自由だ!人権だ!平和だ!と声高らかに叫ぶ人の事を、この国ではリベラル(自由主義者)と呼びます。
そんな彼らが作り出す世界に待ち受けているものは結局なんなんでしょうか……。
先に結論言いますとね……今の社会って、単に我が儘で自我が強いだけの協調性のない人にとって都合が良いことが多いと思うんです。
そういう人の特徴ってね、だいたい自分中心で、自分が全て。
だから、自分さえ良ければそれで良くて、自分が以外の他の人の気持ちが分からなくなる。
その一方で、自分が全てだから、常に自分の意見が世の中の軸となって然るべきだとも思ってしまう。
つまり、自分以外の場所から見た自分の行動が見えなくて、自分が人からどう移るかという客観性が全て欠落してしまうの。
一昨日からネタにしてる森ゆうこ議員も↓
やっぱり、自分の事しか見えなくて、自分の正義が世のスタンダードだと思ってしまう人の典型例だと思います。
ちなみに森ゆうこ議員には、今回の騒動があって掘り起こされた画像がありまして、この画像が彼らの全てを物語っているように私は思います。
その画像とはこれ↓
式典で1人傘さす森ゆうこ。
ご自身が雨に濡れたくないという気持ちはご理解できますが、これじゃぁ隣の人に自分の傘で除けた分の雨がかかりますよね?
しかも、後ろの人が式典見えにくくなりますよね。
そういう事が分からない人だから傘を差すことができるのでしょうが……こういう人が国民の代弁者なんてできるのでしょうか。
できるはずもないですよね?
また式典で挨拶される人への敬意もないからこそ、傘を差し続けることができるのでしょう。
やっぱり思うわ……この人、国会議員としてではなく、まず人としてどうなのかしら。
しかも還暦超えた上に国会議員で……つまり尊敬に値される経歴と年数重ねているはずなのに……これって…ほんと……日本の民度はここまで下がったのかと思えて悲しいですね。
こんな人と比べたら畏れ多いですが、秋篠宮ご夫妻は猛吹雪の中、傘も差さずご観覧されいます。これは2005年2月22日 岩手国体冬季大会スキー競技会開会式の出来事です。
これが日本人のお手本とする姿であることは言わずもがなでしょう。
一方で、今の世の中の言論の中央に陣取るリベラルと呼ばれる人たちの基本にあるものは、繰り返しますが…これ↓です。
人は濡れても、自分は濡れたくない。自分は濡れない。その一心で生きていられる方々です。
しかも、自分を防ぐ事によって、周囲に一層の迷惑がかかることが分からないのが彼らです。自分の安定と安寧のすぐ横にある人々への迷惑が見えないのが、彼らです。
そしてこれが、彼らの言う自由です。
この事実をきちんと私たちは覚えておきましょう。
彼らは自分の事しか見えないからこそ、人一倍視野が狭いからこそ、大きな声で「自分が正しい」と言えるだけのことなんです。
大きな声を出せるその理由は、視野の狭さがなせる技でもあるのです。
その声の大きさに騙されないようにしていきましょう。
同じようにですね、相変わらず愛知県知事の「自分以外の正義は許さない」という活動は日に日に激しくなっております。
アジア関係のニュース、ネタなどを日本人目線で軽く&見やすく&分かりやすくをモットーにまとめます 大村知事、今度は一般人を脅迫し炎上「差別容認か !? 名を名乗れ。絶対許さない。... - もえるあじあ(・∀・) |
森ゆうこや大村知事、そして左翼界隈の人たちの自由を求める行動を見ていると、「彼らの考える自由は北朝鮮なのかな?」としか思えなくなってしまいます。
つまりは「自分の自由を妨害する奴は全て敵」という感覚。
そして、自分の持ち合せる権力によって民の自由をとことんねじ伏せる。
しかもその上、自由を求めるのにも拘わらず金にがめつい。
何から何まで、まるで共産主義国のような言動をしている人たちがこの国の中で、自由を高らかに叫び、自分の我が儘を通そうとしています。
まずは私たちはこの事実に気がつき、民主主義の手続きによって、このような人たちが社会を牛耳る立場から降ろされる処置をしていきましょう。
だって、この国は民主主義です。
無自覚に共産主義を実施して、民主主義とは何かを理解できない人たちに、民主主義とは何かを改めて分からせてあげましょう。
そのために必要なことは、もちろん投票ですが、投票以前のそれぞれの日々の暮らしが一番の胆です。
道理に叶った暮らしをする人が増えていけば、彼らは跋扈できにくくなります。
なぜなら、この星にある道理には、「自分さえ良ければ」なんてものはないのです。
ですから、それぞれが道理に沿った生活をし、そしてこの国の手続きに沿った行動を、それぞれ自主的に行えば、それだけで彼らは消滅を余儀なくされます。
まずは私たちが道理に沿った上にある生活と気持ちに戻りましょう。
彼らに腹を立てても、彼らはもう変われませんから、自分に集中して道理に沿った生き方をし直し、こんな「自分さえ良ければ」と思う人たちが跋扈できてしまう社会を終わらせてしまいましょ。
自分たちのために、そして後世に続く日本人のために。
っね!!
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もう何度目か分からないほど、地元で開催したあいちトリエンナーレの事なのですが……
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お久しぶりです。いつも興味深く読ませていただいています。
少し前にニコニコニュースで「人それぞれに違う生き方があるように通学バッグにもランドセル以外の選択肢があっていいはずだ」という記事を見かけました。
要は「令和になっても昭和同様重たいランドセルを使わせるのはおかしい」ということみたいです。
有料なので全文は読んでいないですがタイトルだけで「ああ、触れたら負けだな…」という感じでした(汗)
こういう人って特に問題が起きてもいないのになんで「自分は世の小学生の不満を解決するためにやっている」みたいな大きい態度が取れるのだろうか?と本当疑問に感じます。
筆者が疑問を感じるのは勝手だけど、それを理由に「ランドセルを使わせているのは古い価値観の人間だ」みたく世の小学生やその親御さんをよく見下せるなと
ランドセルを使っている小学生はみんな親と学校に強制されイヤイヤ使っていると思っているのか?
デザインや機能性で選んでいる人だって少なくは無いはずなのに
なんていうか昭和が令和になっても昔と変わらなず「自由、平等」「子供のため」「多様性」「これが新しい価値観」とか聞こえのいい言葉を掲げて自分の偏った思想をゴリ押ししたがる人間っているのだな、と竹久さんのブログを読んで改めて感じました。
こんばんは!ご無沙汰しております。
変わらず読んでくださり嬉しく思います。
また、興味深い情報を教えてくださりありがとうございます。
ランドセルってどんどん機能的になっているし、子供にとってランドセルをしょえるって、「少し大人になった気分」を味わえて、本当に楽しくて嬉しいイベントなのに、そんな馬鹿馬鹿しいことを言う人たちがやっぱりいるんですね。
伝統を否定するのではなく、伝統や文化や歴史を今の時代に合わせて発展させていくことが一番良い世の形だと思います。
ランドセルは「時代に合わせてどんどん進化している」良い形の伝統継承なのに、その良さがこの人たちには見えないんですね。
紙のサイズが変化した事に合わせてA4が入るように大きさも変えたり、トレンドに合わせていろんな色のデザインを出したりしているのに、それが分からないんですね。
彼らのこういう言葉はもっともらしいから、ついつい流されてしまいがちですが、そこに流されない根っこの強さをそれぞれ取り戻したいですね。
すれば、彼らの言葉は今まで以上に薄っぺらく何も響かない言葉になると思います。
そういう環境になるように、お互い精進しましょう。
それではこれからも宜しくお願い致します。
返信ありがとうございました。そうなんですよね、今のランドセルはA4サイズに対応している物も多いですよね。自分が小学生のころには無かったのでちょっとうらやましいですw
しかしブログの写真は本当呆れますね……。
仮に言っていることが正しくてもこんな周りの人お構いなし、自分がよければいい。なんで周りは自分と違うのか考えられない、考えようともしない人に言われれば信用する気も無くなります
きれいな言葉を並べる前に常日頃の小さな言動の積み重ねが確固たる信用、信頼を作っている事を忘れてはいけませんね……
こんばんは!
こちらこそいつも読んでくださりありがとうございます。
ちなみにですが、「仮に言っていることが正しくても」とコメントにありましたが、森ゆうこ議員に限らせて言うと、この人は私の知ってる限り、言ってる事がまともだった試しがありません。
本当に写真のまんまを地で行くタイプなので、そこのところ強く強くお知らせしたく思いました。
彼女が一筋なのは「小沢一郎が好き」であると言うこと。それだけ。
国民民主党は、小沢を引き入れてしまったことを、今ほとほと後悔していると思います。
さらにちなみに森ゆうこ議員と一緒になって、批判を盛んに行っている原口さんも小沢チルドレンと言えるお方です。
2人の行動の背後には小沢の意向があるのだと思います。
それだけだと思います。
とはいえ、森ゆうこ議員の人でなし具合は、意向に沿ったからではなく、彼女の本質ですが……。
とにもかくにも、もう小沢に振り回される日本は終わりにしたいです。そう思ってます。
コメントからはみ出た返信になってごめんなさい。
これからも宜しくお願い致します。