指摘が受け止められるかどうかって、些細なことに見えて大きなことだよね。
人って、不思議なもので自分が正しいと思うことしかしないようになってるんだよね。
ただし、その正しさはもちろん人それぞれ違って、
道理的に正しい生き方を「正しい」とする人もいれば
どう考えてもおかしいと周囲が思うことを「正しい」と思い込んでいる人もいる。
たとえば嘘つきな人は、一般的な感覚を持つ日本人から見えれば間違っているように見えるけど、その人にとっては正しいし、中国や韓国の人はとりあえず嘘をつくことは正しい事という常識の中で生きてるし……っていうか、地球規模で見て正直に生きることが正しいなんて思っている民族は日本くらいで、ほとんどの国の人は嘘はついて当然という常識の中で生きている。
だから、正しさなんて生まれてきた環境やその人の性格で幾らでも変わるもの。
でも、共通して言えることは誰しも「自分の中の正しい」を起点に動いているということ。
ただし、その人の軸にある「正しさ」によって、生きやすさや生き辛さは変わるものだし、幸か不幸かの違いも大きくなりやすい。
道理から外れたことを「正しい」と思い込めば、残念ながら不幸が増えていく。
私がちょっと前に書いた苦手な彼女も「正しさの塊」だったけど、
その正しさは完全に道理の真逆を走ってたんだよなぁ。
そんなことしたらもがいて当然なんだけど、自分の正しさが強くなればなるほど、人の話に聞く耳持たないのも然り。
あっちなみになんだけど…私が書き連ねていた彼女、自己愛性人格障害の症状に9割方当てはまってたわ。
自己愛性人格障害が強くなると、どんどん人の話に耳を傾けなるんだって。
なるほどなっと思ったんだけど、こういう分岐点って誰もが持ってるものだなって思うの。
ある時、知り合いの女の子が仕事の相談をしてきたことがあるんだ。
その子は今の会社を辞めたら、幸せを軸にしたコンサル的な仕事をしたいって…どう思うって…。
正直なぜ私に相談したんだ?って思うくらい、私はこの分野に足を突っ込むのは当然否定的だったよ。
だからやりたいっていう彼女にひたすらネガティブな話しかしなかったんだよね。
そしたら案の定怒っちゃって、やる前からそんな言い方する必要ないとかまで言われちゃって…この子との人間関係もこれまでかなぁって思ったりしたんだけど……
それから1週間くらい経ったら、なぜか修正してきた(笑)
彼女が否定していた方向に舵を切ってくれてた。
多分彼女はその後も私の言葉が気になって他の人にどう思う?って聞きまわってたんじゃないかと思う。
そしたら、私の意見に賛同する人が多かったんじゃないかな。
そして、少しずつ冷静になっていってその結果、自分が求めていなかった方向へ舵を切ることができたんじゃないかなと思う。
あの時は腹が立っただろうけど、耳を傾けてくれた結果かなと思う。
そして、嫌な言葉もきちんと受け止めようと努力してもらえた結果だと思う。
きちんと聞いてもらえたことが分かると、素直に嬉しいなって思えるし、嫌な思いをさせたけど、それでも言って良かったなと思える。
人は時に道を間違うもの。
だけど、自分だけが正しいと思い込まなければ、周囲の助言で修正を図ることができる。
私も道を誤る時がある。
そういう時、どんな時でも、周囲の声に耳を傾けられる自分でいたいな。
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こんばんは。
「自分が思う自分像」は、他者からは見えない自分だけのもの。
一方で、「他人が思う自分像」も確固として存在し、概ね社会という規範の中ではそちらの方がその存在価値を発揮していることを忘れてはならないと、年を取ってから思うようになりました。
私という人間は、「自己評価」と「他者による評価」によって成り立っていると思えれば、そんなには間違った方向へ進むことは無い様な気がします。
これもバランスが大事ですけどね。
「自己評価」が膨れ上がるとエゴの肥大化に繋がりますし、「他者による評価」ばかり気にしてしまえば自己の喪失に繋がりかねない。
「自己評価」と「他者による評価」の天秤を水平に保つようにしたいものです。
おはようございます。
仰る通りバランスとっても大事ですよね。
相手の意見だけで作ってしまったら自分なくなってしまいますもの。また誰の声に耳を貸すか否かも大きいですよね。
人の指摘を受けれてるはずなのにおかしくなる人は総じて(スピ系に多い)、気分がよくなる言葉に耳を傾けてるんだと思います。
嫌だな、痛いとこ疲れてるなと思う人の声も同様に扱えば、いい塩梅みえてくるはずですよね。
それではこれからも宜しくお願い致します。