そもそも、人の正しいと自分の正しいことは違うものですから。
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人の考えは十人十色。誰1人として全く同じということはありません。
同じような考えに見えたあの人も…近づき話をすればするほど、似ている所より違う所に目がいくものです。
私たち戦後世代の教育は、誰しも同じ色に染まらなければならないような教育を受けてきたからこそ、「誰もが同じ」という錯覚をついついしがちで、そして同じでない時に強烈な違和感を覚えがちでもありますが……そもそも自然が作り出すものに同じものはありません。
それが道理です。
同じように見える桜の花びらだって、重ね合わせて見れば微妙に違う。
咲くタイミングも散るタイミングだって違う。
それが道理です。
全く同じに見えても、自然が創り出すものは全て違うのです。
これが道理です。
そしてこれが私たちが生きる世の一番の基本の掟です。
しかしながら、産業発達によって人間が創り出すものは画一化するものが善しとされてきました。
この技術発達によって、人間が享受できるメリットは多々ありましたが、自然の摂理に照らし合わせれば「これこそが不自然」と言わざるを得ないことでしょう。
つまり…私たちが生きる世界は自然に成り立ちながらも、超不自然の中にあります。
これが私たちの悩みの根源に立ちはだかるものと言えるのではないのでしょうか。
この大いなる矛盾を理解していれば、隣にいる誰かと自分が違っていても「当り前」と思えるものですが、現代文明&教育の中にすっかり身を置いて生活していると、「違い」を不自然に感じてしまいがちです。
また人間の摂理というものは「自分が正しいと思うことを軸に生きるようにできている」ため、この摂理(違いがあって当り前)が体感で理解できていないと、相手を自分の正しさに修正しようと画策します。
また違いに対して「怒り」を覚えてしまうことも多々あります。
家族や恋人間、さらには社内など、近しいコミュニティで繰り広げられる揉め事において、感情の収拾がつかなくなる理由は主にここにあると私は思っています。
似ているからこそ近くにいるのに、近くにいるからこそ違いが目立つ。
また……分かり合えると思っているのに、分かり合えないからこそ腹が立つ。
つまり…人間関係のトラブルの多くは「同じでありたい」事が発端に起きていることが、実はほとんどではないのかなと思っています。
それでも人は「自分の正しさの上に生きる道理」から外れることはありません。
しかも、相手の考えがあからさまに「道理から外れている」場合は修正したくなるものです。
そして、その修正が上手く行かない場合ほど、腹立つものではありますが……
そういう時ほど怒ってはダメです。
たとえば、悪徳商法に騙されている人、偽スピに騙されている人、深田萌絵のような嘘つきの話を信じている人に遭遇すれば、なんとかその状況から脱して欲しいと願ってしまうかもしれませんが、そう思うのなら、感情的になってはダメです。
自分の方が確実に事実を述べていると思える状況である時ほど、淡々とひょうひょうとしていきましょう。
どうしてそうするべきかと言えば、怒りは波動同期を創り出し、問題を長引かせるだけになるからです。
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だから無意味です。
しかも、天のやり方は基本カウンターです。
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相手の攻撃を先にさせてから、受け身で静かに対処することが望まれます。
だからこそ、自分が道理に則っていると思うのならなおのことひょうひょうと冷静に生きましょう。
相手が独り相撲の様相で攻撃している状況を作ることが一番合理的ですから♪
っていうか、道理を会得すればするほど、腹を立てることほど無駄なことはないと気が付くと思いますよ♪
だから、腹が立つことがもしもあっても、ひょうひょうと生きていきましょ♪
そして更に波道を懐におとしていきましょ♪
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