おはようございます。
火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。
この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。
時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。
激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしようと更新しています。
是非活用してくださいませ♪
近年「多様性」という言葉が世の中に蔓延し過ぎて、逆に「多様性」という札に傷がつかないように萎縮せざるを得ない生きにくい世の中が蔓延しているように感じることが多くなりました。
ちなみにこの日本において、多様性という言葉が商業的に大流行し始めたのは1990年代後半だったと私は記憶しています。
当時の日本は画一的なものしか作れなかった既製品産業から脱却し、各々の好みに合わせた商品に「カスタマイズ」できることを大いなるプライオリティの一つとして掲げて、販売戦略を組み立てるようになりました。
たとえば、車の色のバリエーションが増えたり、車内装備のオプションなどが自由に組み替えられるようになったり、大量生産でありながらも「たった一つの」ものが作られるインフラが整備されるようになったのが、今から四半世紀前の1990年代後半だったと、私は記憶しています。
当時はそれを「カスタマイズ」と呼んでいましたが、それは今で言う「多様性」という言葉の走りであったと私は思っています。
そして、あの「カスタマイズ」ブームから四半世紀間ずっと、社会的にも文化的にも画一化した社会から逸脱することが善しとされる傾向が続いておりましたが、残念な事に…左翼が社会ブームを悪用し政治利用するようになりました。
そして、「多様性」が蔓延しすぎた結果、かえって全体主義を生み出してしまう悪循環も受け容れながら、私たちは生活せざるを得ませんでした。
ですが、最近の世の中の傾向を見ていると、左翼の詭弁ももはや過去の産物だなと思えることが量産されています。
ですから、今日はどうそこら辺の時代の転換が起きているのか、お伝えしたく思います。
最近の世の中は、「多様性」を主張する人の声が強すぎたため、マジョリティ(いわゆる常識的な価値観にいる人)の思いが「おかしい」とされる事が続いていました。
たとえば今から5年くらい前に、「韓国人は嘘つきだから、相手にしないくらいで丁度良い」と言ったのなら、世の中から袋叩きにされる状況が蔓延ってました。
これはおかしなことですよね。
だって…「多様性」を主張する世の中なのであれば、「韓国人は嘘つきだから、相手にしないくらいで丁度良い」と思う一個人の意見も大らかに認めて当然だと思うのですが……そういう主張は「レイシスト(差別主義者)」と認定され、言論も社会的地位も失わされる状況がここ10年ほど激しく続いておりました。
これは本当におかしなことです。
なぜなら「多様性の言葉に含まれるであろう概念とは、真逆の全体主義」が、ここ最近まで大手をふるって躍進していることは、どう考えてもおかしなことです。
さらに言っとくと、今もこのような社会環境の最中にあると思っている人も多いだろうと推測しています…。
………が、皆さんのご心配は既に終わっています。
それはどの現象からはっきり見えるかと言えば、「韓国ニュース」です。
つい数年前までは「韓国」というキーワードを耳にするだけで、腹立たしい気持ちになる人が多かったのではないかと思うのですが、最近に至っては、韓国ネタほどハートウォーミングな気分になったり、腹を抱えて笑ってしまえるニュースネタはないと感じている人って多いのではないのでしょうか。
そして、このハートウォーミングや爆笑してしまう状況の背景にあるものが、「違いを認める=多様性の定着」なんですよね。
つまり、日本人と韓国人は分かり合えないほど違うということを心の底から理解できる人が圧倒的多数になってきたからこそ、「韓国ならそうなるよね」とハートウォーミングに思えたり、あまりにコントみたいな韓国の展開に爆笑できるようになったんです。
逆にほんの少し前の日本人は、「韓国人と分かり合える=同じ価値観である」というある種の全体主義を韓国に用いてたからこそ、腹が立っていたんです。
でも今は、すっかりここが切り離されています。
そして、切り離せるから笑えるし、相手の存在を許せるんです。
繰り返すようですが、今までの世の中は多様性と言いながら、一体化させようとする全体主義が横行していました。
しかしながら、本当の多様性は違います。
本質的な意味での多様性は、互いの違いを理解し合い、付き合うことです。
つまり違いすぎるのであれば、付き合わないことも許されて当然ということです。
この当り前過ぎる当り前が、ようやく日本社会に浸透してきたからこそ、今の日本は韓国を見て「笑える」ようになっています。
これが多様性というものです。
多様性というものは、違いにいちいち同調し、敬い、尊重することではありません。
違うものは違うと区別した上で、相手の範囲内で相手の自由を侵さないことです。
もちろん同調する必要はなく、違うと思えば「違う」とした上で、自分は自分の自由を謳歌する環境を保つことです。
それが知らず知らずのうちに、私たちの社会で醸成されつつあることに気が付いてほしいなと思っています。
繰り返しますがその顕著な例は、韓国に対してです。
そして時代は、本格的な多様性に移っており、違う言葉で言えば「ナショナリズムの回帰」です。
ただし………ナショナリズムに回帰したての方が、相手との意見の違いが認められず、腹立たしさを募らせてしまうものでしょう。だって、長い時間「同じと思う全体主義」に頭がやられてたのですから、それも仕方ないかもしれません。
しかしながら、その腹立たしさは、波動的に言えば「問題を長引かせ、低波動化させるだけの無意味な産物」です。
↓詳しくはこの記事で↓
どうか、ここを深く理解した上で、韓国ネタのように違いは笑って受け容れられるように努力していきましょう。
その努力は新たな時代を生きる推進力に必ずなるはずです♪
それでは来週火曜日の7時にまたお会いしましょう♪
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