おはようございます。
火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。
この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。
時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。
激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしていきたいと思ってます。
また「変わる、終わる、始まる」も月曜日の「今日から使えるマーケティング講座」と同様、お仕事で利用して頂けたら嬉しいなと思っていますので、こちらも朝7時に更新していきます。
こちらも朝のお供として、是非活用してくださいませ♪
なんやかんやで2020年もあっという間に3分の2が終わろうとしておりますが……相も変わらず武漢ウイルス騒動は続いており、多くの人がほぼほぼ動けないまま日常を過ごすことになってますね(^^;)。
早く終わってとは思いつつも……完全に沼に落ちてる感は否めません。
また…かれこれ2ヶ月前に、こんな記事を書いたのですが、
さらにあの3ヶ月から延長して2ヶ月の月日が経ってしまいました。
騒動が開始したのは1月末と思うと、すっかりこの半年間は、この武漢ウイルスの沼に浸かっておるわけです。しかもこの騒動は、地球上の誰もが付き合わなくてはならない状況であり、日本だけの話でもないんですよね。
さらに、現状を鑑みれば、少なくとも8月末まではこの状況が続くことは容易に予測され、その後風邪の季節となる秋冬がやってくることを考えれば、さらに動けなくなることも必然と言えるでしょう。
つまり丸1年はこの騒動の沼からは抜けられないだろうということです。
そうなると、人の心も、社会環境も一変するものです。
しかも、この騒動の特徴的な事は、今まで「良い」とされていた事のほとんどが「NG」になっているということが重要ポイントと言えるでしょう。
たとえば、今までの時代は朝起きて定刻までに会社に行き、働き、そして充実したアフターファイブを過ごすことが「イケテル社会人」の平日の過ごし方でした。
また休日は、遠方にバカンスに行き、美味しいご飯を食べたり、美しい景色に癒やされた生活をするのも…やはり「イケテル社会人」の休日の過ごし方でした。
ざっくり言えば「リア充」と呼ばれる人たちの過ごし方です。
そしてこれが、ここ半世紀のイケテル人たち(意識高い系)の生き方だった訳ですが……全面的にNGとなり早半年が過ぎようとしています。
また「リア充」民たちは、主にインスタ映えを駆使した形で、イケテル自分を演出することに必死になっていた時代がここ数年続いておりましたが、いわゆるリア充民たちがこぞって上げていたような写真や情報など、今や上げた瞬間に非難殺到となります。
ですから、情報空間においてもかつての「リア充」的なマウント合戦はすっかり過去の話となっており、「お家で静かにしていても充実した形で暮らせる私」=「家充」=「ポジティブな引きこもり」を演出できる人がマウントを取りやすい社会環境に変わってきています。
そうなると、当り前ながら消費動向や消費するものにも変化が生まれますよね。
こういう状況が半年も続けば、今まで定期的に買ってたはずのものを買わなくなるケースが身近に増えているのではなかろうかと思います。
女性であれば、化粧品を買う頻度はどうにもこうにも減ってしまうでしょうし、お洋服やバッグや靴も買わなくなるでしょう。
だって、人と会わないですから。
逆に言えば、人と会うからこそお化粧をしたり、お洒落をしなくちゃいけない日々を過ごしていたわけです。
またお洒落も自分がしたいからという思いでやっていると言うよりは、そうしなきゃダメだと思わせる社会環境があるからこそやっていた人も沢山いたのではないのでしょうか。
良く見られたい、ちゃんとしているように見られたい、その気持ちは社会人にとって必要なことではありますが、ぶっちゃけて言えば、それは見栄です。
そしてそんな見栄を取り繕うための消費も多かったのではないのでしょうか。
というよりも……ぶっちゃけ高度成長期を終えた後の日本社会の消費の下支えのほとんどは「見栄」で成り立っていたのではなかろうかと思う所が、私には多分にあります。
また「見栄」を維持するためのストレスに、お金が使われるケースも非常に多かったのではないかと思います。
見栄の為にお金を使い、見栄によって生まれたストレスによってお金を使う。
しかしながら、そんな表裏があって持続できた経済活動は、「動くな」と言われる社会環境によって、その両輪が失われることとなっています。
これは日本の経済においては大ダメージですが、ゆくゆくの事を考えれば、良いことでしょう。
見栄を張って特別なふりをして生きるという空虚な時代が終わりになっているということですから。
見栄が軸となった社会体制だったからこそ、持続可能であったビジネスや業界はここからどうにもこうにも大変な思いを積み重ねることになることとなりますが、どんな時代も終わりが来るものです。
こんな風に大袈裟に一気に終わることは戦後世代では始めてのことですが、江戸から明治への切り替えでも似たようなことはきっと起きていたのでしょう。
ですから私たちも時代が変わるということはこういうことかと、受け容れて生きていくしかないのでしょうね。
また抗えない環境の中で私たちは生きるしかないのですから、皆さんには是非、この期に「見栄」の消費の見極めをされることをオススメします。
本当に自分が必要だと思って買っているものなのか、それとも誰かから見られることや認められることを想定した上で買っているものなのか、見分けましょう。
これからの時代に不必要なものは後者です。
その後者を省いて、等身大の自分に似合う消費をしていきましょう。
一瞬は戸惑うかもしれませんが、等身大に必要な消費は自分の心の状態を良くしてくれるはずだと思ってます。
そして多くの人が等身大に戻れたのなら、きっと鬱病が三大疾患と呼ばれる時代も過去のものになるんじゃないかなと私個人は期待しています。
今の社会体制が壊れる時、それは誰もが傷を負うものではありますが、その傷を癒やしながら等身大で楽しい消費活動ができる社会になっていけたら良いなと思っています。
ということで、今日のお話は以上です。
それでは来週火曜日の7時にまたお会いしましょう♪
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おはようございます。
「人の目を気にしない」
この言葉には2つ意味があると思います。
・自分のやりたいように好きに振舞う。
・周りに振り回されず自分を律する。
前者は足し算脳。後者は引き算脳。
前者は自尊。後者は自重。
等身大の自分を自覚するには自分の中にある負の面も自覚する必要がありとても勇気のいることではありますが、それ無しに等身大の自分は自覚できないでしょう。一朝一夕で出来るものでもありませんし、何なら一生をかけて探求することかもしれません。
今までの世は何事も「早さ」が是となり物事を終わらせたがっていた時代であるが故に、問題の原因を自分の外に作ることを容認しやすい時代であったのではないかと思います。
武漢ウィルス騒動も政府や行政のせいにばかりしているのはその顕れです。
ウィルス収束は個人の行動にかかっているのにも拘らず、周り(メディア)に振り回され過ぎです。
問題の原因の一端が自分にもあることを自覚できれば、周りにばかり気を取られそれに振り回されることも減るでしょうね。
おはようございます。
足し算脳引き算脳の詳しい解説ありがとうございます。
勉強になります。
本当に仰る通りで、今までの時代は自分と向き合わずに外に向かえば良しとされていて、だから自分と向き合っていないことに気が付いてすらいない人が沢山いますよね。
そういう人は漠然と自分探しをしたがる割に、何のために今自分が生きているかはさっぱり理解不能になっていて、自分を探したら生きる理由が見つかると思ってるのですが、自分探しのために外国に出かけていったりしますからね。
見つかるはずないですよね(^^;)
それではこれからも宜しくお願い致します。
ゆりさん、こんにちは。
いつも学びのある記事をありがとうございます。
私はふだん、百貨店で働いているのですが、百貨店というビジネスモデルが過去の産物になりつつある気がしてなりません。
こないだYouTubeで落合陽一さんと百貨店の偉い人達が「これからの百貨店」というテーマで話す動画を観たのですが、なかなか時代遅れな話をされていて...。
多くの百貨店は、一連の騒動で売上が半減しました。
数年前からインバウンド需要頼みだった部分もあり、本当はもっと前から百貨店という形に限界があったかもしれません。
「百貨店でお得意様扱いされて、ブランドを買う私♪」みたいな、対外的なステータス思考は、もう古いですよね。
周りの同僚も派手好きが多く、ブランドものなどのファッション、旅行、グルメ、飲み代などなど「外」へ時間やお金を投資してきました。
対して私は、休日は家にひきこもり、ほとんど誰とも会わず、ブランドのカバンも買わず、歴史や政治の勉強、精神世界などの「内」に勉強にお金や時間を投資していたので、
同僚から不可解な目で見られてきました(-_-;)
記事を読んで、その辺も、変わってきそうだなぁと思いました。
これから、痛みはあろうとも受け止めていかなければいけないですね。
自分語りを失礼しました。
いつも学びをありがとうございます♪
こんばんは!
百貨店で働いている方には言いづらいですが、複合施設が増産された現況において、百貨店のビジネスモデルはやっぱり過去の物と言えると思います。
20年前までは「百貨店にはブランド力」があったのですが、百貨店のブランド力よりも、テナントのブランド力が勝った結果、ショッピングモール(ショッピングセンター)との違いが無くなってきてしまいました。
仰る通り、「百貨店で買う私」にブランド価値を感じる人だけの消費の場になっているためガラパゴス化が昨今は激しく、そのためインバウンドに頼る必要があったわけですが、中国が頼みの綱になっている場所は、その時点で既に瀕死の状態だったのです。ですから辛うじて中国のおかげで生きながらえていたと言えます。
そういう企業はここからばったばったと倒れていかざるを得ない状況になっていくわけですが、仕方のないことだと思ってます。
辛いでしょうが、その先には必ず新しい時代があるので、今を大事に、今の経験を楽しみ生きていきましょう。
これからも宜しくお願い致します。
ゆりさん、こんばんは!
丁寧なお返事を、ありがとうございました。
ゆりさんの的確なお話で、自分の肌感覚体感していることが腑に落ちました!
いや~まさに沈みかかった船ですね(>_<)
私は、2年前くらいからゆりさんのブログに出会い、
政治・経済を学び始めて世界の見え方が変わったので、ゆりさんとの出会いは本当に宝物のように感じています。(一方的にすみません。)
もしゆりさんに出会っていなかったら、この世界の大きな潮流が変わることも、理解出来ていなかったかもしれません。
以前のゆりさんの記事、「私たちの悲劇は、地球にとっては奇跡なのかもしれない。」も、納得せざるを得ませんでした。
これから自分自身に起こりうる痛みへの恐怖もありますが、
ここはノーベル平和賞の劉暁波氏の言葉、
「私は、個人的な境遇を超越し、国家の発展と社会の変化を見据えて」いけるように、準備して努めたいです。
氏の足許にも到底及びませんが(-_-;)
今後とも宜しくお願い致します♪
おはようございます。
畏れ多い言葉を頂き恐縮しておりますが、嬉しいです。
時代によって良いとされるもの必要とされるものに違いが起きるのは必然であり、様々な栄枯盛衰の果てに今があります。
移り変わることを悲観的に捉えすぎることなく、そこまでの業績に感謝の念を持ち合せつつ、今を生きていきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
今まで大量生産大量消費と言われてましたが
実際のところは大量生産大量廃棄だった。
ほとんどの物は使われず破棄されているように感じます。
農業の研修をしていたときですが、例えば、ほうれん草なんですが、収穫したら、外側の大きい葉っぱを捨てます。容量的に全体三分の一ぐらいです。次に虫くいや色々が変わったものや変わりそうものも捨てます。理由は、スーパーに並ぶのは3日から一週間後だから、それを見込んで捨てます。規格外も廃棄、売れ残りも廃棄、ちなみにとれたてなら全部食べれます。
捨てるぐらいなら最初から作らないような仕組みや
社会になってほしい限りです。まだ、江戸時代の方が
循環社会として成熟していたと思います。
「モッタイナイ」
おはようございます。
ホント仰る通りで、大量生産大量破棄の時代でしたね。
物を捨てることでお金を回しているのですから、疲弊しおかしくなっても仕方が無いです。
これまた仰る通りで、今は新たな情報インフラが確立できたのですから、必要な分だけを作り必要な分だけ利用するといった江戸時代のような循環型社会に戻ってほしいものです。
それではこれからも宜しくお願い致します。