かれこれ6年、
スピリチュアルの定義に納得の着地点が見つからず、右往左往していましたが、
ようやく腑に落ちる答えに出会いました。
今日はその事について書きますね。
ずっとモヤモヤしていた「スピリチュアル」って言葉
日本で使われているスピリチュアルって言葉ほど、言葉が指し示す範囲の領域が広く、更に波動の高低も構わずしっちゃかめっちゃかになっている言葉ってないよなって思います。
しかも、日本人は一神教の価値観で生活したことはないのにも関わらず、さらに一神教の価値観が理解できぬまま、西洋発信のスピリチュアルを流入させるので、勘違いも横行しがち。
例えば、スピリチュアルな文献やブログ記事で多用されちゃう「自由意志」って言葉。
これは一神教の価値観がある人だからこそ使える言葉であって、多神教国家である日本人が発動させると、単なる排他主義になるの。
日本人はそもそも圧倒的に希有な価値観の中で国家が作られているので、西欧人の言葉そのままに情報を受け入れたら間違った方向に走って行きやすくなるの。
私相当このスピリチュアルな人が使いたがる「自由意志」って言葉が大嫌いだったみたいで、やたらその危険性についてブログに書きまくってるわ(笑)良かったら読んでね(笑)↓
もちろん、スピリチュアルっていう世界は否定しないんだけど、いろんな情報を掻い摘まんで、ごっちゃにして、自分の都合の良い話にすり替えてしまう人も多すぎるから、
なんだかこの
「スピリチュアル」って言葉こそが
厄介に思えてきて。
結局私のしていることだって、世の中的にはスピリチュアルだけど、そことは一緒にしないでって思いが増えてきてですね(笑)
なんとかしたいけど……
結局この言葉の着地点って日本語で言ったらどこに収まるのかさっぱり分からないまま随分長い時間が過ぎ去ったのですが、
ようやく分かりました!
「スピリチュアル」=「神道」です。
おとな塾でビリーブリセット講座の講師をさせてもらうようになって、
波動というものを理解してもらうために、メディアの情報の嘘を見抜く情報リテラシーを高めてもらったり、日本の歴史や敗戦後の影響についてこの半年講義をしていました。
そのおかげで、私自身のモヤモヤとしていた部分も随分明確になるようになって、波動が分かるっていうことは、特別なことでもなんでもなく、日本人なら当たり前のことで、さらに波動が分かった方が、日本人らしく生きやすくなる物差しの一つだなと思えるようになりました。
そして、ある時、更に自分の中で理解が深まって、ピンときたんです。
「あぁそうか、スピリチュアルって、結局神道じゃん!」って。
そして、一昨日都内の神社に参拝した時に書かれていた「今月の言葉」でそれが正解だよと神様からお導きを頂いたように思いました。
井上正鐡天地(あめつち)の御恩(ごおん) 日夜に忘れぬは
神道のはじめと奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)井上正鐡著「唯一問答書」の一節。
私共を生かしてくださっている天地のお働きを忘れず、そのお恵みのお陰で生きていることを感謝することこそ神道のはじめの大切な一歩です。井上正鐡 (いのうえ まさかね)寛政二年(一七九○)〜嘉永二年(一八四九)。
幕末の神道家、禊教教祖。山形藩主の秋元侯家臣、安藤真鐡の次男として生まれ、諸国を遍歴して修行。神祇伯白川家に入門して現在の梅田神明宮の神主に就任。民衆を救済・教化するも、幕府の嫌疑を受けて三宅島に遠島され、現地で逝去。
神道は、天地のしくみとそれを活かして生きる方法の哲学であり、神社などはそれを顕現するための設備であると思います。
スピリチュアルという西洋様式な言葉だから、理解や解釈がしっちゃかめっちゃかになっているけれど、
そもそも西洋が言うスピリチュアルとは、日本人らしい生き方の元となっている神道の考え方そのもので、
それを2677年以上に渡り実践してきた環境と歴史が宿り続けるのが我国日本であり、日本人であります。
敢えて西洋に頼らざるとも、日本の歴史と先人たちの生き方を学び直し、また戦後封印されてしまった日本人のアインディティを取り戻す作業さえすれば、大方誰もが真っ当なスピリチュアルな道に入れるし、まぁスピリチュアルっていう既に汚された言葉を多用せずとも、
「神道」
一括りで全てを言い表せれるじゃんってやっと気がつきました。
ただ、ようやく気がついたところで……
「神道」=「神社」
だけに限定された考えだと思う人も多い世の中だと思うので、それはそれで伝えるのは大変だなぁと思いますが、
まぁまずは私自身がここに気がつけたことで、随分いろんなことが綺麗さっぱりとシンプルな感覚にはなりました。
ただ所謂スピリチュアルにはまってる人っていうのは、この神道とかのことでも……なんか変な方向に走って行っちゃうんだよなぁぁぁぁ(ポツリ……)
古事記とかで出てくる神様とかの多くを俗物的な擬人化しちゃって、ファンタジーな妄想したがるんだけど、全然違うんだよな。
はっきり言って、そういう人は動物霊にほだされて狂喜乱舞しているようにしか見えないしね。
だから、ファンタージー的な妄想とかそうじゃなくて、
「神道の心根」が結局「スピリチュアル」だってこと。
そうか!
「神道」=「スピリチュアル」
じゃなくて
「神道の心根」=「スピリチュアル」
や
「日本人の本当の心根」=「スピリチュアル」
って言い換えればいいや。
単に幸せとかを目的にするのではなくて、
日本人が真摯に日本と向き合い日本人としての教養を育めば、自然と本来持つ心根が顕現するようになって、結局これこそが西洋の人たちがいう「スピリチュアル」他ならないって思うんだ。
だから、スピリチュアルを西洋的概念と日本的概念の違いが分からずにゴチャゴチャさせるのもうやめて、
単純に日本人が日本人としての教養に目覚めればいいだけじゃんって、ものすごくシンプルな考えに落ち着いたんだ。
おとな塾ビリーブリセット講座を始めたから分かったこと。
このシンプルな考えに落ち着けたのは、やっぱり高山先生の影響が大きい。
今年の5月に高山先生が突然、「おとな塾を一緒にやらないか」って誘ってくれて、そして自分のやりたいことも盛り込ませてもらいながら右往左往しながら続けてきてみた結果、
ようやく見えてきた答え。
波動一側面で語ろうとするから、私にも無理があって。
それを先生と一緒に日本人としての大人の教養の一つの中に組み込んでみたら、どんどん話がシンプルになってきていることに気がついたんだ。
日本人ほど日本人がなんたるかが分かってなくて、右往左往の挙げ句どつぼにはまっちゃう人も多いけれど、
逆に
日本人が日本人を理解すれば、これほど強いものはないなって思うんだ。
だから、来年は今年以上にパワフルにこの塾を頑張りたいなって思ってます♪♪♪
日本人は地球の中で希有!そして大事な民族ってことを知識として得て、さらに体感してもらうためにね!
(過去記事に、今頃コメント寄せさせて頂いて構いませんか?)
読ませて頂いて、深く頷きました。
私自身、小さな神社を護る一族の末席に生まれ
子供の頃から、神道が当たり前に生き方の中心でした。
高校生の時、神道を知るためには、他の宗教を知り
多角的に見なければいけないのではないか?と思い
3年間キリスト教を学びました。
俗にいう、スピリチュアルな世界に足を踏み入れ15年ほど。
三重県にある神社に、通算5年、修行に伺わせて頂き
禊(滝行、海)、神道の精神や古事記を学ぶ座学、お作法などを
徹底的に叩き込まれました。
雪の降る、マイナス5度の中での禊は、正直あまりに辛く
泣きましたが、でもこれもできないようでは
眞の神道には近づけない、と「休んでもいいんだよ?」
とは言われましたが、神職の方々は修行生何人が実施しても
全員がなさる、なら自分も、と入りました。
辛い道を歩めば覚醒するとか、偉いですとか、自慢できる、
等という事はありません。ただの、己との戦いに過ぎません。
「楽しい事だけしていればいい」
「ワクワクしないことはしなくていい」
「主催者についてさえいけば、その幸せが自動的に伝播する」
そういう風潮が広く伝わり(そりゃ、真冬の雪の中
滝に入れ、なんていうのは誰彼でもお勧めはできませんが)
その言葉のどこに、<己との戦い、向き合う、苦手を乗り越えるという
克己の部分があるんだろう?>と一歩引いてしまう私は
変わり者なんだとは判っています。
スピ系(笑)友人の多くは、心○さんのセミナーや
子宮○さん等の話を聞きに行き、よかった~、と
帰ってきます。
きっと、金づるありがとう、今日もステーキが食える、と
心○さん喜んでいるね、と私は思います。
岡本せつ子氏のサイトは、私がその名を知った頃には
既に閉鎖されていて、そのお言葉は残念ながら読むこと出来ませんが
精神は、竹久さまの文章の中にあるのだろうな、と
思っています。
おとな塾も、気づいた現在は、もう、修了になるのですね。
お話をお聞きしてみたい。
まともな方のお話を聞いてみたい、と思いました。
(長文になってしまい、大変申し訳ありません。汗)
イライラするよりもワクワクに目を向けたり、その環境の中でも自分自身の力で楽しい方向を作り出すことはできるという意味で、バシャールを含めたスピリチュアルリストたちの言葉を私も受け入れており、私にとってはそれは生き方を楽にさせる良き方法の一つでした。
ただし、きささんが仰る通り今世の中でメジャーになっているこの思想(「楽しい事だけしていればいい」「ワクワクしないことはしなくていい」)は、ここだけに着眼させ、それしかさせない限定的な生き方を推奨し、最終的には教祖に依存させることが目的化しています(「主催者についてさえいけば、その幸せが自動的に伝播する」)。
これでは国が滅びます。
仰る通り、日本が長らく国としての形を保ち続けられたのは神道にあり、神道の考えこそが西洋に風穴を開けた「スピリチュアルの基盤になっている」ということを多くの人に気がついてほしいなと思います。
岡本せつ子さんのチャネリングは、アメブロの方の記事検索で「岡本せつ子」と検索して頂ければ、多少引用させて頂いた文章が読めますので、宜しければ確認ください。
おとな塾は来月で講義終了となりますが、5月の第三水曜日から第二期として再開致しますので、ご都合つくようでしたら是非お越しください。宜しくお願い致します。
昨夜から、出来る限りの文章を読みたいと思い
記事を読ませて頂いています。
(これでは国が滅びます)
この言葉に全てが集約されていると思います。
20代の頃、そういう言葉を人前で口にするのは、
頭がおかしい人か、右か左か?と聞かれるような状況でした。
多少年を経ましたが、現代は、そういう言葉を口にしても
少なくとも、頭がおかしい、とは言われない世の中になって
それだけは、幸せなことだと思います。
これでは国が滅びてしまう。
だから、お呼びを受けた場所へ行き、祈り、人づてに
その事を少しづつでもお伝えし、自分にできる形で
行動はしているのですが、まだまだそれはささやかです。
国が滅びようとしている、それを自分の目がでかくなったとか
写真に化粧法をUPしている方とか、インスタ映えの為なら何でもする、
等という方にも知って欲しい。
国が保てているから、眼のデカ盛りだの、インスタ映えだの
言っていられるのでしょうが??
岡本氏の文章、ありがとうございます。
少しづつ、収集して読ませて頂いています。
おとな塾も、都合をつけて参加させて頂けたら、と願います。
(親の介護しているので、ちと厄介w)ありがとうございます。
はい、インスタ映えとかも10代20代の子たちがワイワイやっている分には可愛らしいのですが、40代以上のいい大人がそれにムキになっている姿は本当に興ざめですよね(-_-;)
ただ、ほんの少しずつですが、日本は日本を取り戻していることも事実です。その二極化が激しいだけであって、国を語ることがこの数年で普通になりつつあるのは大きな進化と言えるでしょう。
ここが正念場だと思います。
誰もができることは微力ですが、それを放棄せず、微力を続けていくことの先に大きな成果がまっていると思います。
供に精進して参りましょう。
これからも宜しくお願い致します。
スピリチュアル(霊的な)というか、スピリチュアリティまたはスピリチュアリズムのことでしょうか?
それが”神道”という解釈は当てはまるでしょうが、一面を表現しているものであり、全てを体現する意味で捉えるなら視野偏狭であると言わざるを得ません。
スピリチュアル的な人生を生きるというのは、霊的な真理(霊性の真理)に目覚め、探求する、ということです。霊主体従・利他的な自己犠牲精神です。
何も神道でなくてもよいのです。仏教でもキリスト教(原始キリスト教)でもイスラム教でも根っこは元々ひとつのところにあるのです。人がその解釈を都合の良いよう捻じ曲げているのが現状です。
日本は稀有な国かも知れませんが、日本、日本人にこだわりすぎていては、木を見て森を見ずになってしまいます。神道だけでは真理は解明できず、仏教だけでもダメ、キリスト教の精神だけでも不足しています。
多神教の良い所悪いところ、逆に一神教の長所短所あります。闇があるから光の意味が分かります。神道は奥深いですが、神道が多神教と言いますが今日の神道に本当の神はどこにおられるのかと思います。神と神霊がごっちゃにされています。
スピリチュアリズムはそのような民族的風土的影響からの宗教の差異を超え、根っこに回帰したものであると捉えています。
日本人が稀有で特別ならもっと世界の問題にも目を向けて、その力を世界の為に発揮し自己犠牲くらいの精神でいないのならば、嘘になります。それだけの辛い役割が備わってこそ、世界の稀有な民族です。父(神、国、世界、地球)が子を守るのではなく、父の為に子が犠牲の精神です。
コメントありがとうございます。
こちらのコメントでも仰ることとてもよく分かります。あきこさんの意見にはほぼ同意ですが、あきこさんのような広い見識の中で情報の取捨選択ができない状況に多くの日本国民は陥っていると私は常々感じています。
私が個人的に思うスピリチュアルは語源の「ナチュラルスピリット」が指し示している通りの「自然な状態の魂」です。
つまり、あるがままに受け止め、あるがままに生きるだけのことが必要なことだと思っています。
そして、本来ある神道のしくみの中にはあうがままに受け止め、あるがままに生きる指針となるしくみが秘められていると思いますので、日本人であるのならば、まずはそこに着目し理解することが、他者や諸外国との自分との違いを理解するための契機になるのではないかと考えます。
特に、戦後教育によって、日本人ほど日本の事が分からないという民族的迷子状態から抜け出すことは、とても大事なことだと思っているので、私はブログの中では希有な日本人という特異性に気がついてもらうことを一つの指針として発信をしております。
日本人が稀有で特別ならもっと世界の問題にも目を向けて、その力を世界の為に発揮し自己犠牲くらいの精神でいないのならば、嘘になります。
あきこさんが仰る言葉に繋がって行くためには、まずはそこに気づく必要性があると思い、今私はこのような発信をしております。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。