おはようございます。
火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。
この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。
時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。
激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしようと更新しています。
是非活用してくださいませ♪
このコーナーでは、世の中の「変わる」部分だけに着目して、記事を書き続けています。
それゆえ、「変わらなければ!」なんて、躍起になっている読者様もいるかもしれません。
しかしながら、一方で私は「道理は常に変わらない」とお伝えもしています。
それゆえ、言葉尻だけを捉えると、とても矛盾したことを張り切って伝えているようにも見えることでしょう。
ですから、今日はこの辺の整理を改めてしておきましょう。
現代に生きる多くの人が混乱を持ち合せている根底にあるのは、メディアを中心とした社会世論(主に左翼の主張)が「変えられないはずのものを『変えろ』(変えてはいけない部分を『変えろ』)」と大合唱し、「変えた方が良いことを『変えるな』」と言う部分にあるでしょう。
以前申し上げましたが、変えられない部分を変えろと言うのは、そもそも矛盾です。
また、このような矛盾が立て続けにおきると、人は当り前に思考力を奪われるものです。
そして、このような社会が蔓延すれば…当然人は自分を失いロボット化をしていきます。
なぜなら、道理に反した矛盾の中では、自分の中から答えが出るはずもないからです。
しかしながら残念なことに…、この社会はこの間違った方程式が「正しい」と言わざるを得ないことが蔓延しています。
方程式から導き出されるはずの答えがどう考えても違うのに「これが正しい」と言い張る人たちの声に押され、それを「正しい」と言わないことには生きにくい事が蔓延しています。
たとえば、生まれた時点で物理的な男女の違いがあることは道理です。
しかしながら、最近の世の中はその道理を無視して、男女は「精神の違い」という認識に変換しようと躍起になっています。
これは大問題です。
そもそも男女の違いは、精神でもなんでもなく物理的区別です。
この区別に感情を携えることがそもそもおかしなことなんです。
どうかそこに気が付いてください。
物理的に体格も身につけている身体機能も違うからこそ、区別があるのです。
でも、その当り前のことを今の社会は思想で超越していこうとしています。
おかしなことですが……これをおかしなことだと言うと、批判されるのが常ですし、一方で推進することは先進的とされています。
ほんと、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるとしか言いようがありませんが、これが私たちの生きる社会の現状です。
そもそも精神と物理は、分けて考えるべきことです。
ですが、今の世の中は物理的な物事も、全て精神で乗り越えられると勘違いしています。
さらに言えば、物理的にある物事よりも精神(思想)が優先されるようにもなっています。
これはおかしなことですね。
なぜなら物理的にあることは「変われない(普遍的)」ことが多く、精神は「変わる(流動的)」ものが多いからです。
にもかかわらず、この「変わる」部分を今の時代は普遍に扱い、「変われない」部分を壊そうとしています。
どうか、ここに気が付いてください。
常に変わっていくのは、精神や思想の部分であり、男女のような物理的違いは変わらないものです。
ですから、思想(精神)の部分を物理と同等に扱わないようにしてください。
ここは全くもって次元の違う話です。
私たちは、そもそも空気と水と温度と食物がなければすぐに死んでしまうような儚い生き物であり、このような物理的な側面の方程式に逆らうことはできません。一方で精神(思想)は、良くも悪くも個性であり、自由であり、道理には縛られることはありません。
しかしながら、今の社会は強烈にここを逆転させようと必死です。
この必死さは、劣勢となった権力者たちの喘ぎともいえますが、ここに気が付かなければ今まで以上に人はロボット化していまいます。
ですからこの区別をしっかりさせた上で道理に則り生きていきましょう。
そしてこれは、この激動の荒波を緩やかに生きるためのコツとなることでしょう。
意識していなかった人は、どうか今日から意識してみてくださいね♪
それでは来週火曜日の7時にまたお会いしましょう♪
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今回の記事が、すとんとお腹に落ちました。
おかげで、前からもやもやしていた、
なぜ、日本は中韓の様な情理に訴える、あるいは国家的な規模の嘘に弱いのか、それなのにそれらの組織、あるいは共産主義に対してのカウンターみたいな位置に居るのか、
共産主義が、宗教を認めてないのに何故むしろ更に教条主義なのか、
トランスジェンダーの男性を女性スポーツに参加させる動きに対して自分はどう思うかとか、
色々すっきりしました。
物理法則は変わらない、精神性は変わるもの。
それをはき違えるのが問題だったのですね。
(日本はどちらかというと物理法則に関しては積極的に構いますが、精神性に関しては自由度を尊重して結構そっとしておきたいところが有るのではないかと思います。)
それでは、また寄らせていただきます。
こんにちは。
仰る通り、日本ほど精神に関する自由度が高い国はないと思います。
それはみんなが道理を基準に生きていたからで、そこを外れなければ後は自由的な感じで社会が営み続けられていたかと思うのですが、敗戦後の教育でその根底の軸が見えなくなってしまい、それゆえ混乱しているのだと思います。
ですから、気が付いた人からこの基本の部分を押えて事にあたっていきましょう。気が付いた人が実践するだけで社会は必ず変化します。
それではこれからも宜しくお願い致します。