数日前に、途中書きになっていた話の続きです。
一昨日は、「人は必ず飽きるよ」ということを書きましたが……それは裏を返せば人と言うのはどんなに夢中になっても、それは永続しないということであります。
てなことを言うと、夢や希望を無くすネガティブな考えのように、今時は思われがちです。
ですが、道理というのは私たちの意気込みや努力では変えられないものです。
ですから私はその特性をしっかり理解した上で生きることの方が大切なのではないかと常々思っています。
だって、道理に逆らって生きてもそれはただの苦行なだけですからね。
逆に言えば、本来絶対にできないはずのことをできると思い込んでいるから、多くの人が沼に落ち、抜けられない苦しみを味わっているだけのように私は思っています。
たとえて言うと、「食事を全くせず生きることや睡眠を全くとらず生きること」と「人は変わらない(飽きない)」と思っていることは同じこだと私は思ってます。
それくらい無理のあることだと思ってます。
現代社会に生きる私たちは、無理して我慢して一生懸命になれば境地に達するという思い込みがそこかしこに蔓延っていますが、たとえば「食事を全くせず、さらには睡眠を全くとらず生きること」をして、どれだけの人が境地に行き着けるのでしょうか。
あまりに極端な例に見えますが、こういう道理に反した美談が意外に多いのが現代だと私は思っています。
もちろん「食事を全くせず、さらには睡眠を全くとらず生きること」をしたのなら、ほとんどの人は境地に行き着く前に死ぬことが予測されるでしょう。とはいえ万が一の確立でそれを達成する人もいるかもしれませんが、無理して得た悟りの中の感覚は後世に引き継がれにくいだろうと思っています。
だってその感覚こそ特別であり、普通ではないですから。
また私は、普通の感覚にあってこそ、悟りというのは与えられるとも思っていますから。
だから、「人間は飽きるもの」ということを普通に受け入れた上で、精進することが大切なんじゃないかなって思うんですよね。
でも、こういう話をすると…「創業何百年も続く会社はどうなんだ?」みたいな反論も頂きそうですが……
商売というのは「飽きない」から「商い」なんです。
経営の中心にいる人たちが飽きないように工夫を重ねながら続けて、ようやく商いになるんです。
ですから過去と同じように同じ商売をしているように見せながらも、多くの会社は時代に合わせて必ず変化をしています。
分かり易い例で言えば、富士フイルムでしょうね。
私が十代の頃の富士フイルムは、写真フィルムや現像で名を馳せた会社でしたが、今はどうでしょう。30年前に一世風靡した「写ルンです」を作った時の事業体とは全く違うビジネスモデルに進化していますよね。
たとえばアスタリフトとかみたいな化粧品が富士フイルムから発売されるなんて、30年前に想像できた人はいるでしょうか。
いないんじゃないでしょうか。
つまり、同じ名前で仕事をしていたとしても、中身は大いに変化していると言えることが往々にしてあるということなんですよね。
また、どんな時代に生きたとしても、社会の変化というのは必ず起きるものですし、その社会の変化に柔軟に対応できて初めて時代の荒波は超えられるものですし……その変化が当事者たちを「飽きさせない」仕掛けにもなっていると私は思っています。
逆に「金儲け」が出発点になっている会社は、変化に対応できず必ず淘汰される宿命を出発地点から持ち合わせているとも思っています。
それに、「変わらない」という前提の中で生きているからこそ、変化の波に対応できずに淘汰されてしまうものだとも思っています。
だから、「変わる」という感覚を常々持ち合わせて生きることは大事だと私は思っていますし、自分自身の感覚の中で最も顕著に表れる「変わる」感覚は「飽きる」という感情と一蓮托生でもあることを私は承知しています。
そして、この「飽きる」の感覚を大いに実感しているからこそ、夢中になれるという一瞬の時間の愛おしさが増すものだとも思っています。
私は自分が飽き性であることを深く理解しているので、一瞬でも夢中になっている時間をとことん大事にします。
最近は皆さんご存知の通り、アメリカ政治に夢中になっておりますが…夢中度合も5カ月前と比べれば大分穏やかです(笑)
11月や12月頃の記事なんて、ほぼほぼアメリカ大統領選のことしか書いてなかったですからね(^^♪
ですから、その頃と比べれば、その夢中度は随分穏やかになってきていると言えますし、これからもっと穏やかになっていくものと思われますが……この穏やかさは一瞬でも熱くなったからこそそうなれるものでもあるんですよね。
前にも書いたんだけど↓
夢中になった時の探求心と吸収力って異常なの(笑)
そしてそのおかげもあって、最近は英語も前よりは確実に読めるようになっちゃったし、聞き取れるようにもなっちゃいました♪
だって、政治の話ってそもそも日本語でも難しいことが多いもんね(笑)…それでも夢中になっちゃったから、一生懸命政治の話を読み込んだり聞いていたの。そのおかげで、日常会話になるとなんだかとっても聞き取り易くて、読み易くて、分かり易く感じるんだよね(笑)
それもこれも「米大統領選の状況がリアルタイムで知りたい!」と夢中になったおかげだよね♪これこそ夢中になった副産物と言える成果でしょ♪
これと同じように、私はいつも自分が夢中になれる一瞬を大事に生きてきたから、同様の副産物を確実に沢山手にしています。
そしてこれが私の強みだと思っていますが……、今時の思考に囚われている人は「昨日とは違う自分」に戸惑ったり、「いけないこと」と思ったりして制御しようとします。
これはとってももったいないことだと思います。
だって、私たちが夢中になれる時間なんて、いつだって一瞬だもの。
誰かを好きになって夢中になるのも一瞬。
何かを学びたいと思って夢中になれるのも一瞬。
こればかりを食べたいと思って夢中になるのも一瞬。
全てはいずれ飽きるもの。
飽きた時には、そういう情動なんか起こしようにもおこせないもの。
だからこそ、ほんの一瞬でも巻き上がった情動に素直に生きた方が人生得するって私は思うの。
その時の執着を「かけがえのない時間だから!」と思って大事にした方が良いと思うの。
だって、所詮人は飽きるから。
その一瞬のタイミングを見逃さずに、その勢いで行ける所まで探求心を伸ばしちゃった方がいろいろと合理的だと思うの。
それに夢中になっちゃった時の探求ほど、自分にとって楽しい事はないんだよ!
しかも楽しい上に知識も教養も、そして経験もつめるなんて最高じゃない?
私たちは「学習」って言うと、嫌な事、面倒臭いこと、嫌いな事っていうワードばかりが頭を過るけど、夢中になってる瞬間だけは全ては逆転するんだよ!
全部楽しいの!
だけど、残念なことにその楽しいも所詮一瞬のことなの(笑)
だって、私たちは所詮「飽きる」という道理を持ち合わせて生きている動物だから。
だからこそ「夢中」こそ、大事にした方が私は良いと思うの。
何かに夢中になれば、必ず今までの普通からは逸脱することになるけれど、繰り返すようだけど、所詮「夢中」なんて一瞬だから、大事にした方が良い!
逆に言えば「夢中」の本領発揮ができてないからこそ、グズグズ中途半端な夢中の状態を謳歌することになるだけじゃないかなって私は思ってしまう所があるし、現代はそういう感じになってしまう人が多いんじゃないかなとも思ってる。
だから、「人間は所詮飽きる」ということを前提に、一瞬でも「夢中」になったことを大事にして生きた方が効率的であり合理的なんじゃないかなぁって、私は思っているんだ。
みんな!「夢中」になった一瞬を大事にして、その時間は誰に何と言われようと探求に費やしいこ♪
それではまたね♪
電子書籍は半額です。(縦書きと横書きと2パターン用意してます。)
生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本【縦書き】
生きやすさを手に入れるための 波動とエゴの法則を書いた本【横書き】
書籍紹介ページへ↓
【新刊発売】生きやすさを手に入れるための波動とエゴの法則を書いた本
View Comments
こんにちは
飽きるは最近腑に落ちたことだったから、タイムリーな話題だなと思いコメントさせて頂きます。
最近、諦めること、飽きることについて悪いことではないなぁと思いました。
月の欠損からホロスコープに興味をもち、太陽いて座の私はもともと飽きやすいならしかたないかーと受け入れたとこでした。
夢中になったときの学びはディープで、夫にも君はハマるととことん追求してるのに、そのうちどっか行っちゃうよねって客観的にみてもそうなんだなって思って受け入れることにしました。
昔は、一つのことを貫き通すのがかっこいいと思い、そうあろうとしがみついていたのですが苦しかったですね。
今は、いつか飽きてしまうかもしれないけど、今を楽しもうと思い始めてからすごく楽しいです。
昔にハマっていたものを、今見ると新しい面がみえてまたハマったりして自分の中でぐるぐる循環してる感じです。
飽きるって人間が生きる上で大事だと思いますね。
でないと、視野も広がらないですし。
飽きることは、今の自分で味わい尽くした証拠で、また味わいたくなったらまたハマればいいだけなので別に怖いことではないんですよね。
たぶん飽きる=大事にしていないっていう考えになってしまっていたのかなって思います。
愛に関しても変容していく事を受け入れれば、苦しむことは少なくなるかなと思います。
ずっと変わらないって自然的にみてもおかしいですものね。
こんばんは。
飽きることは誰もが持ち合せている修正だと理解すると、急に「飽きる」も愛おしくなりますよね!
私も同じように悩んだ時期があったのですが、やはり同じように興味を持った時の集中力というかはまり具合は凄まじく…それゆえこないだまでの熱との違いに周りが驚くこともしばしばあるのですが、それに興味をもったからこそ、別のことに興味が沸くこともあるし、また興味を持った内容について「納得」の答えが出ると、それ以上の深掘りの必要がないと思えたりもするのでそうなるんだろうなと私個人は思います。
飽きて別の事に興味を持ったとしても、先に興味を持ったこととリンクすることもあるので、そうやって紡いで行く方が面白いように最近は思ってます。
私も波動に興味をもったことがきっかけで日本のことや政治の事や世界のことにここまで関心を寄せられるようになるとは思いもしませんでしたが、探究心に素直に従った結果なのだろうと思いますし、これで良かったと思ってます。
お互い飽きっぽい性格を慈しみながら楽しく付き合っていきましょう。
それではこれからも宜しくお願い致します。
いつも楽になるヒントをありがとうございます^ ^♪
なるほどです(^-^;
この数日、頭の中でグルグルしていたモヤモは、まさにコレでした。
私も飽きっぽい(と言うか、次から次へといろんな事に興味が湧く)ので、ガーっと集中したら、はい次…な感じでいつまで経っても落ち着かず…
(-_-;)
仕方ないじゃん!と思いつつ、きっと潜在意識下で『何も続かないダメな奴』と思ってるからモヤモヤしてたんだな〜と思いました(⌒-⌒; )
しかし、そう思うと、大企業の創業者も個人事業主も、【これを仕事にする!(これで食べていく!)】って決められるって凄いなぁ〜と改めて尊敬しました。
こんばんは!
まさしく!私も同様のことで悩んだことがあります!
ただ私の場合は、未だに面白いと感じられる「マーケティング」と「文章を書く」という……ある種ルーティンで続けていないと自分の気持ちが悪くなるものを携えられるようになってから、自己否定はしにくくなりました。
ほとんどのことは飽きるけれど、なぜか続けられることもあるはずなので、そこを褒めて大事にしていくとより一層気楽に生きられると思いますよ♪
それではこれからも宜しくお願い致します。