我らがアダっちゃん(維新・足立康史議員)が「朝日新聞、死ね。」と言ってから、
朝日新聞は社をあげて「足立殺し」を開始しております。
ここ最近、アダっちゃん起点とかで政治に興味を持ちだした方は、朝日の狂気によってアダっちゃんの方がダメなのかなぁとか思うかもしれないけれど、全然大丈夫ですよ♪
さっきマーケティング見地からの記事も書いたけれど、慰安婦で騒げば騒ぐほど追い詰められていく韓国と同じで、情報浸透が加速します。
ちなみにさっき書いた記事↓
だから、逆にもっと大騒ぎになってほしいくらいなんだけど、念タメ情報の一つとして朝日新聞ってそもそもどんな感じの会社なのか、ここに残しておこうと思います♪
朝日新聞の言論弾圧はいつものこと
現在、社の総力を挙げて、足立潰しに余念のない朝日新聞ですが、これは一事が万事で超いつものことです。
たとえば、私が敬愛する故渡部昇一先生はかれこれ40年ほど朝日新聞と戦わなければならない人生を送られていました。
渡部昇一先生↑
先生がお書きになられた本は沢山読みましたが、特に忘れられない本は「朝日新聞と私の40年戦争」です。
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この本にはどういういきさつで、渡部先生と朝日新聞とが戦わなければならなくなったのかという経緯が書かれているのですが、これがもう本当に壮絶でした。。。
戦わなくてはならなくてはならなくなったいきさつは至極シンプルで、
①渡部先生が至極真っ当な正論を言った。
↓
②その正論は、朝日の立ち位置を根底から覆すほどの脅威の一言だった。
↓
③朝日新聞による渡部昇一の人権的抹殺、言論封鎖。
はっきり言うと、今目の前で起こっているアダっちゃんとのもめごとと全く同じ構図です。
つまり朝日新聞とは、こういうことを今始めたわけではなく、ずっとずっとずっとずっと前から当たり前にやってきて、弱者の正論を封じ込めて、自分を正論に見立ててきただけなのです。
ですが、渡部昇一先生が壮絶だったなと心の底から思うのは、時代の違いです。
今でこそ私たちは、ネットメディアを通して様々な情報を入手し吟味することができます。
しかし渡部先生の時代は、ネットはもちろんありません。
新聞のプライオリティは今とは雲梯の差です。
しかも、クオリティ・ペーパーである朝日新聞から、「渡部はおかしな奴」と何段も割いて叩き続けられる日々が続くのですよ。
この↓先生の本を読んだ時ほど、
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この時代に生まれて良かったと思ったことはなかったです。
もしも、私が渡部先生と同じ時代に生まれ、今私が思っているようなことを一生懸命に伝えようとしたのならば、私は生きる場所が本当にどこにもないほど追い込まれたはずですよ。
本当に壮絶です。
だけれども、渡部先生はそれを打ち払い論壇を張り続け人生を全うされました。
これは、よっぽど強くたくましい魂でなければできぬことです。
先生は戦い抜きましたが、先生のように戦い抜けれた人は、あの時代にどれほどいるのでしょうか。
ほとんどは、言論抹殺・人権抹殺されたのではないかと思います。
朝日が神様のような時代に、朝日を反論する人を殺すなどイチコロです。
新聞&テレビ&ラジオしかメディアがない時代に、それに反論する人の声など、聞こえないふりをして、逆に相手が基地外だと情報を流せば簡単に殺せれました。
今の世の中は、あの頃のが言論が自由だったというような思い出に浸るような話が多いですが、事実は全く逆です。
確かに現在はLGBTやキリスト教イズムなエロティズムな言葉狩りは横行していますが、そんなの枝葉の話。
幹が戻りさえすれば、いくらでもなんとでも元に戻せます。
ほんの少し前までは、その幹となる真の部分を朝日を中心とした反日メディアの牙城と化していたのですから、これほど恐ろしいことはありません。
そしてこの力が強かったからこそ、真実なんて幾らでも潰せたんですよ。
その時代に朝日と戦うことになった渡部先生の人生のがけっぷち感を想像しただけで、今に生まれた喜びを感じられるというものです。
朝日新聞の正しいは、いつも日本の不幸を呼ぶ
朝日新聞のイデオロギーの中心にあるのは、いつも
「権力は悪」
なんですね。
つーか、お前が持ち合している権力を棚上げしてんじゃねぇよっていうのは置いといて、
とにかく朝日のイデオロギーというのは、常に権力が悪という図式で成り立っており、権力(政府)がすることは間違っているから、僕たちが正してあげようという正義の図式で成り立ってるんですね。
この前提がそもそも日本人として間違っているのですよ。
確かに権力とは暴走してしまうこともありますが、根本的に日本の権力者とはそんなに悪いことをしないというのも常なのですよ。
日本という国は、西欧とは違い「君民一体」となって国体が作られてきました。
西欧は、君主の下に人民がいるという考えですが、
日本の場合は、君主も民も一丸になって国をよくしていこうという考えなのです。
朝日新聞が生まれる2500年以上前からずっとずっと日本は「君民一体」の考えによって運営されてきた国家なのです。
君民一体だった歴史は聖徳太子の17条の憲法や仁徳天皇の「民のかまど」エピソード(古事記)からも十分伺えます。
近年に遡れば、武士である江戸幕府の独裁政権でも同じことが言えるでしょう。
日本と言う国は、上であればあるほど、民に頭を垂れることのできる素晴らしい君主でしか長生きできません。
超最近の話で言えば、民主党政権があっという間に消えたことも同じ原理から生まれていると言えるでしょう。
日本と言う国は、そもそも「君民一体」なのです。
しかし、朝日新聞とはその国体が持ち合わせるイデオロギーを踏み間違えた所から全てが始まっているのです。
良い君主の判断でも、権力悪の朝日が起こす不幸
確かに日本でも権力を持ち合わせたことによって腐る人は山ほどいます。
しかし、歴史が証明しているように、そのような人は長続きしません。
このような意識が浸透している日本においてはなおのことです。
ですが、朝日はそのことに気が付かず、権力であれば全て間違っていてその反対すれば良いという図式の上に思想が成り立っています。
だからこそ、朝日のイデオロギーは人を不幸にしていきます。
日本のTOPに長らく立てる人で、それほどまでに権力悪の権化に成りはてる人はいないのです。
逆に言えば、権力悪をイデオロギーの主体にしている朝日新聞こそが権力悪の権化になっているんですけれどねwwwwww
そして、朝日新聞が権力に反対するからこそ、常に日本は惑わされて苦しめられてきた150年間なのです。
もうそろそろこれ終わりにしても良くないですか?
第二次世界大戦を扇動したのも朝日新聞です。
中韓の力を増大させてしまったのも朝日新聞です。
捏造の慰安婦問題を世界中に広めるきっかけを作ったのも朝日新聞です。
捏造のモリカケ問題で国会を空転させたきっかけを作ったのも朝日新聞です。
権力が間違っていると思い込んで、それを終わらせるために捏造してでも、自分たちの正義を貫きとうそうとする朝日新聞に日本人は苦しめられてきましたが、アダっちゃんの件のファビョリ方は末期に近いと思うしかありません。
本来、相手を完全封殺できるのが朝日の権力
つまり、今あちらこちらで、朝日新聞はトラブルを抱え、司法を盾に脅しまくり、それがまた相手側から開示され、さらにファビョることを繰り返してますが、
こういう状況が表沙汰になっていること事態が朝日の末期です。
何度も言うようですが、本当に渡部先生の朝日新聞戦争の本を読んでほしい。
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あの時代の朝日だったら、瞬殺だから。
蟻をひねり殺すくらいの瞬殺。
痛くも痒くもなく、そして誰にも気がつかれない瞬殺の時代だったの。
もう今はそれができなくなってる。
これこそが朝日の末期を知らせる虫の知らせですな~♪
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