【どうして?】宗教にはまると不幸せになるの?

多くの日本人は精神世界を身近に感じているものの

宗教という存在は敬遠します。

でも、どうしてなのか、どうしてそう思うのか、理由ははっきりしません。

ただ一つ、日本人の多くが宗教を敬遠する大きな理由の一つとして

「宗教にはまっている人のほとんどが、不幸せそうに見える」

からではないでしょうか。

私は最近、東條英利さんとお会いしてお話して、その理由がようやく明確に分かるようになりました。

今日はそのことについてお伝えしますね。

 

 

なぜだ!なぜなんだ!どうして君たちは幸せを語るのに、どうしてそんなに不幸そうなのだ!

 

なぜエホバの勧誘をしている人のことは、遠巻きに見ていても、「絶対エホバ!」と分かるのでしょう。

独特の服装だからでしょうか。

だいたい帽子を被っていて、長めのスカート、日傘などの日焼け防止用グッズ、メイクはほぼしない的な?

でも、エホバの人って、似たような服のコーディネートはしているものの、全部が同じということは必ずしもないんですよね。

でも、なんか分かる!不思議ですね~。

 

エホバで回ってくる人たちって、必ず笑顔で幸せそうに見えるように頑張ってるように感じるんだけど、どうしてもそれが真の幸福ではないものを携えて幸せだと思うようにしている違和感を感じるんですね。

まぁ、はっきり言っちゃいますと、エホバを受け入れていない自分の方が幸せに感じる状況があるように見えるんですよ。

つまりですね、もっとハッキリ言っちゃうと、無理して幸せそうにしているだけで、心の奥底は不幸を感じるんですよ。

その独特の空気感を人は察知してるんじゃないかな?

つまりエホバスメル(臭い)的なもの。

それをみんな察知するからこそ、遠目で見ていても、「あれきっとエホバだよね~」って思う感じが生まれるんだと思います。

ただね、私はエホバを否定はしませんよ。エホバを生きがいにしているからこそ、あの人たちは日焼け対策を一生懸命しながらも訪問して布教活動をしているのだと思います。

つまり、エホバがあってこそ幸せなんだと思います。

ただね、多くの日本人はそのカテゴリーに入らずとも、もっと幸せを謳歌しているのも事実なんですよ。

 

だから、宗教に入るよりも、宗教に入っていない自分の方が幸せだという事実をみんななんとなく実感として得ているからこそ、宗教を敬遠するのだと思います。

ではどうして、私たちは無宗教の自分たちの方が幸せであり、宗教に入っている人の方が不幸せだと感覚的に感じるのでしょうか。

 

宗教とは自分の考えを奪うもの

先日お会いした東條英利さんはその日の講演で、ヨーロッパのイスラム化について講義してくださいました。

現在のヨーロッパは、イスラム教徒の難民によって、土地全体がイスラム化してきたことによって、治安が悪化している事実を教えてくださいました。

 

ここで、私が幼少期から長年抱いていた疑問が大きくなりました。

「どうしてイスラム教徒が君臨すると、経済発展は滞り治安は悪化するのだろう……」

東條さんは明確に、そしてシンプルに答えてくださいました。

「全てが神となり、自分の考えを放棄し、自分で考えなくなるからです」

 

この答えは、開眼でしたし、幼少期から抱えていた疑問をたった一言で払拭してくれる威力のある言葉でした。

 

 

宗教はなぜ人の考えを奪えるのか

 

キリスト教もイスラム教も元々同じ神から生まれた宗教なはずなのに……、そして同じ一神教なはずなのに……凶暴差や経済発展は雲梯の差です。

この差にあるものは何なのだろう……。

これをずっと私は考えながら生きてきたのですが、本当に東條さんのおかげで分かりましたよ。

 

確かに、イスラム教の方が圧倒的にルールが多い。

日本の神道から比べれば、キリスト教もイスラム教もどちらも同じようにルールが多い考えですが、

キリスト教とイスラム教を比べ見ると、ルールが多くルールに従順なのは圧倒的にイスラム教です。

服装を筆頭に

食べ物、礼拝、秩序、何かにつけてルールが多いのはイスラム教です。

そして、これほどまでにルールが多いからこそ、彼らは自分で考えることを放棄できるのです。

朝から晩まで、経典に書かれたルールさえ守りさえすれば神と近づけると思い込むのでしょう。

これこそが不幸なのです。

 

経済発展しないのも、書かれたルール通りにロボットのような行動様式を全うしたからこそでしょう。

経典が書かれた頃は、今のような資本主義社会を想定しているはずもありません。

ですから、彼らの世界の中に、新しく生まれた資本主義という概念は欠落していきます。

だからこそ、イスラム教圏は、ことごとく経済発展しないばかりか、発展しないからこそ、人のものを奪うということを繰り返すのでしょう。

つまり、ルールが多く、そのルールに沿えさえすれば安寧を手に入れられると思える環境が増えれば増えるほど、人は不幸に苛まれます。

現代の日本がマニュアル化社会になったおかげで、不幸を感じることが増えているのは、同じ図式によって成り立っていることとも言えるでしょう。

 

 

自分で考えることをやめると、どうして人は不幸になるのか

 

「自分で考えることをやめると、どうして人は不幸になるでしょう」

 

答えは簡単です。

 

エゴ=自我 が肥大化するからです。

 

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経典を作った人たちが神様のふりをして作ったルールは、その経典を読んだ本人とは全く別の考えとは全く違うものです。

その全く違う別人格によって支配された生き方を受け入れるということは、自分ではない何かに、体を乗っ取られることを意味します。

つまり、自分ではない何か……自我の影響力が大きくなってしまうということです。

 

だからこそ、イスラム国のようなイスラム原理主義の輩は、神という言葉の正義を背景にしながら、個人だけの幸せを考えようとする傾向が圧倒的に強くなり、

イスラム系の人の多くは、他国の人と比べて協調性が乏しいと言われるのだと思います。

 

 

神道だけは、自分で考えなくてはならない神の道

神道は現在においては宗教と位置づけされていますが、

経典というルールに沿って人の人生の幅を狭める他宗教と比較して、全くそのようなものがないのが日本の神道です。

ですから、神道を宗教と考えるのは間違いだと思います。

宗教が経典によって人の人生の幅を狭めるものであるとすれば、

神道はルールがないからこそ、人の人生の幅を広げるものであり、

答えをくれない神道だからこそ、自分で常に考えなくてはならないことを余儀なくされます。

神社にいって、おみくじをひけば神からの言葉はもらえますが、それだけでしょ?????

行って言葉をもらって、その言葉にそって自分で歩む以外に、神道で渡される道ってないでしょ。

神道のために、やらなきゃいけないと決められていることってほとんどないでしょ?

初詣だって、「絶対」ではないのよ。行っといた方がいいよ~ってだけで、多くの人は節目だからこぞって自分の意志で詣で出るだけ。

神道に沿った生き方が当たり前の日本人は、自分で考えることが否が応でも息づいているの。

そして、経典に沿ったルールの中で幸せを見出すよりも

自分の考えの中から幸せの道を見つけた方が幸せだという事を体感をもって知っているんだよ。

 

自分で考えることが増えれば増えるほど、人は「自分」が大きくなれるの。

そして自分が大きくなった方が、人は幸せを感じやすいの。

 

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現代の日本人のエゴは正常化しているとは言えないけれど、努力次第で必ず正常化できるような立ち位置にいるのが日本人。

もう悪化しすぎて絶対に無理だと思う民族は何億人といるんだよ。

特に特亜はほとんど無理だよ。

エゴが大きすぎて、正常化をすることはまず無理。

朝鮮出身で、日本に同期できる魂の人は既に神の領域。

そんな感じだよ。

 

 

宗教が不幸せに見える、日本人だけが分かる理由

自分で考える余地を放棄させられるからだよ。

今、日本人の多くが不幸せに苛まれているのも、いろんな理由のいろんなルールが横行し過ぎてるからだよ。

しかも、日本人は几帳面で能力が高いから、細かすぎるルールですら全部守れちゃうから、生き詰まるんだよ。

そして、そんなことに一生懸命になってみた人ほど

自分が分からなくなってしまっているだけなんだよ。

 

自分で考えることを止めた人ほど不幸になるよ。

誰かの作ったルールの上に自分を当てはめた人ほど不幸になるよ。

 

日本人は宗教には敬遠するけど、

知らず知らずに自分の身近に蔓延っている宗教イズムには過敏になった方がいいよ。

 

あなたは自分の考えに合わないものを一生懸命に受け入れているからこそ、不幸になっているだけなんだよ。

 

不幸になる理由は、ルールに乗っ取って自我(エゴ)を肥大化させた結果、自分が分からなくなっちゃったからだよ。

 

泣いて、沢山泣いて、沢山泣いて、そしてこの鎖をどうかぶちやぶって!