昨日、東京のクライアントと電話していたら想像以上に都会の人は過度なストレスの最中に身を投じているのだなと思いました。
なんか今日辺りに緊急事態宣言が出るとかいうデマのチェーンメールが滅茶苦茶回ってるみたいですね。
ちなみにこんな田舎に住む私にも、そのチェーンメールは回ってきました。
都会であれば何人もから、同じチェーンメールが届いているそうです。昨日東京のクライアントが、そのことについて教えてくれました。
そしてクライアントは「もうなんだか良く分からないくらい怖いから、早く緊急事態宣言してロックアウトしちゃってほしい」と痛切に仰っておりました。
一般的なロジックであれば、政府がそうしたいと思っていても、民間はその処置を嫌がるものなのですが……「日本は逆なんだなぁ…」と、ふと私は思ってしまいました。
まぁこれだけメディアが中途半端な情報ばかりを出して不安を煽りに煽り、また政府も行政も含みのある言い方しかしなければ、民間が不安になってしまうのは仕方がないことだと思いますし、また実際問題として「緊急事態宣言を出してくれないから滞ってしまっている」という部分があるのも事実だと思います。そして宣言すれば、スムーズになる部分も沢山あるでしょう。
しかしながら、まず私たちが理解しておかなきゃいけない事があると思います。
こうなってしまっているのは、そもそも私たち民間が有事と平時の違いをそもそも理解していなかったことが根底にあります。
たとえば日本には、どこの国にも当り前にある「緊急事態事項」が憲法に定められておりません。また、緊急事態宣言を出したところで、その法整備もできておりません。つまり、「出しても出さなくても実は変わらない」部分も大いにあります。
とはいえ緊急事態宣言を出せば、首長(知事)の権力が増すことになるので、行政主体でスムーズな判断もしやすくなるメリットはあります。
しかしながら、これが首長の暴走になる可能性もあります。また今回のパニックは一部地域だけの事では無く全都道府県にまたがるものになるので、どこかの首長が暴走した事がさらなる混乱に繋がってしまうというケースも考えられます。
ですから、このようなメリットデメリットをしっかりそれぞれが考察したうえで判断する土壌が必要なのに、もちろんメディアはそういう話をしません。
ですから多くの人は垂れ流される情報の空気に沿って「早く緊急事態宣言出して!」という感じになってますが……こういう世論はとても危険だと私は思ってます。
そして、この要素が第二次世界大戦中に、戦時革命を可能にさせ、敗戦革命も可能にさせてしまった原動力だと思っています。
だからとってもこの傾向を危険視しています。
現在、多くの人が陥っている状況は「サスペンス状態」だと思います。
サスペンス状態というのは、「本当の不幸はまだやってきていないのに、不幸がくるかもしれないと想像するどっちつかずの心理状態」です。
このサスペンス状態という言葉は武田邦彦先生が提議されているものです。
↓サスペンス状態を説明している動画↓
私はこれを知った時に開眼した感覚を得ました。
このサスペンス状態のことについて昔書いた文章があるので、理解を深めて頂く為に、少しここで引用しますね。
ここ最近、「幸せになること」を目的としたスピリチュアルの分野で俄然人気を誇っているのは「思考は現実化する」という考え方でしょう。引き寄せの法則を筆頭に、自分の気分や思いによって現実が創られるという事象は注目を浴び続けています。
ちなみに「思考は現実化する」は、スピリチュアル発祥の言葉ではなく、ナポレオン・ヒルが提唱した成功哲学の有名な言葉で、起源は成功哲学にあります。
スピリチュアルと成功哲学は似て非なる思想ですから、同じように扱えば必ず矛盾が生じます。そのため、双方の考え方を取り入れて実践すると、望む結果が得にくくなってしまうのですが、「とにかく楽して、幸せになりたい」がモットーとも言える昨今のスピリチュアルでは、このような自己啓発的哲学までもがスピリチュアルな手法の一つとして取り入れられています。だから、どのような考え方でスピリチュアル教祖様たちが「思考が現実化する」提唱しているのか、ここについては充分注意を払う必要があるでしょう。
ただし、「思考が現実化する」ことは事実ですので、この道理が理解できた方が生きやすくなるはずだと思います。
なぜなら、私たちは必ず無意識的にであったとしても、何かを考え行動をし、それが現実として現れるという手順を常に踏んでいるからです。私たちは普段自分の思いがどのような行動を作りだしているのかあまり意識していませんが、ほんの少し頭に過ぎった思いや考えによって、常に体は勝手に動き出します。
たとえば家にいる時に「喉が渇いたな」と思ったとしましょう。すると、人はそう思ったと同時に、自然と足が冷蔵庫に向き、冷蔵庫の中から今の気分に一番あった飲み物を探し出します。さらにコップを取りに行き、飲み物をコップに注ぎます。そして、ごくごくとそれを飲み、喉を潤します。
他の例も挙げてみましょう。
たとえば「部屋が暗いな」と思えば、部屋の電気のスイッチを押したりして部屋を明るくするでしょう。部屋を明るくするために私たちは、腕や足や目などを無意識的に使って現実化を引き起こしていますが、ここに私たちはなかなか気がつけません。
だからこそ、「思考は現実化する」という言葉を聞くと、普段の日常とは別の「特別な作用」である錯覚をしてしまいがちです。そして、このような錯覚によってスピリチュアルという世界から抜けられなくなり、さらに目標達成すらできない沼を創り出します。
しかしながら、先ほどの例題のように思考が現実化することが当たり前のこととして体感しできてくるようになると、「思考は現実化する」のではなく、「思考から現実が生み出されている」という物理的原理が存在しているだけだということに気がつくようになります。
法則というよりも「思考から現実が生み出されている」というのは単なる道理なので、特別視する必要もないことないと思うようになるでしょうが、スピリチュアルに没頭している人ほどその当たり前のことに気がつけなくなります。
なぜなら、スピリチュアルに没頭している人の多くは、自分が如何に幸せになるかを考えている人が多いのですね。第一章でお伝えした欲を携えた夢に翻弄された挙げ句、サスペンス状態に陥り、その状態でスピリチュアルな力を使って自己実現を引き起こそうとするから、概ね視野が一般人よりも狭くなっています。
だからこそ、自分にとって都合の良い現実だけを自らの思考で創り出そうとしてしまうのですね。もちろんそんなサスペンス状態の思考を利用して何かしたって上手くいくはずもありませんから、四苦八苦した挙げ句、教祖替えなどをして苦しみを増やす行為を続けているように思います。
幸せを掴もうとして苦しみを増やしている理由は簡単です。
第一章でお伝えした通りそもそもの幸せの定義を多くの人が間違えており、その間違っている部分に気がつかないまま思考の現実化を図ろうとしているからです。
「喉が渇いたな」と思ったら、飲み物を摂取すればその願望は叶い消えていきます。
「部屋が暗いな」と思ったら、部屋の電気をつければ、その願望は叶い消えていきます。
それと同じように、「幸せになる」ということも、この目標達成に適う行動さえすれば、幸せというのは一時的でなく恒常的に感じられるようになるのに、その道理に沿った行動をしないから、ずっと喉が渇いた状態や部屋が暗い状態の中にいざるを得ない状況になっているだけなんですね。
さらにスピリチュアルに没頭気味な人たちに共通するのは、幸せというのは目に見えない世界であるがゆえに、現実の誤認まで引き起こしてしまっていることでしょう。
つまり本当は「喉が渇いている」状態が事実なのに、そこに向き合わず「私の喉は潤わされている」と思い込もうとしたり、「部屋が暗い」状態が事実なのに、そこに向き合わず「私の部屋は明るい」と思い込み、敢えて事実を自らの力で誤認させているとも言えるでしょう。現実と向き合わず「自分は幸せだ」と思い込もうとした所で、何も解決はしないのですがね。
確かに、無理すれば一瞬だけは幸せに思えるかもしれませんが、それは無理してそう思い込んだ時だけに現れる現象です。もしくは、世の中の人とは乖離した幸せの基準を持ち合わせることによって、浮き世離れした幸せに浸っているだけのことでしょう。
特に最近は、SNSを主体としたセミナービジネスなどの影響から、ネット上で自分を良く見せたい欲求が溢れてしまう人が増えてきました。ネットの中で自分を大きく素晴らしく見せるのは構いませんが、その人の等身大と大きくずれてしまう人たちが沢山います。
このような人たちたちは、できるだけ自分を幸せそうに見せることで、幸せが訪れるというとんだ勘違いをしているようですが、これこそ先ほど例に挙げた事実誤認の良き題材と言えるでしょう。本当は「喉が渇いている」のに、本当は「部屋が暗い」と思っているのに、そこと向き合わず、明るく振る舞うことで問題が解決すると思っている典型例と言えるでしょう。
そんな無理をしたところで、一歩も幸せには近づいたりしてはいないのですが、現代は幸せから遠ざかってしまう指南に惑わされてしまう人が多いだけでなく、幸せの定義そのものが間違って流布されてもいます。その誤認を直さなければ、どこまで行っても、かつての私のように「幸せは苦しくてしかたがないもの」になってしまうと思います。
大事なのは幸せを求めるのではなく、不幸せだと思っている感情としっかり向き合いその理由をまずは把握することだと思います。
それが分かって初めて私たちは「喉が渇いた」「部屋が暗い」という行動の第一段階が始まるのだと思います。
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今はありえない事が多発しています。だからこそ、いろんな不安が押し寄せてしまう人は沢山いると思います。
それは仕方がないことですが、どうかまずはその不安の種は一体なんなのか、見極めましょう。
すれば思考すべき範囲と対応策が見えてくるようになります。
そしてこれが分かると分からないかで起こす行動は雲底の差となりますから、まずは見極めましょう。
これをせぬことには、またもや先の大戦の混乱と同じ事が起きてしまう可能性が高くなりますから、ちゃんと自分の気持ち(不安)と向き合いましょう。
せねば、伊丹万作さんが危惧した「「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。」がまたもや繰り返されることになってしまいます。
伊丹万作さんに関する記事↓
不安な時こそ誰かに引っ張って欲しいと思う気持ちは強くなるものですが、こういう時に誰かに委ねる気持ちをもってしまったがために、その後がもっと大変になることはよくあることです。
確かに今は非常事態宣言をするのに相応しいタイミングではあるかと思います。しかしながら、今の民間の心持ち状態を考えれば、逆にしない方が良いように思ってしまうように私には映ります。
それはなぜかというと、思考を放棄したい欲求が強くなりすぎているようにも見えるからです。
不運が重なってスピや宗教に走ってしまう人の心持ちを想像してみればよく分かる事だと思います。
ですから、とってもこの空気感を危険視しています。
この思考放棄が様々な現状の問題点を生み出してきている事実に気が付いた上で、それぞれが今を生きれたら良いなと思っています。
変化が大きい今の時代にオススメの一冊です☆
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こんばんは。
竹久さんの意見に同意します。
今人々から不安が沸き上がり始め緊急事態宣言を欲している様は、裏を返せば「今まで如何に何かに依存しなければ自分の行動を決められなかったか」を表しているようにも思えます。
1月の段階からすでに危機は始まっていて、各人が理性的な判断と行動をとっていればここまでにはなっていなかったのではと思わずにはいられません。
誤解を恐れず敢えて言うならば……最近居酒屋に行ったり、ショーパブに行ったりして感染してしまった方も多数おられるようですが、そのような人達は不運ではあるでしょうが、「自分が被害者と認識ができた日の数日前から加害者でもあった」ことを理解してほしいです。だからこそ自粛なのだということを。
勿論、医療関係等に従事されていたり、公的な機関、または仕事で不運にも罹患された方々には、回復を祈るばかりではあります(それ以外はどうでもいいという意味でもありません)。
ですが、前者は責任感と想像力が欠如していると思います(言い過ぎかもしれませんが、あの飯塚幸三を思い出してしまいます)。
今は目の前の権利を行使するよりも、日本をこれ以上武漢ウィルスにやられないよう日本国民として国を守る(と言うと大げさかもしれませんが)という行動こそが求められていると思います(私はそれが義務に近いものだと勝手に思っています)。
それが自粛であると。
事態を打開するために「足す」ことが増えると、新たな問題が派生する原因にもなるので、「足す」ことは最小限にするために我々が自粛という「引く」ことをすべきなのではなかろうかと強く思います。
おはようございます。
今まで有事の事を考えてこなかった人ほど、混乱が大きいように感じています。
「政府、行政の対応が悪い」という言葉はあちらこちらで聞こえてきますが、どう冷静に考え直してみても1月2月の日本人の思考を考えてみれば、「思い切った決断(鎖国対応など)」などできるはずもありません。
どうしてそうなってしまったのか、それは国民1人1人の平時の意識の問題である事は言わずもがなでしょう。しかし、それが積み重なって今があるということを多くの人は自覚していません。自覚しないまま誰かのせいにすることばかりを考え、その上自己保身を続けながら、別の誰かに依存する行為を続けているように見えます。
そこにまずは気が付いて、それぞれの心持ちを整え直す事が必要かなと思いますし、それがべっくはむさんの「引く」という考えに繋がるのかなと思ってます。
また、考えが甘かった場所から物理的なデメリットがどんどん増えている状況を考えると、因果応報が分かりいやすい時代になっているなとも思ってます。
それではこれからも宜しくお願い致します。
いつも考えるキッカケをいただきありがとうございます。
前はこの幸せになるにハマっていました。それから、自分の身になりそうなものだけ取り入れるようにして、最終的に選ぶのは自分なんだに行き着きました。今回の記事を見て、政治がなかなか決定的な事を言わないのは、焦らして国民が色々考えるのに疲れて、考えるのをやめるのをねらっているのかな?と思ってしまいました。
私は映画、ライフイズビューティフルのような子供の為に騙せるようにはなりたいとは思っています。
おはようございます。
政府の暖簾に腕押しのような対応の繰り返しは、私たちの見えない場所での攻防がもの凄いことになっているのだろうなと思います。
自民党議員の中に100人以上減税派がいる事実がそれを裏付けているように思います。
https://www.youtube.com/watch?v=-iFIaGbtrNI
日本は独裁政権ではなく法治国家の民主主義であるため、何事もみんなの意見を聞かなくてはなりません。
こういう時にもどかしさは感じるものですが、実は日本ほど無自覚な国民の声が政治に反映されているなと思う国もありません。
ですから、私たちそれぞれがしっかりすることが第一だろうと思って、毎日生きています。
中枢にいる方々のストレスと疲労困憊は尋常じゃ無いレベルに達していると思います。それが良く分からない動きに繋がっていて、国民の怒りを買うことになっている事実は否めませんが、お互いに国民であることを理解して、良い方向に向かうための協力をしていきたいなと思ってます。
それではこれからも宜しくお願い致します。
そういえばハート屋さんは相変わらずの発言に対して、毎回いろいろ言われてますが、小規模ライブをやる!と言った矢先、3/30に誰かしらがやった都内のライブハウスでコロナ発生の記事が出てました。流れに嫌われてるなーと思ってしまいました。大人しくしてるか、オンラインでやればいいのに、地方だからと開催するんじゃないですかね?対面じゃないと不具合でもあるんでしょうか...
おはようございます。
えぇぇぇぇ……そうなんですか(^^;)
大変な時には大変な事が重なり、不運には不運が重なるものですね。
今年のおみくじは凶でしたものね。八坂神社のおみくじ当たるんですね。
https://takehisayuriko.tokyo/2020/01/07/9169/
それではこれからも宜しくお願い致します。
こんにちは!サスペンス状態の記事、興味深く拝読しました。
私は今、武漢ウィルスとは別件でサスペンス状態にいます。数年単位で続きそうです。
サスペンス状態のコツは、最悪の状態になったと思って生活することだそうですが、
(YouTubeではなく、文字媒体で武田先生の記事を拝見しました)
それって、最悪の状態を引き寄せることにはなりませんか?ふだんは引き寄せの法則なんて気にしないんですが、サスペンス状態だと気にしてしまう自分がいます。
自分も弱いところがありますね….
(ふだんも強いとは思っていませんが)
こんにちは!
「最悪を想像することすら危ない(最悪を想像するとそれを引き寄せる)」という考え方は現代一般的なことですが、それは言葉を変えれば「臭い物に蓋をする」行為であり、本質的な物事は解決せず問題を先送りしているだけだと思います。
大事なのは、最悪の事態を想像したとしてもそれに動じない心であり、その上で淡々とやるべきことがやれる状態を創り出すことです。
また最悪の事態を想定してそれが起きたとしても、それは想定内の出来事となるため、起きたとしても冷静に対処ができます。
そういう状態を常に作れるようにすることが、私は大事だと思っています。
それではこれからも宜しくお願い致します。
遅くなりましたが、ありがとうございます!
そうですよね。問題を先送りしているだけというのは納得です。動じないって難しいですね。がんばります。
お互いコロナ等気をつけましょうね。
こんにちは!
とんでもないです。
こちらこそこれからも宜しくお願い致します。