【身の丈発言】人生は根気勝負だから!

さっきの記事の続きというか……

【萩生田・身の丈発言】何が問題?

2019年11月15日

書いたら、さらに吹き出してきた思いがあるので、書きます。

 

うさぎとかめを突如思い出しました。

幼い頃に一度は読み聞かせしてもらったことがきっとある「うさぎとかめ」のお話し。

覚えていますか?

あるところに、足の速いウサギと、足の遅いカメがいました。ウサギに馬鹿にされてしまったカメは、山のふもとまでかけっこの勝負をすることを提案します。

ウサギは、自分が負けるわけはないと笑い、いざかけっこを始めるとどんどん先へ進んでいきます。あっという間に引き離し、カメの姿が見えないところまでやって来ました。余裕で勝てると思ったウサギは、休憩がてら居眠りを始めます。

一方のカメは、その間も着実に歩みを進めていました。

そしてウサギが目を覚ますと、そこにはすでにゴールをしているカメの姿があったのです。

さっきの記事を書いた後、私はふとこの物語を思い出しました。

今の世の中って、実はみんなうさぎさんしてるんじゃないかなって思う事が増えていますが、それって結局「身の丈」を忘れているからこそ起きているんじゃないかなって私は思います。

っていうか…話はかなり逸れるのですが、「うさぎとかめ」を引用させて頂くために、検索していて初めて気がついたのですが、「うさぎとかめ」って日本の昔話ではなかったんですね!!

イソップ寓話でした。

日本には西欧との貿易が盛んになった室町時代後期以降に流入したとみられ、イソップ寓話を翻訳した伊曽保物語などによって近世以降に知られ始めた。一般に知られるようになったのは、明治になって教科書に採録されてからである。明治時代の初等科の国語の教科書には「油断大敵」というタイトルで掲載されていた。

wikiうさぎとかめより

知ってから思うのもなんなんですが、「うさぎとかめ」に蔓延る構図って、西欧主観ですよね。

そして、この寓話は、当時の西欧文化に対する皮肉に満ち溢れたものだったんだと改めて実感するに至りました。

だって、アリとキリギリスも、それから北風と太陽もイソップ寓話ですものね。

㊎アリとキリギリス ~教えて!波動相談室~

2019年11月8日

そして現代に生きる私たちが、「うさぎとかめ」や「アリとキリギリス」や「北風と太陽」などを比喩にして語りたがるのは、私たちの日常生活が西欧主観に塗り固められているがゆえの作用であるのだなぁと……しみじみ思ってしまいました。

ちなみに話がさらにそれて申し訳無いのですが、寓話と童話が一緒くたになっているケースが日本では多いですが、寓話と童話は別物です。

寓話は、「教訓的な内容を、他の事柄にかこつけて表した、たとえ話。」で、童話は「子供のためのお話。」です。

百田尚樹さんが書かれた「カエルの楽園」が、現代風刺をするために作った寓話であったのと同じく、イソップ寓話も当時の西欧社会を風刺して描かれたものだったのでしょう。

相当話がそれてしまいまして恐縮ですが、ここからようやく本題入ります。

 

現代はみんなうさぎさん?

さっきの記事をあげてから、急に頭の中に浮かんだ「うさぎとかめ」のお話し。

どうしてそんなことを思ったかといえば、単純に「現代人はみんなうさぎさんしたがってるよなぁ」って思ったからなの。

今の世の中は競争社会だからこそ、とにかく先に行きたい、早く行きたいという思いが加速しがちで、なんなら上にいる方が安泰だという思いだって強いよね?

だけれども、自分の器を知る事なく、自分のペースを乱してただただ前に進んだって、結局疲れちゃうだけなんだよね。

そして、ゴールに辿り着く前にばてちゃう。

それって結局身の丈に合わない事をしているからなんじゃないかなって、さっきの記事を書いた後に思ったんだ……だから書いてるの。

 

「継続は力なり」とは何かを体感した中二時代の話。

さらに話がとんでもない方向に行きそうで恐縮なのだけれども……

私が中学2年の時の担任はとにかく「継続は力なり」という言葉が大好きで、学級訓もこの言葉でした。

担任の中村先生は、とにかく「努力しろ」「継続しろ」ということを口酸っぱく言っておられましたが、この熱血が反ってクラスの反発を生みましてね……。

教師と生徒の陰湿な戦いに発展していきました。

その理由は、「どうにもこうにもやりたくないと思っている事を押しつけられているだけとしか感じられない事柄に対して、それを否が応でも受け容れて継続し努力し続けろ」と、クラスのみんなが感じてしまったからです。

しかも、先生が求めているのはいつだってテストの点を良くすることだけ。

確かに高校受験を控えている中学二年生にとって、テストの点を良くすることは大事な事なのですが、どこかみんなで感じてしまったのですよ……「先生が自分の査定を良くしたいだけじゃね?」って。

先生が担当するクラスの勉強のできが良いことは、生徒においても良いことのはずなのだけれども、生徒側は先生の査定を良くするために勉強するように言われているようにしか思えなくなってしまって、そして陰湿な戦いが始まったのですよ。

最終的には、先生が泣きながら謝ってくれて、クラスをいちからやり直す所から始めたんですけれどね。

っていうか、なんでこんな話を書いてるんだか(^^;)

話がまたまた逸れていってる……。

言いたい事は、「継続は力なり」は確かに必要だけれども、無理のある継続は続かないし、単なるストレスっていうことだけ。

そして、今の世の中は私が中二時代に体験したような「継続は力なり」の横行で、みんなうさぎさんになって疲弊しているよなと思うんだよね。

 

「継続は力なり」と分かっていても、たいがい続けられないよね。

中二時代、私は中村先生の指導にことごとく反発したけれど、あまりに口酸っぱく四六時中言われた「継続は力なり」という言葉は、その1年で完全に身体に馴染むようにはなっていました。

ただ、あの中二時代に体感したように、「どうにもこうにもやりたくない」ことは、どんなに頑張ろうと思っても継続できないんだよね。

でも、先生の言うことにも一理あるから、続けられそうなことを見つけることを続けるようにしてきました。

たとえばブログ。

これはたまたまのきっかけで始めただけのことなんだけれども……

そのことを書いた記事↓

最近私のブログを知って、読み始めてくれた方たちは、もともと私がスピリチュアルとかアセンションとかにどっぷり興味があって、そういう事始めた!って思ってるかもしれ…
『こんな事を書くためにブログを始めたわけじゃないけど、こんな事になって良かっ... - いつの日も神社、時々たこ焼き。

たまたまこれは私に合ってたから続けられたことなだけなんだよね。

だってさ……私はかれこれ8年くらいブログをずっと書き続けているけれど、当時から今までずっと書き続けている人なんて、ほとんどいないよ。

パッと飛び出て話題になる人なんて山ほどいたけれど、結局みんな継続できないの。

それって、結局うさぎさんな感じだったからなのかなって思ったりする。

結局、身の丈にあった範疇で、もしくは自分の得意とする範疇でやってなかったんじゃないかなって思うんだ。

だから、努力が継続しない。

でも、うさぎさんのような派手さはなくても、今の社会は実はコツコツしている人に利のある社会になっているんだよね。

たとえばブログとかも「続けているが勝ち」っていう面がかなり大きいの。

ネットってね、トレンドの移り変わりが早いように見せかけて、実は努力の蓄積が功を奏する部分って大きいの。

ただ、それだけ続けられない人が多いという事でもあるんだけれどもね、逆に言えば、続けられる範疇の中で続けなかったという言い方もできるんだ。

結局それは、身の丈を知っているか知らないかの違い、身の丈に合った努力をできたかできなかったかの違いに過ぎなくて、身の丈を知らない人ほど、ネット社会で一直線に頂点に登り詰めようとするから、おかしなことに見舞われるんだ。

これからの社会はコツコツコツコツ努力を継続すること。

だけれども、その努力は身の丈、自分の得意や特性を知らずしてできないこと。

だから、やっぱり身の丈を知ることは、生きる上で最も大事と言えることなんじゃないかなと思う。

 

今の世の中は、本質からずれて勘違いした世界の中に生きてしまっている人が多く、しかもその勘違いが多勢となりさらに世の中を歪めてしまっているけれど、「身の丈」「身の程」を知る人が、文科大臣になったことは、ありがたいことだよね。

世の中の多勢に流されれば、萩生田文科大臣が仰った事はただの人権侵害になりそうだけれども、この風潮こそがおかしいと気がつき、身の丈に合う事を知り、身の丈に合う努力を積み重ねれる人が増えれば、世の中はもっと活気が溢れるはずなんだけどな。

そういう日が来ることを祈って、私は身の丈に合った努力をこれからも続けていこうと思う。

身の丈に合う努力を続けていたら、承認欲求なんて不要な産物に必ずなるよ。

あなたも試してみて!

 

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takehisayuriko

View Comments

  • おはようございます。
    毎日楽しみに読ませて頂いています。
    私は現在 10才8才0才の子どもを育てています。今回の「身の丈」記事や、最近の「自分を知る」記事より、伝えたい事が沸き出てきたのでコメします。
    10才8才の子のときの子育ての主流は、とにかく「あなたは何でもできる」でした。自己肯定感を育む事が1番とされていたように思います。
    そうやって育て、育てられた世代にとって「身の丈」発言は、「あなたは何でもできる」に反しますから反発があるのだと思います。
    しかし、実際「身の丈」を知り「身の丈」に合わせて生きるって当たり前の事じゃん、と今回気が付いた人も多いと思います。
    私は、ゆりさんのブログを読ませて頂いているので その気付きがすぐ来た感じです。本当にありがたいです。
    平成の「あなたは何でもできる」という子育ての流れが、変わるんだな、と思いました。
    令和は「身の丈」。
    私自身も結局アダチルで、迷いながらの子育てです。
    身の丈で生きるや、前記事の規則正しく生きる、という こんな当たり前の事が分からなくなっていて迷っていたんだな、と気付かせてもらいました。
    本当にありがとうございます!
    ゆりさんのおかげで、少しずつ芯のある子育てができそうです。
    10才8才の平成キッズ、0才令和ベビー、そして私自身にも。「何でもできる」はもう古い。「身の丈」で行きます。
    毎日更新を楽しみにしています。
    応援しています!

    • おはようございます。
      毎日楽しみにしてくださり、ありがとうございます。

      頂いたコメントをお読みして、若い子たちがなぜあんなに噛みついていたのかようやく理解できました。
      教えてくださりありがとうございます。
      「あなたは何でもできる」という子育て法が根底にあると知り、ものすごく腑に落ちました。

      私は子育てはしたことがないのですが、職業上沢山の高校生と供に仕事をしてきました。
      そういう中で子供たちが成長する過程を見ていて気がついたのは、得意な事を見つけて上げると伸びるなということでした。
      そして、得意な事で自信がつくと、苦手なことにもチャレンジするんだなということ。
      身の丈というと、萎縮してしまいがちな世の風潮がありますが、今目の前に広がる環境の中で得意な事をまず見つけて、そこで一生懸命になれることが、身の丈にあった成長促す行為なのではないかと、私は思っています。大人はその環境を整えて上げることをすればいいんじゃないかなと思ってます。

      どうぞこれからも宜しくお願い致します。

  • 私も同感です。

    人には通ってきた道により、得手不得手が存在します。
    不得意分野で頑張っても時間の浪費だけであまり意味がありません。
    得意とするところで力を発揮するべきです。

    ただ・・・
    勘違いされやすいのですが、「チャレンジするな」ってことでもないと思っています。
    その場にとどまることは、衰退を意味しています。

    無理はするな。しかし努力?はせよ!

    ん~、イマイチ!うまく言葉に表せません。

    • おはようございます。
      共感してくださりありがとうございます。

      今目の前にあることから逃げ出さずに、一生懸命やってみるということをしていると、不思議とチャレンジしなくちゃいけなくなるタイミングがやってくると思います。
      そして、同じようなことをしているように見えても、本人の中ではルーティンではない環境が整えられると思います。

      理想を掲げるよりも、今日一日を一生懸命生きることが、身の丈に合う根気を継続させてくれる源じゃなかろうかと私は思ってます。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • いつも楽しく拝見させていただいております。

    今回の記事内容の様なことを、私もずいぶん若い時から感覚として持っていたように思います。
    今振り返ってみれば、「かめ」の自分が「うさぎ」集団の中にいたんだなと理解しています。
    後にそこには自分の居場所はないと思い離れましたけどね。
    時を経て、最近になって明確に見えてきたのは、みんな「早く楽になりたい」んだろうなということです。
    ちょっと前に流行った所謂{勝ち組」に入りたいと。
    つまり、日常を自分の人生として受け入れるに至っていない人の発想の様にも思います。
    常に人と自分の境遇を比較し、自分は恵まれていないと嘆いている。
    自分の身の回りにある小さな幸せな出来事に見向きもせず、はるか遠い、しかも明後日の方向ばかりを見て歯ぎしりしている。
    「成りたい自分」と「成れる自分」を見極めず、「成りたい自分」ばかりを目指す。
    人をうらやましく思うことは誰しもありますし私も思いますが、そんな時には小さい時から母から言って聞かされていた言葉が私を一歩踏みとどまらせてくれています。
    「他所は他所、うちはうち」
    卑屈な意味で使うのではなく、地に足を付けた前向きな意味で使うことが出来る様になったのは、だいぶ後になってからでしたけどね。
    「早く楽になりたい」や「早く終わらせたい」は、人生という大きなスパンで考えた場合、身の丈からズレる可能性を内包した悪魔のささやきのように思えてしまいます。

    • おはようございます。
      仰る通り、みんな「早く楽になりたい」と思っているんだと思います。
      ただその思いを原動力に頑張っているからこそ、余計に辛い人生になっているだけなんですよね。
      そして、悲観的になり、自己否定感もまし、人生そのものを棒にふってしまうんですよね。

      私も同じように、人を羨ましく思ってしまう瞬間はありますが、「私は私」と割り切っています。
      その方が楽ですよね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • いつも興味深く読ませていただいております。
    ゆりこさんのブログは読者さん達のコメントも勉強になります。

    身の丈発言は私も何が問題なのか全くわからなかったのですが、「なんでもできる」という思い込みが原因だとは…。

    私も以前は「自分は何にでもなれる」と思っていましたが、そう思っていると現実を見ないんですよね。
    「今はまだ本気を出してないだけ、本気出したらすぐにできるしー」みたいな。
    早くから身の丈を知っておきたかったです。

    それと、うろ覚えですが「うさぎとかめ」はカメの作戦勝ちだと聞いたことがあります。

    ウサギは夜行性に近く、昼は眠くなることをわかっていたからこそ、カメは昼に勝負を挑んだという解釈です。

    「うまくいかない時は、自分ができるやり方を考える」
    「不調なときに無理をしてもいいことはない、むしろとんでもないミスをしてしまう可能性もある」
    というような教訓が隠されている、という感じだったと思います。

    気になって調べてみたら、ウサギは薄明薄暮性で明け方と夕方に行動が活発になるそうです。
    そりゃ普段寝ている時間帯に全力は出せませんよね。徹夜で全力疾走ですもんね。

    ちなみにカメは変温動物のため暑い地域では夜行性、それ以外の多くは昼行性なんだとか。
    もしかしたら、カメも眠い時間帯に絶好調のウサギにバカにされていたのかな? なんて想像してしまいました。

    何年か前に、確かNHKのニュースで、小学校の模擬裁判で「うさぎとかめ」を題材にしていると放送されていたんですが「これはいじめだ。カメはウサギをいじめている。ウサギを起こして一緒に走るべきだ」みたいな結論になっていて、大丈夫か義務教育…と思った記憶があります。
    知らないって怖いな、と。

    私も日本の歴史や祝日のことなど全然知らなかったので、ゆりこさんの記事やリンク先から色々知ることができてありがたいです。
    以前記事にされていたラノベ風古事記も面白く読んでいます。

    更新、楽しみにしています!

    • おはようございます。
      お返事遅くなりましてごめんなさい。

      「未だ本気出していないだけ」って私もずっと思っていきたいたタイプです。
      本気を出したら変わると思って一生懸命やっていたのに、思うような成果がでないことに目を向けられていなかったからそう思っていたように思います。

      同じように見方を変えて、今できることを着実に一歩ずつと本気で切り替えてから、その意識が定着するまではしばらく大変でしたが、圧倒的にこっちの方が成果を感じるようになりました。

      ウサギとカメの新たな見方を教えてくださりありがとうございます。
      学校教育はほんと、馬鹿な方向に向かっている事が多いと思います。
      どんどんダメ人間を製造しているのは、日本の義務教育機関なのではと、思ってしまう事が私も増えています。

      ラノベ古事記ご紹介して良かったです。

      これからも宜しくお願い致します。

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