かってきました。

稲荷は多神教だから、色んな神様がいらっしゃるの。

眷属系の神様もいれば、不動明王のような仏様もいる、それに自然霊や人霊もいる。

だから、私の場合は眷属以外の神様を祀っている稲荷信仰の神社はすんなり入ることができたんじゃないかなって今は思うし、それで良かったって思ってる。

稲荷信仰は高い精神性とそこに向き合う覚悟のある人でなければダメだから、たまたま深入りせずにここまで来て私は良かったと思ってる。

ただ、これからはより広い範囲での精神世界を探求させて頂く為に、稲荷信仰についても研究させて頂こうと思っています。

稲荷の神々様どうぞこれから宜しくお願い致します。