ついつい私たちは、民主主義が正義で、民主主義では正義が勝つと思い込みがちです。
民主主義って、そういうことじゃないですよ。
このブログではいろんな形で「民主主義の誤解」について書いてきたのですが、日常的にいろんな場面で使われる「民主主義」は、それぞれご都合よく使われ過ぎてしまうがゆえに、気を付けないとすぐに私たちの認識もぐらつきます。
特にウクライナとロシアの事が起きてからは、「民主主義」という言葉が否が応でも活発に使われてしまう場面が多かったので、余計にぐらついているのではないかと思います。
なので、改めて説明しておきたいと思います。
先日、枝野が「民主主義は多数決ではない」というパワーワードを繰り出しました。
確かに原理から言えばそうですよ(笑)
民主主義って、言葉の本質的な意味を言えば「ルール(法)を王様(国の頂点)以外の人々で決めれる環境のこと」を指しますからね。
ただ、その環境の上でどの民衆の声を採用するかと言えば、「多数」を選ぶのが公平になり易いので、多数を選ぶことになります。
それが、民主主義は多数決と言われる所以であり、原則でもあるわけです。
まぁ本人も記事の見出しはおかしいと言ってますが……
枝野さんが「多数決が民主主義ではない」って言ってる時って、自分たちが少数派な場合(つまり多数決で勝てない時だけ」のダブルスタンダードです。
自分たちが勝てば「民主主義とは多数決」と言い出すので、気をつけましょう。
で、本題です。
民主主義とは原則として、多数決で「多い方が正しい」とされる理論でありまして、「正しいことが多数を得る」ことではありません。
ですが、結構な具合でこれを勘違いしている人が未だにいるなぁと、私は思ってます。
また「多数を得ることが正しいこと」というプロパガンダは常に横行しているので、そこら辺の解釈を民衆は誤り易い傾向にあります。
特にマスコミは、「自分たちの言ってることに従うことこそが民主主義」とも言える横暴さ表に出すこともあります。
2020年の米大統領選の報道なんてまさにそうでしたよね。
そして、メディアこそが民主主義の多数決を「感情主義で成りたてさせよう」と必死になります。
私はウクライナとロシアの問題が始まってから「できるだけ外から冷静に見守ろう」と言い続けているのは、こういう感情的になりやすい事情がある時こそ、感情で正解を出しやすいからです。
しかし、冷静に見たらその感情論は間違っていることも多いです。でも感情が強い時は、間違った方向であっても正しく見えやすいです。
またご存じの通りメディアは、こういう感情を利用して自分たちに都合よく誘導しようといつだって必死です。
ですから、改めて当たり前のことを認識し直しましょう。
民主主義は、正しいことが選択されるのではなく、多数の意見が選択される政治システムです。
多数が常に正しいことを選択しているわけではないけど、その多数には従わなければならない、それだけのことです。
また日本の社会の風潮や風評も、この多数決(多数派)のしくみによって起きています。
そこをふまえて身の回りを見直すだけでも、いろいろな発見があると思いますよ。
そして、そこが分かって立ち回るのと、それが分からず正義を振りかざすのでは、全く違う景色が見えてくるとも思いますよ。
それではまた♪
良い日曜日を♪
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