痛ましい現実を目の当たりにしたら、何かしたい気持ちに駆られるのは私も同じなのですが…。
山本太郎が能登に出かけていって、大炎上してましたね。
れいわ新選組代表の山本太郎参院議員が令和6年能登半島地震の被災地に入ったとX(旧ツイッター)で報告したことに波紋が広がる中、日本維新の会の音喜多駿参院議員が2023年1月8日、Xやブログで「何やっ 炊き出しカレーも食べる...れいわ山本太郎氏の被災地入りに「心から愕然」 維新議... - Yahoo!ニュース |
SNSが浸透し始めた12年前なら、こういった政治パフォーマンスはそれなりに成果を上げたでしょうが、東日本大震災を経て、それからもいろいろな震災経験を積んだ日本人はこういったパフォーマンスをしっかり見抜く目が育ちました。
また災害があった際における庶民の心得も深まりました。
ですから、震災直後のボランティア頑張ってます的なアピールは最近ネガティブに捉えられる傾向があるんですが、そこら辺のこと今週月曜日のニッポンジャーナルで飯田先生が適切なことを言い当てられてましたね。
↓是非確認してみてください。
飯田先生のお話要約するとこんな感じです。
そしてこの解説を聞いて、やたら張り切ってる民間ボランティアの人たちに嫌悪感を生ずる理由も分かってきました。
災害現場まで急ぎ駆け付け行動を起こしている人にケチをつけるのは如何なものかと思われるかもしれませんが、震災直後に庶民ができることってないんですよね。
専門家に言わせれば、返って邪魔なことが多い。
ぜひ元自衛官のやす子の意見は参考にして頂きたい。
また飯田先生たちが仰っていた通り、民間の手をどうしても借りたくなるのは、少し落ち着いた頃。
そこが分かっていれば、庶民は日常を大事に過ごしながら、自分なりに募金したりするのがベストでしょう。
だけど、SNS文化が全国民的に浸透した今、やっぱり「自分は頑張ってます」アピールしたい人がいますよね。
そこに感じるなんとなーく嫌な感じと違和感の根源が、これと↓同じだったなとようやく気が付きました。
かなり古い記事↑で恐縮なのですが、スピリチュアルリストのさとうみつろうが首里城で平和の祈りをささげるとかいうイベントをやった時と同じあの嫌な既視感。
っていうかこのイベントに限らず、同じような嫌な感じがスピリチュアルイベントには大概漂ってる。
なんかやたらいい事やってますっていう体でアピールしてくるんだけど、結局それって自分のエゴ満たしたいだけでしょ?みたいな。
これきっかけに知名度上げようとしてません?自己プロデュースの一貫として投稿行ってません?みたいな。
そういう感じ。
どうしようもなく、これを感じるのよ。
ってか実際の話、スーパーボランティアと呼ばれる人たちってだいたいこっそり行ってこっそり帰ってくるもんだしね。
それを大々的に宣伝して、みんなで思いを一つにして助けましょうってさ、ほんとアセンション詐欺のような実態を目の前で見せられてる気になるのよ。
だから嫌な気持ちになってたんだなと、今回ようやく分かりました。
ちなみにだけど、さとうみつろうが平和の祈りと題してイベントした翌年、首里城は燃え消失しました。
まぁそんな話はさておき…災害地区以外に住んでいる私たちは、私たちの場所で、日常を送ることが復興の一番の近道だと私は思ってます。
それではまたね♪
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一般人と国会議員である山本氏とは立場が違うと思うのですが、如何でしょう?
国会議員が行ってしまう方のが罪が重いと思います。
こんにちは。
『歩く千羽鶴』や『生ける千羽鶴』と言われていて笑ってしまいました。
確実に周りの反応が変わってきていて嬉しく思います。
こんにちは。
そんな表現あるんだなと思い確認してみたら、すごい盛り上がっていて笑ってしまいました。
SNSの初期の頃と今とでは庶民のリテラシーに如実な差が現れていますね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
私の担当している仕事は、長年残業が多い仕事でした。自分が主になった時、今までの「皆が一緒の仕事を一緒にやる」を「それぞれが立場に合った仕事をやる」に変えたら残業がなくなりました。同じ仕事している他の所属や偉い人に言っても2年間全く変わりません。だけど「残業はイヤ」と言うのです。「何で皆実践してくれないの」と思っていました。友理子さんの本を読んでいて『◯を△に強要するのはダメ」なんですね、△の世界で◯を(それぞれの立場でやる事を淡淡とやるのが◯の世界の解釈でしたが、違いますか?)実践していくの中々大変ですが、地道に主張しコツコツやっていきます。
こんにちは。本を読んでくださり、そして実践してくださりありがとうございます。
ご理解されてる通りの解釈で間違いないです。
自分の世界を〇に整えていくだけで十分ですし、実際やってみるとそちらの方が地味で地道なんですよね(笑)。
どうぞこれからも宜しくお願い致します。
返信ありがとうございます。仕事のやり方変えたら確かに地道で地味なんですが、サクサク進みました。「皆一緒」って経験力量も違うし、優しくない社会ですよ。友理子さんの書籍を読んで「トップダウン型の社会」→「判断はAIがする社会」のが良いのではないかと思ってます。病気の診断、政策の決定、採用等、人間が決めるのは限界があると思ってます。友理子さんの考えは如何ですか?
こんにちは。
「判断はAIがする社会」という考えは、私はとても危険だと思いますよ。
あくまでAIは道具です。
その判断をAIに委ねるということは、AIの支配下に人間がおかれることになります。
現代人の苦労の多くは、道具であるはずのお金に意識が支配されているから。
AIに判断を委ねるということは、それと同じ状態以下になることを意味します。
AIはあくまでアルゴリズム沿って動いてくれるものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。
もちろんそのアルゴリズムを作るのは人間側です。
答えが分かり切っているルーティンな仕事はAIでオートメーション化が可能ですし、それはとても便利でしょう。
でも判断は委ねてはいけません。
判断を決めるのはまるさんであり、私たちそれぞれの仕事です。
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんにちは。
人の為と言いながら、根っこには「自分のモヤモヤを解消したいという自己満足」から来る行動ですから、結局は自分の為の行動に他ならないのですよね。
ではなぜ「まだ来ないで」と言われているのに行こうとするのか。
それはやっぱり「自分の為の行動」を優先するような人達なのですから、他人に言われてその行動を変える謙虚な心持ちなんて無いからなんですよね。
もっと言えば「人の気持ちが分からない」。
百歩譲って人の気持ちが想像できたとしても、それは「こう思っているに違いない」という極めて独善的なもので、時には傲慢でさえあります。
客観的に自分の行動を見ることが出来ず、独善的で傲慢な思考で行動しているのにも拘らず、「人の為」と宣いながらせっせとアピールしている姿を見れば見るほど「自分に酔っている人」なのだなと思う次第です。
なんかそのような人って言動が芝居がかっていて胡散臭く見えるんですよね。
やらぬ善よりやる偽善とは言いますが、今現地入りして批判されているのは、それが偽善にもなっていないからだという事も理解できないのでしょうね。
こんばんは。
ありがとう♪
私が思っていた根底の思い、全部表にあげてくれてありがとう。
そういうこと!そういうことなんです。
まじでそこ、そういうことなんです。
私のモヤモヤ全部言語化してくださってありがとうございます。
めちゃんこスッキリしました!
こんにちは。全く同感と思いながら読ませていただきました。ただ一つ最近嫌にモヤモヤ感がすることがあります。さとうみつろう君のことです。私も竹久さんと同じように感じていたのですが、最近はみつろう君にスサノオの龍が降りただとかであの保江邦夫先生までも一緒になって盛り上げていたりで一体どうなっているのかと、、、
みつろう君の波動に変化などあったのでしょうか?
こんにちは。
全く興味がないので、確認する気すらおきなくてすみません。
ただ、いつものメンツがいつものように騒いでるだけだと思いますよ。
だから、真面目に受け取る必要もないと思いますよ。
結局そういう風に物事を受け取る人たちにおいてはそう見えるという幻想をみているだけのことだと思います。
それではこれからも宜しくお願い致します。