最近、急激にブログの更新頻度が高まってるのは、執筆が上手く行かないからです(笑)
とりあえず、自分の整理のために、思ったことをどんどん書きます。
戦後刷り込まれた被害者意識と加害者意識
戦後の日本はGHQの洗脳によって、矛盾した思いを抱えながら生きている。
最も日本人を苦しめているのは、被害者意識と加害者意識の両立なのだろうと、私は考える。
先日から散々ご紹介続けている「日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔」では
タイトルの一つに「基本的人権は被害者意識の発露」と書かれているものがある。
このタイトルの後にどんな事が書かれていたのか。それは、先日の記事(【彷徨う】虚構の理論の中に押し込められた日本人)の記事の中で引用した通り。
もう一度そこの部分を引用します。
まず第一条の基本的人権問題について述べよう。
この「基本的人権」という言葉からまず読みとれることは、被害者意識から出発した概念ということである。長年、差別、迫害されてきたユダヤ人の血の出るような要求であったのだ。
第十二条の「自由の保障」と第十四条の「平等」については、これこそこの憲法作成者の種眼目であるので別に述べる。
第十三条における「個人として尊重される」というのは、個人主義思想の導入が目的であることは論を待たない。個人主義というものは国家崩壊の第一歩と考えられているものであり、特に君主制打倒の捷径(しょうけい=近道)であると考えられてる。
これは第十二条の「自由」と密接に関係ある問題である。
また第十一条の基本的人権とも関係あるものである。個人主義に自由をプラスし無限大にこれを追求させればどういう結果になるか、国家内部の不統一、混乱を助長するものであることは説明の要はあるまい。
日本国憲法に記された「基本的人権」の中にある本質は、生命の危機に脅かされたユダヤ人の被害者意識が発露されたものに過ぎない。
しかし、そのような概念がその時なくとも、考え方を押し付けらているうちに、いずれ人はその概念が真実と思うようになっていき、その概念の枠に沿った思いが発露されていくようになるだろう。
戦後日本で特に行われたのは、西洋的君主論「君主は民から搾取するものである」の徹底的流布だったと言える。
君民一体で国体を固辞してきた日本において、戦う事や守ることは、誰かの命令による搾取スタイルで行われるものではなく、自発的なものであったはずだ。
だが、そうであるはずがないと思ったGHQ、いや、そうであっては困るGHQは、東京裁判などあらゆる手段を使って、権力者の横暴によって民が苦しめられたというストーリーを植え付けていった。
そこで庶民の中で大いに芽生えていった思想は、「国民は、国の被害者である」という思想である。
この感覚が大いに蔓延していることが、今後の日本の危うさの象徴であると、戦後伊丹万作氏は嘆いている。
伊丹万作 「戦争責任者の問題」より
[冒頭省略]
多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。
[中略]
いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民が相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。
そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君は戦争中、ただの一度も自分の子にうそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそを意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。
[中略]
いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしには封建制度も鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくその本質を等しくするものである。そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配者にゆるした国民の奴隷根性とも密接につながるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜ぼうとく、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である。我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
[以後省略]
戦後の日本では、誰もが「誰かに騙された」という感覚が蔓延し、そして騙された対象は、必ず上層に向かうのが特徴なのである。
つまりこれは、「国家が国民を騙した」と国民が考えている象徴的な言葉であり、そこにあるのは、国民の「被害者意識」である。
一方で、私たちは、他国の人々に対して日本人はひどいことを行ったという「自虐史観」を植え付けられてた。
日本はひどいことをしたのだから「謝り続けなくてはならない」、「下層となり、下部となり頑張らなくてはならない」的な意識が植え付けられた。
ここでもつのは、「加害者意識による自責の念」である。
被害者であり、加害者であることを当たり前に受け入れてしまうのは、そもそも日本の民度の高さがあったからだとは思うけれども、
この両極端な矛盾ある思想の中に埋め込まれれば、人の思いは定まりにくくなる。
さらに言えば、戦前の世界を全否定されて、西洋的な考えのみが善とされていった。そこには無限に広がる夢が語られてた。虚構の理論によるフィクションが、まことしやかな真実のように語られていた。自由と平等と人権が整う未来を創れば、誰もが幸せになると思い込まされた。
それは、全くの虚構の理論だったことは、先日触れたが、
結局、この虚構の理論に振り回された団塊世代たちは、まるで紅衛兵のような成長を遂げていった。
被害者意識、そして、加害者意識、さらに今までの現実や歴史の全否定は、社会を狂わす原動力になっていくだけなのだと、改めて思った。
1995年に花開いた日本の被害者意識
信田さよ子さんの本によると、アダルトチルドレンが急速に社会問題化していく背景には、被害者意識の社会的浸透が大きく関わっているという。
その起点となる年が、1995年。
阪神淡路大震災やオウムサリン事件などの未曽有の事件が起きた年だ。
またこの頃の日本は、既に不況に入っていた。その為この年は、非正規雇用の増大などの出発点の年とも言えるそうだ。
信田さんによると、この三つの要素が起因となって、「被害」、「被害者」という言葉が共有され浸透していったと言う。
さらに「被害」、「被害者」という感覚が露呈される環境が整えば整うほど、アダルトチルドレンの問題は大きくなっていったとのことである。
つまり、アダルトチルドレンというのは、被害者意識があってこそ成り立つもので、その意識があるかないかというのは、問題の発露に大きな違いが生まれるということなのだと思う。
そして、日本人の中に、加害と被害という意識を大きく植え付ける契機となっているものは、さらに遡ること40年前にあったGHQの洗脳なのである。
アダルトチルドレンの増殖と戦後教育というものは切っても切れないものなのだと改めて思う。
そして、この問題を根深くさせているのが、戦後日本人が植え付けられた二元論の価値観だ。
話が長くなってきたので、二元論の話は、別記事で書くことにする。
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