小さな頃から私は「伝記」がやたら好きで読み込んでいました。
その傾向は現在も続き、フィクションの物語よりも、実際にその時を生きた人の人生を見聞きしたり、読んだりするのが好きです。
だから、気が付けたことがあります。
私は幼い頃から伝記好きだったせいか、「偉人」と呼ばれる人が好きでした。
↓私の偉人好きが分かる記事↓
だから「国語や歴史の教科書とかに乗っている人たちのようになりたい」という思いをずっと抱えていました。
でも私のその思いは、空回りの人生へと導くおかしなエッセンスになっていたなと、今は思います。
上昇志向が前提にある社会の中では、常に勝ち抜いていなくてはその椅子を得ることはできません。
ですから立派になろうとしているつもりが、気が付けば椅子取りゲームに勝ちぬ事にムキになっている状態を作りやすいんじゃなかろうかと思うのです。
実際のところ私は、社会の椅子取りゲームに入り込み「我こそが」と死に物狂いでその椅子を取る行為をし続けていたと思います。
でも、どんなにそのゲームを繰り返し、そして勝ち抜き続けても、自分の心は満たされませんでした。
勝っても不安なまま。そして失敗してしまった後には、トラウマのようにその失敗ばかりが頭に浮かび、気がつけばどんどん自分を否定するばかりになっていきました。
いつしか自分は「ダメな人間だ」「認められるはずもない人間だ」という気持ちばかりに支配されるようになり、社会に怯えるようにもなっていましたが、それをなんとか見せないように頑張って生きていました。
つまり、今とは比較にならない程、息苦しさを抱えて生きていたのです。
といはいえ、そんな折に「波動」という世の中から気違い扱いされて申し分のない分野に興味をもつようになりました。
そこから、私は息を吹き返したように幼心を取り戻し、幼少期のように本を読みふける毎日が始まりました。
幼少期に興味を持ったものでも、大人になって見直すと違う世界が見えるものです。改めて伝記も沢山読み直すようになりまして、いろいろ気が付き直せるようになりました。
そして大人になった私は、幼少期には全く気が付かなかった「日本人の偉人」に関するある共通点を見出すようになれました。
ということで、本題。
幼い頃から伝記好きで、今なお伝記好きの私が分かった「日本人の偉人の共通点」をここからお伝えしていきますね。
なぜ敢えて、「日本人」と括ったかと言うと、それは西洋が呼ぶ偉人とは思考性の大元が違うと感じているからです。
その思考性の大元の違いとは、常々お伝えしている通り、〇か△かの違いです。
↓〇と△の違いが分かる記事↓
西洋の方にも立派な方は沢山おられて、見習うべきところは沢山あるのですが、そもそも文化的背景が異次元的に違います。ですから、私たち日本人は敢えて日本人の偉人の特徴を良く知った方がいいだろうと思い、国民単位で括らせて頂きました。その旨どうぞご理解くださいませ。
ということで、改めて本題に入って行きましょう。
日本人の真の偉人と呼ばれる人たちに共通するなと思うことは、「名誉や自己利益など求めていない」ということです。
敢えて真と括らせて頂いた理由は、日本人の偉人と呼ばれる人の中にはそれに当てはまらないなと思う人もしばしば見受けられるからです。しかしながら、圧倒的に多いタイプは「名誉や自己利益など求めていない」です。
そして、こういうタイプの人に共通する思考性というのが
孝、忠、尽の上のある無心です。
気を付けて頂きたいのは、利他ではないということです。
日本の偉人は「利他的である」部分が現代フォーカスされていますが、彼等の心持ちに寄り添えば寄り添うほど、利他を重んじて行動している訳ではないということが見えてきます。
彼等軸においていたのは、孝、忠、尽であり、その結果無心となり「利他」と感じる功績を残したのだと、私は思います。
彼等が残した結果の「利他」ばかりを見ても、彼等に近づくことはできないと思うので、そこをこの記事でお伝えしたいなと思ってます。
改めて、孝、忠、尽の言葉の意味を確認しておきましょう。
こう〖孝〗 コウ(カウ) キョウ(ケウ)
《名・造》
よく父母に仕える。父母を大切にする。「孝は百行の本(もと)」
ちゅう〖忠〗 チュウ
心の中にいつわりがない。まこと。まごころ。まめやか。「忠信・忠誠・忠実」 主君に専心つくそうとするまごころ。臣下としてまごころをつくす。「忠義・忠臣・忠僕・忠犬・忠勤・忠節・忠君愛国・忠勇・誠忠・尽忠・不忠」
じん〖尽〗 (盡) ジン・つくす・つきる・つかす ことごとく
すべて出しきる。最後までゆく。つくす。「尽忠報国・尽瘁(じんすい)・焼尽・不尽・食尽」 すっかりなくなる。つきる。「尽日・三月尽(さんがつじん)・無尽蔵・蕩尽(とうじん)・自尽・消尽」
孝とは親を思い親に従う心で、
忠とは自分が属する組織を思い従う心で、
その二つに尽くし続けることで、無心となり、偉人になるのだなということに、私は気が付きました。
今世の中は利他という言葉が溢れており、それは気持ち悪い偽善を生んでいます。
利他の気持ち悪さは、尽くすという思いの欠落から生まれるものなのだろうなと私は思っています。
また偉人の守備範囲を見ていくと分かり易く感じるのは「忠」の広がり方です。この「忠」の広がり方は、明治期に劇的に変わります。
江戸期まではお国と言えば藩を指していたものが、一気に現在の国土の大きさに変わります。
そして見えていた世界も、日本列島の大きさから地球規模に変わり始めます。
こんなに大きな変化を強いられながらも、明治期の日本人たちが世界が驚愕するような成果を納め続けたのは、孝、忠、尽の思考性が当たり前に腹に落ちていたからでしょう。
だから、世界の広さが変わっても、彼らはぶれなかったのでしょう。
また、孝、忠、尽を持ち合わせて無心の境地に誘われたのなら、国土の広さや全体の広さ関係なく日本人の本領は発揮できるという証明でもあるのだろうなと思っています。
過去の日本人が、現在の日本人から見たらびっくりするほどの利他を発揮できていたのは、繰り返すようですが「孝、忠、尽を持ち合わせることで無心となれたのだからだろうな」と、私は思ってます。
だからこそ、自己保身や自己利益など、現代に生きる私たちがまずもって考えてしまう思考が現れなかったのだろうなと思ってます。
とはいえ、一度でもこの考えの良さを忘れると、これを取り戻すのはとても難しいです。現在絶賛増殖中のアダルトチルドレンの多さからもそれは見て取れます。
だから、偉人と呼ばれる先祖たちが当たり前に携えていた孝、忠、尽を取り戻すのは、とっても難儀であることは言わずもがななのですが、頑張って取り戻したいなと思っています。
孝は親、忠は国、そしてそれに尽くすという気持ちに偽りがない状態を作ることが、人生を心の底から全うできる基礎なのだろうと、今の私は思います。
今の価値観では全く利他に見えない彼らの行動こそが、大いなる利他を生み続けてきたことは、先日記事にした北里柴三郎さんの足跡からも伺えます。
私たちが馴染んできたグローバルの観念からは真逆に見える思想と言動が、実は真のグローバルの入り口かもしれません。
また既に既存のグローバルは終わりを告げています。
今こそ、日本の偉人たちの足跡を見習って、新しいグローバルの為の一歩のために、あなたも自分のできる範囲で努力してみませんか?
そのキーワードは、「孝、忠、尽を持ち合わせての無心」なはずです。
変化が大きい今の時代にオススメの一冊です☆
書籍情報はこちらから→ほんの少し見方を変えたら~ようやく本質に戻れる時代の中で~
電子書籍は半額以下のお値段で購入できます。
↓電子書籍はこちらから、縦書きと横書きがあります。
【縦書き】
【横書き】
View Comments
竹久様、日本の偉人の話は私も好きです。あと、竹久様、多分東京はイタリア並みの被害が出る可能性が高いです。今の東京に集まる人達は、竹久様が憧れる偉人のような方々のような意識の人達なんですかね?そうなら良いのですが、むしろ日本人の良さを忘れた人ばかりではないでしょうか?私は生活圏の大阪、京都、関西が良い周波数になるよう祈るばかりです。
こんばんは!
東京に集まる人に特別を求める事がおかしいかなと私は思いました。地方から見れば東京は「憧れの都」かもしれませんが、生まれた時から東京が地元の人たちも沢山いて、そのような方は私たちが「地元」に感じる思いと同様の思いで生きておられます。
コメントのニュアンスでは「東京に住まう人は、偉人のような生き方をせねばならい」ように受け取れましたので、それはおかしなことかなと思います。
また、私たちは同じ日本国民であり、日本という国家を背負う仲間ですから、地元だけがという気持ちで無くどちらの地域も良い方向に導かれるように心を尽くすことが大事じゃ無いのかなとも思いました。
それから、イタリア並の被害という件についてですが、既に仰る通りではないグラフの動き方を日本はし続けていることをお伝えしておきたいなと思いました。
それではこれからも宜しくお願い致します。
竹久様、結果はどうあれ日本は良い方向に行くと思います。膿は出しきらなければなりませんが。日本人全てが偉人のようではないし、韓国人や中国人が全てロクデナシでないように。とにかく長い目でみて良い方向に行って欲しいです。
そうですね!
その気持ちは私も同じです!
竹久様、東京1極集中というシステムそのものが、西欧のピラミッドシステムそのものじゃないんでしょうか?和のシステムではない気がします。
仰る通りだと思います。
でも江戸から明治期に切り替わる時代を見つめた時、この方策以外に方法はなかったと思います。
また、その問題点がようやく今になって溢れているのですが、だからと言って東京を軽蔑するのはおかしなことだと私は思います。
東京に全てを集中したからこそ、日本は明治の開国から数十年というスピードで先進国の仲間入りをすることができました。それは偉大なことです。
また、敗戦し国土がボロボロになりながらも、脅威の復興を果たす事ができました。
ピラミッドで牛耳られた世界の中で、対抗する術は同じ土俵に上がるしかなかったと思いますし、またその土俵の中で祖先たちは世界が驚く程の結果を残し続けてくれました。
その上でようやく今があると思います。
今だからできることと、過去の時代で出来ることには違いがあります。
私たちは祖先が残してくれた土壌があって、今があります。祖先がこのように頑張ってくれなければ、日本という国も、そして私たちが今話している日本語も失われていでしょう。
それくらい切迫した中で、築き上げてくれた奇跡の上で私たちが生きていると、私は感じています。
そこを充分見極めて、その上で循環型に戻れるように、西も東も力を合わせていきましょう。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
竹久様、竹久様の文章に感動しました。私は霊感とかスピリチュアルな能力はありませんが、より良い方向に行くように祈り、念願する力はあると恥ずかしながら思っています。心が動かなければそれは嘘です。心が動いたので関東、東京がイタリアみたいにならないように念願して、祈ったことすら忘れてしまいます。これから半年後よりよい日本になってると良いですね。
おはようございます。
同じ気持ちが共有できて嬉しいです。
同じ日本の仲間がみんなで笑顔になれるように私たちも努力していきましょう。
これからも宜しくお願い致します。
竹久様、最近知ったのですが、Qanonなどのトランプを後押しした、陰謀を暴露した存在、YouTubeやサイトしってますか?フェイク情報であって欲しいですが。あれを見て東京に同じような日本人が巣食っているならゆるせません。知ってたらすみません。ガセの可能性もあります。悪魔的過ぎて他の方が検索すると精神衛生上良くないので竹久様のブログに上げないほうが良いです。
おはようございます。
Qanonの事は今日初めて知りました。
とりあえずwikiで用語の確認だけしたのですが、トランプ大統領が今までのイスタブリッシュメントの対抗勢力であることは言わずもがなだと思います。
以前ご紹介した「日本人に謝りたい」という本(↓紹介記事)を読むと、いわゆる陰謀論とは違う角度の視点を用いた上で「どういう動きで現状が生み出されているか?」が分かり易いと思いますので、興味が沸いたら是非ご一読くださいませ。
https://takehisayuriko.tokyo/2019/12/11/8677/
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんばんは、いつも新しい記事を有難う御座います。
4月は新年度、世界中のすべてが良い方向に変わることをお祈りしています。
大変な状況の中竹久様もお身体を大切になさって下さい。
いつもお忙しい中素敵な記事を有難う御座います。
感謝します、有難う御座います。
おはようございます。
想像以上に大変な時期に入ってしまいましたが、お互い冷静に対処しながら頑張って生きましょう。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。