※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第二章 過去と現代の狭間にあるもの
2-8-3.デマ社会から抜けられない三つの要因③
③共産党などの社会主義者と朝鮮進駐軍の暗躍
戦勝国にとって都合の良い話を歴史的事実だと思い込ませる社会体制を継続・維持できたのは、この社会環境の方が都合が良いと思う存在無くしては成し遂げられなかったと思います。
その一つは、共産党員を中心とした社会主義者たち。(共産主義とは社会主義思想の中にある考え方の一つです。第三章で詳しく説明します。)
もう一つが、朝鮮進駐軍です。
朝鮮進駐軍とは、戦後動乱期において日本各地において婦女暴行、暴行、略奪、警察署の襲撃、土地・建物の不法占拠、鉄道の不法乗車等、横暴の限りを尽くした在日朝鮮人の組織のことですが、この問題を深く理解するためには、日本と朝鮮半島の歴史をまずは確認する必要性があると思いますので、両国関係の歴史を改めて振り返ります。
朝鮮半島は1910年から1945年(明治43年~昭和20年)まで、日本でした。学校の教科書では、日本が領土拡大の為に朝鮮半島を植民地化したと言われていますが、決してそうではありません。
日本が行ったのは併合であって、植民地ではありません。
ちなみに日本が併合する前の朝鮮半島には、李氏朝鮮という国家がありましたが、中国大陸に存在する王朝の属国(支配されている国であって、独立できていない国)である状態が五百年以上続いており、国家の体をなしているとはとても言えない状況でした。
一方の日本は世界最古の歴史を持つ国ですが、欧米の躍進と供に、その歴史が維持継続できるかは綱渡り状態でした。そして、明治の開国後、日本がまず整えなくてはならなかったのは、海外の脅威を跳ねのけられるだけの安全を確保することでした。
ツンドラの地が主な領土であったロシアは、常に不凍港(冬でも船の行き来ができる凍らない港)を求めていました。当初はヨーロッパ方面で不凍港を求め侵略していましたが、なかなか芳しい成果が上げることができず、それゆえアジア方面で南下して領土を広げる策を行うようになっていました。そして、その魔の手は朝鮮半島に及ぶようになってきました。朝鮮半島がロシアのものとなれば、その脅威は必然的に日本に向けられるものとなります。
ですから、日本は朝鮮半島が国家の体を成す形で独立し、近代化してほしかったのです。当時日本が求めていたのは、朝鮮半島の併合でも植民地化でもなく、朝鮮半島が国の体を成す形で近代化してほしかっただけなのです。
しかし、今も昔も朝鮮半島というのは蝙蝠(こうもり)外交(※)が得意技のようで、自分の国の判断を自らすることができず、あっちにもこっちにも良い顔をしながら、他国にその判断を求めることを繰り返しました。そのふらふらした行動が蓄積した結果、日本と清(中国大陸にかつてあった国家名)の争いが激化し、日清戦争が勃発します。※蝙蝠外交とは、国家の外交姿勢において、見解や利害が対立している国のどちらに対してもいい顔をし、おもねる、あるいは度々寝返るような外交姿勢を指します。
日清戦争は日本が勝ちました。その結果、李氏朝鮮は五百年以上続いた中華支配から独立することができました。この時に建てられたのがソウルにある「独立門」です。今は、なぜだか日本の支配から独立したことを記念して建てられたものだと信じて疑わない韓国民ばかりだそうですが、この門が建てられたのは、大韓民国が設立される半世紀前のことです。
このような経緯の上でようやく独立を手に入れた朝鮮半島でしたが、早々に国家運営が上手くいかず躓きます。そして朝鮮半島は、「日本の一部になりたい」と申し出るようになりました。しかし、荒れ果てた土地しかない朝鮮半島を併合することは、日本にとってメリットはありませんでした。そのため、初代首相で初代韓国統監も勤めた伊藤博文を始めとした首脳陣たちは、その申し出を受け取るつもりはありませんでした。
けれども、伊藤博文が「朝鮮半島が日本になることを望む朝鮮人テロリスト」によって暗殺されたことを契機に、日本は朝鮮を併合していく流れとなっていきました。
繰り返しますが、日本が行ったのは併合であって植民地ではありません。植民地の場合、その国に住まう人は支配国と同じ国籍の人として扱われることはありません。家畜のように扱われるだけで、教育なども受けさえてもらえません。日本は朝鮮半島と台湾を併合しましたが、そのような扱いはもちろんしていません。
当時の朝鮮半島では、教育は貴族しか受けられないものでしたが、日本の統治が始まって全ての子供たちが教育を受けられるようになりました。しかも、貴族を含めたほとんどの国民が文字の読み書きができなかったのですが、福沢諭吉が使われずにいたハングル文字を普及させたので、朝鮮の人たちは誰でも読み書きができるようになりました。もちろん学校もなかったので、沢山学校を作り、現在のソウルに京城帝国大学まで作りました。日本の大都市である大阪や名古屋よりも早く朝鮮半島に国立大学を設置したのです。
他にも日本が朝鮮半島のために行ったことは沢山あります。
戸籍がなかったので戸籍を作ったり、奴隷身分だった人にも名字が作れる権利を与え奴隷制度を廃止したり、はげ山を緑の山に変えたり、ボロボロの建物しかなかった土地に近代的な建物を建てたりと、教科書で習う内容とは正反対とも言える厚遇を祖先たちは行っていました。
そして、朝鮮半島は昭和20年(1945年)の敗戦の日を迎えるまで、彼らは私たちと同じ日本人として穏やかに生活していました。
しかし、日本の敗戦を機にここに異変が起きます。
戦後の動乱期、朝鮮人たちは突如「戦勝国民だ」と名乗るようになりました。つい先日まで同じ日本人の朝鮮半島出身者だったのにもかかわらず、「自分たちは敗戦国民ではなく戦勝国民だ」と名乗るようになりました。
そうさせたのはアメリカであり、GHQです。当時、アメリカや欧米各国は日本が朝鮮半島に対して同じ国民のように扱っているとは全く考えてもいませんでした。欧米社会と同じような劣悪非道な植民地支配を行っていたのだろうと考えていたのだと思いますし、日本の侵略戦争を事実化させるためには、近隣国を植民地にしていたことを国際的に知らしめる必要があります。
ですから、アメリカは朝鮮人に対して「奴隷から解放された」と吹聴しました。そして彼らに「戦勝国民」であるというお墨付きも与えました。
そして設立されたのが、現在の民団や総連の母体となる「在日本朝鮮人連盟 」です。この団体はマッカーサーが厚木に降り立った一か月後には組織され、この団体に在籍する不良分子たちが自らのことを「進駐軍(GHQの和名)」と名乗るようになっていったのですが、この時裏で彼らを指導していたのが、今までの日本の在り方を心良く思っていなかった共産主義者であり社会主義者の反日日本人です。そして、裏で反日日本人が朝鮮人を操り、表で戦勝国と名乗る過激な朝鮮人たちが暴動を重ねる事が続いていきました。
彼らは、日本人が武器を持たず、さらに警察もいない事を良いことに、日本各地で蛮行を繰り返していきました。闇市を掌握していた彼らは、この動乱期に大きな財を得るようにもなりました。日本各地の主要駅の駅前繁華街には必ずと言っていいほどコリアンタウンやパチンコ店があります。これらの土地は、戦後直後の動乱期に日本人から奪ったり、闇市で得た財を元手に買ったものでしょう。
また、同時期に共産主義者たちの表の活動も過激化していきます。
当初のGHQの目的においては、共産党を中心とした社会主義者との利害が一致したこともあり、GHQは彼らを重用しました。しかしその結果、労働運動などが過激化していき、大規模なデモやストライキが頻発するようになっていきました。そして、想定外のトラブルに頭を抱えるようになっていきます。
さらに日本の敗戦から四年後となる一九四九年に中国大陸では、共産主義国家である「中国人民共和国」が誕生しました。この時にアメリカの脅威は日本から、ソ連を中心とした共産主義国家へと変わっていきました。
そして、アメリカは共産化の波が日本にもやってくることを恐れるようになりました。
そのため、同年からGHQは方向転換を行っていきます。
「在日本朝鮮人連盟」は「暴力主義的団体」としてGHQにより解散を命じられ、その資産は没収されることになりました。共産主義者を公職追放する「赤狩り」も始まりました。
ただし、共産党は現在も日本に存在しておりますし、在日本朝鮮人連盟は民団(韓国)と総連(北朝鮮)に別れる形で存在し続けております。そして、戦後数年の動乱期に一時的に厚遇されたことによって確立されてしまった彼らの地位よって、様々なトラブルが数多く生み出されるままに解決できない事態になっているように思います。
というよりも、戦後数年の動乱期に手に入れた利権を手放さないように、また拡大するように彼らは結託し、表になり裏になりを繰り返して工作活動を続けているように思います。
その工作パターンには表と裏で3つずつあります。
表の工作パターンはこの3つです。
①ありもしないデマを軸に、被害者意識を焚き付ける
②正義感満ち溢れる自己の演出
③権力を倒すことで希望的な未来が生まれると想像させる
裏の工作パターンはこの3つです。
①恫喝と恐喝
②嫌がらせ
③資金提供
そしてこの工作によって、様々な場所にトラブルが生まれ、一般市民の多くが生き辛さを感じなくてはならない現実が作られていると思います。
また、彼らが望む環境というのは、GHQが作り上げてくれた環境あってこそのことなので、GHQが敷いたプレスコード(隣国などの批判はしない)などは徹底的に守るように監視しているように思います。
そして、共産主義・社会主義を中心とした反日日本人と在日外国人の結託は、日本国内のみにならず、中国・北朝鮮・韓国を中心とした特亜三国で繰り広げられています。
まずは多くの人がこの構図に気がつき、また彼らが作り出してきた思想の循環によって、おかしな思考の中に閉じ込められていることにも気がついていくべきだと考えます。
ゆりさんこんにちは。
ご無沙汰しております。
当方はおかげさまで、まあまあ元気に生きております。
さて、本記事で掲載された半島民の工作活動の箇条書き読んで
MKタクシーや大阪にあった旧三菱タクシー(現未来都タクシー)の歴史と被りましたね。
特にMKの発展の歴史はモロこのパターンなので、なるほどなーと思いました。
アダチルの章少しづつ読んでいき咀嚼していこうと思いますので、また宜しくお願い致します。
わーご無沙汰です!
すごい奇遇というか……実は昨日宮ブタさん元気かなぁ?ってガチで思っていた所だったんですよ。
以心伝心な感じがして嬉しいです。
お読みくださりありがとうございます。
私もこのパターンに気がついて世の中を見回してみると、ほぼこれしかないんじゃないかなって思ってます。
あちらにとってはこれが日本人への常勝パターンと言えるものでやりたい放題されちゃってますが、パターンに気がついた人からそれぞれ対応策をしてもらえたらいいなと思ってます。
それではこれからも宜しくお願い致します。
ゆりさん☆
俺の事憶えていてくれて、気にもかけてた事大変ありがとうございます。恐縮でございます。
タクシー業界自体が半島系が多いから、ゆりさんの箇条書きした事例はあちらこちらでみられますね。
話変わりますが、菅官房長官が、「パチンコはギャンブルであるから規制が必要だ。」みたいな事を公式の場で述べた模様ですね。
これを機に違法なパチンコギャンブルが挫滅するまで進んでくれたら嬉しいんですがね…
いえいえこちらこそお読みくださりありがとうございます。
半島系が多い場所にはやはりそういうことが多いんですね。
情報がどんどん表に上がるにつれてジワジワと追い詰められている気がしますがどうなりますかね。
それではこれからも宜しくお願い致します。