【あいちトリエンナーレ】尊い信仰を冒涜することが芸術ですか?

今日の憤りを明日に引きずりたくないのでまだ書いてます。

今まで書いた記事↓

こんなに沢山書いた理由に迫る記事を今から書きます。

 

一番話題になってる会場は凄いのが控えてた。

あいちトリエンナーレ豊田会場の目玉は、美術館に隣接する今は使われていない豊田東高のプールの展示です。(ちなみに、豊田東高は廃校になったのではなく、別場所に移動したのですが、以前使っていた校舎は取り壊されないままで廃校状態になっています。)

旧東高の展示……つまりは……辺野古を想起するとか言うこれね↓

 

あいちトリエンナーレの問題が取り沙汰されるようになってから、私も関連記事やtwitterをチェックするようになり、そしてこういうオブジェクトが展示されていることを知りました。

写真で見ている時から、ここにどう芸術を感じていいのか分からなかったのですが、裏側に回ると何故か辺野古の思いが分かるということなので、せっかくだから辺野古活動家の人たちのどんな思いが裏側にあるか知っておこうと思い、足を運んでみたのですが……とりあえず表側は写真のまんまでなんの感動もなかったです。

っていうか普通……芸術ってものは、写真で見ていた時の印象とは全く違ったと思わせるほどのものがそこに存在するはずなのですが、まさかの写真で見ていた通りの現実しか無かったです。

これに芸術性を感じる人は、そもそも芸術センスが無いんじゃないかと思うくらいの展示でした。

っていうか……この作品名

反歌:見上げたる 空を悲しもその色に 染まり果てにき 我ならぬまで

だそうなのですが……、

どこをどう感じ取ってそういう思いになればいいのか全く分からないほど、見る人をぽかーんとさせる作品でした。

 

裏側に行ったら違う何かがあるかもしれないと、多少の期待をして行ってみたら、もっと残念な気持ちになりました。

普通……って言うか、コンクリート立てる為だけに、どんだけお金かけたの?っていう思いしか出てきませんでした。

なんだろう?辺野古活動家の人たちは「盾」とかそういう連想をするのかな???

っていうかね、この作品は確実に公金が投入されてそれで作られているのはあからさまで、一体幾らかけてこのオブジェクトを作ったのか、とにかく知りたいと思いました。

 

っていうかさ、それにしてもなんでタイトルが反歌で、辺野古を想起させるとか言ってんの?

っていうかさ、この作者の人って、そもそも反歌の意味分かってるの???

反歌ってまさか「反対の歌」とか思ってないよね?

反歌ってこういう意味だよ。

長歌のあとに詠み添える短歌。長歌の意を反復・補足または要約するもの。1首ないし数首からなる。万葉集に例が多い。かえしうた。

そもそもの話ですが……言葉を独自解釈するのは、教養がない事の露呈だと思ってますし、また尊厳ある歴史や文化の冒涜だと思っています。

また、教養の深さがあってこそ芸術というものは成立することができるとも思っています。

つまり、芸術や美術というものは、文化を積み重ねることができる平和な歴史の上に存在するものであり、現在平和だからこそ、行うことができるものなのです。

そして、芸術というものは先に歩まれた人のその積み重ねに対する尊厳があってこそ成立するものだと私は思っています。

しかしながら、「反歌」という言葉の意味をどう見ても分かっていない人が、個人の主観で違う意味として利用し、それを芸術と言っている。

ここには、「令和」の元号を見た時に、「令和のれいは、命令の令」と言っていたお馬鹿さんと同じものを感じました。

【新元号決定!】「令和」で伝えられる日本の素晴らしさ

これが現代アートなのですか?

教養の無さを露呈し、芸術性の無いものを芸術と言い張るのが現代アートなのでしょうか。

甚だ疑問ですが、もっと憤りを感じることは別の場所にありました。

 

芸術は、信仰を冒涜することですか????

プールのオブジェクトに行くためには、旧東高の校庭を横断していく必要性があるのですが、何故か校庭のど真ん中に鳥居があるんですよ。

これ↓

神社好きの私ですが、この鳥居には表現しがたい薄気味悪さがありました。

なぜこんな所に鳥居があるのか、この鳥居は何のためにおかれたのか。しかも通路にならない校庭のど真ん中に。

鳥居は、神社の入口に立って、神域と人の住む俗世界との境界を表すものです。

その鳥居が、こんな不作法に、そして不気味に見える場所におかれています。

私は旧東校校舎に何があったのかと、非常に不安になりました。

畏れ多い何かがあって、この鳥居の奥に祟りを防ぐべきものとか何かを鎮座して頂かなくてはならない事態があったのかと、頭を巡らせましたが、そんな噂など聞いたこともありません。

しかも、東校が移転してこちらが使われなくなってまだ20年弱の話です。使われなくなってから、鳥居を立てたとしても、この古びた感じにはならないはずで、この古びた感じもさらに頭を悩ませました。

なぜ、ここに鳥居があるのでしょう。

 

あまりに気になったので、問い合わせました。

鳥居のある場所に、畏怖や畏敬の思いを馳せるのは、日本人として当然の思いだと思います。

ですから、鳥居を見たからといって、すぐに美術館の人に問い合わせる気持ちにはなりませんでした。

自分でそこにある意味を調べてみようと思って、色々とネット検索を試みたのですが、全くこの情報が上がってこないのですね。

ですから、家に帰ってから美術館に電話しました。

「東高の校庭にどうして鳥居があるのですか?」と。

そしたらですね……

「あいちトリエンナーレの作品です」

とご回答が!!!!!!!!!!!

思わず

「あれが芸術作品ですか?鳥居ですよ!なぜあの場所に鳥居を立てたのですか?芸術としての意味は何ですか?」と立て続けに質問をしましたが……

美術館の方は

「詳しいことは分からないので、あいちトリエンナーレに直接問い合わせて頂きたい」ということで電話番号を教えて頂きました。

すぐに電話をしましたが……こちらは繋がらないですね(>_<)

未だになぜ、あの場所に鳥居を立てたのか分かりませんが……反歌の意味も分からない作者のやったことです。

神社に対する尊厳も、畏怖の念も、畏敬の念も分からず、軽い気持ちでやってみたのではないのでしょうか。

 

「表現の不自由展・その後」の企画の成り行きも、かなり軽い気持ちだったことは既に露呈しています。

【あいちトリエンナーレ】反日団体への金の流れが分かる機会になるかも……。

 

この鳥居もその流れの一つなのでしょう。

これって、日本国民の信仰を馬鹿にしてませんか?

鳥居は聖域を守るためのものです。芸術とかそういう範疇のものではありません。

この姿形そのものが非常に尊いものなのです。

この姿形に積み重ねられた尊さや歴史が分からない人たちが、遊び半分な気持ちで鳥居を立てるって、あまりにおかしなことではありませんか??

 

あいちトリエンナーレは、バイトテロのノリ。

今問題になっているのは、主に「表現の不自由展・その後」だけですが、今回そことは別会場の豊田会場に出向いてみて、この空気感はあの企画展だけにあるものではないと、私は確信しました。

少なくとも高嶺格さんが作られた作品には、津田大介と同様の教養の無さからくる軽さが伺えます。

この軽さは、はっきり言ってバイトテロと同じノリだと思います。

こんな類いと同質のものを見せられて、それを芸術と言い張るのにそもそも無理があります。

芸術を語るのなら、その歴史に思いを馳せてください。

それを紡いできた祖先の人の気持ちに耳を傾けてください。

 

その行為もせずに、自分勝手な解釈で、伝統工芸品を台無しにし、

古くからある言葉(反歌)を間違った解釈で使い、

さらには、尊い信仰を遊び半分な気持ちで利用する

二度とあってはならない危機的なことだと私は思いました。

どうしてこの場所に鳥居を立てたのか、その理由が分かるまで私はこの件は探り続けます。

芸術は、国民の信仰や思いを踏みにじるものではあってはならないと、現場に足を運んで心底感じました。

こんな芸術祭が公金によって行われたと思うと、情けないやら悔しいやら、本当に心底残念でなりません。

 

※この作家に関して追加で記事を書きましたので、是非こちらも読んでください♪

【あいちトリエンナーレ】辺野古作家は言葉が不自由

 

他の記事も書けました。合わせてお読みくださいませ。

 

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takehisayuriko

View Comments

  • ゆりさん、おはようございます。
    一連の愛知トリエンナーレの記事見ました。
    これは、予想以上に醜いです!
    金屏風にビニールテープの感性もわからないし(意外性をねらった?)、辺野古の意味は??だし、、鳥居は神聖な場所とでも言いたいのでしょうかね。
    本当に遊びやノリでやっているような印象ですね。

    芸術って、写真で見ても少なからずも心動かされる部分があると思うのですがこれらには皆無です。

    ほんと、税金の無駄ー!

    • おはようございます。
      金屏風のビニールテープは、本当に酷かったですよ。
      なんつーのかな……既存の観念に縛られない俺って格好良くないですか?みたいな感じのノリを感じました。
      世界遺産に落書きして喜んでいる幼稚さと言えばいいのでしょうか……。

      ひどい方に向かって言えば、写真で見ているよりひどいし、良い方に向かって言えば、写真で見る以上の素晴らしい作品など無かったです。

      クリムド展は本物を味わうことができました。クリムドの絵って後からじわじわ来る感じだねと父をも話しており、またクリムドの絵は金をあしらった物が多いのですが、金に対する思いも作品の中から伝わってきて、金屏風の落書きを観た後だったので、あまりにもレベルの違うものが同じ美術館で展示されていることに違和感を覚えました。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

  • 「美意識」の高さと「人格、品格、霊性」の高さは比例するのではないかと
    常日頃感じております。

    この写真の鳥居には美意識の欠片も無いように感じます。

    • こんにちは。
      美意識の欠片も無いとかいう次元の話に登ることのできない、教養の無さが露呈された冒涜でした。
      本当に酷かったです。
      話題になっていないのは、元々そこにあった鳥居だと多くの人が勝手に認識しているだけなんじゃなかろうかと思ってます。

  • こんにちは。
    先日の気味の悪いかまくらに続き、これらも酷すぎますね。
    バイトテロのノリというところにすごく頷けました。
    すばらしい芸術は人の心を引きつけ、時を経て何百年と残るものだと思いますが
    これらは陳列(展示という言葉さえ使いたくないレベル)されている時点で
    もう既に廃棄物ですね。

    「表現の不自由展」とありますが、私はこの不自由という意味合いは
    「言論と表現の自由」が脅かされていることへの危機意識云々ということではなくて
    陳列物自体に“不足や欠けた点があって困る”という
    『表現に不自由のある陳列物展』の方では と考えています。
    ことばの力とはよく言いますが
    陳列物自体に“不自由”ということばの魔法がかけられていたとは
    なかなか面白い現象だなと思いました。

    • こんにちは。
      『表現に不自由のある陳列物展』!
      本当にそうだと思います。

      特にどうも「反歌」という言葉の反の意味を完全に捉え違いしているとしか思えない造形物を目の当たりにした時に、そもそもの教養に不自由さを感じ、だからこそ表現にも不自由を感じるのだなと思いました。

      左派のノリを堪能できるのは、やはり教養の無さゆえなのだと思います。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

      • 反歌、そういえば中学校で習いました。
        義務教育の範囲内ですね。
        自分の感性の酷さだけではなく
        教養の無さまでを公表されていらっしゃる。

        ここに税金が使われていること
        知事がこの展示を恥ずかしいと思わないことが
        信じられないですね。

        こちらこそこれからも記事を楽しみにしております。
        宜しくお願いいたします。

        • こんばんは。
          でしょ?義務教育の範囲内の話ですよね?
          私、自分の思っている反歌と違う意味があるのかなと思ってめっちゃ調べたけれど、彼らが思っていそうな「反対の歌」的な語彙は見つからず、本当に残念に思いました。
          表現の自由だからというのと、教養が無いことを許すのは、全く別の話だと思います。
          日本が海外でスシポリスをしたのは、鮨の概念の軸を保つためだったと思います。表現の自由を何でも許すということは、このような動かしてはならない軸を動かすことに繋がります。その概念の許容範囲の広さによって、人々を混乱に導くことに繋がります。
          一つの言葉は一つの定義。同意語とは別で、ちゃんとそのような意味をなされなくてはなりません。
          これが人の世を律し、秩序を保つことに繋がるのです。

          一つの言葉は一つの定義った上で、自由を保てば良いことです。
          何でも許すことは、無秩序で混乱を帯びるだけのことで、誰にとっても不利益です。

          それではこちらこそ、これからも宜しくお願い致します。

  • ゆりこさん、リポート、有難うございます!
    さすが、キレッキレのリポート。有難うございます!!

    しかし…ここまで例の「不自由展」以外のトリエンナーレの作品がひどい内容だったとは!
    なんですか、これ。
    アートでも何でもない。美がない。

    ここからは私の実体験上なんですが。
    かなり、独断で述べさせていただくと…

    学生運動あがり&左翼は美的感覚がない!センスがない!
    思想や論破が大事と思うからなのか、美や趣などをバカにする傾向があります。
    見る人がどう思うか、相手がどう感じるかを考えない、自己主張ばかりしてるからなのでしょうか。

    そうそう、美しさを感じることも、苦手ですよね(あ、「恨」だけは得意かも)。
    感情より「正しい思想」のためなら、人を傷つけてもテロや死もやむなしって感じ。そのくせ、自分が傷つくのを極端に恐れるのでめんどくさいし、話にならない。

    すみません、言っちゃいました。実体験があるので、私は学生運動あがり界隈との関わりはもうゴメンです。でも「韓国との連帯(というより、朝鮮)」「革命」をソフトな言葉や形態を変えてやろうとしてますよ。普通の日本人の顔をして生活している彼らとそれに洗脳されているとりまき。恐ろしい…。

    公的資金を投入して、こんな反日プロパガンダをするとはおかしい。
    本当に腹が立ちます!!

    クリムト展が開催されていて、本当によかったですね。
    クリムト、大好きなんですよ。私も見に行きたいですー。

    これからもゆりこさんの記事、楽しみにしてます。

    • こんばんは!
      本当にクリムト展は良かったですよ!あいちトリエンナーレのおかげで、いつも以上に良く見えてしまったのかもしれませんが(^^;)……、良いものは必ず後からじわじわ来るのです。
      本当に美味しい食事と同じだと思います。
      食べた時は、繊細すぎてその良さがいまいち分からなくても、翌日になってもあの繊細さが後をひく感じ。本物とはそういうものだと私は思います。

      狂気的で刹那的なインパクトを求めた薄っぺらさの物とは違います。
      左翼の人は扇動しか考えていないから、その繊細さが分からなくなるのだと思います。
      この醍醐味が分からず生活することは、せっかく人として生まれた時間を堪能する機会を損失するだけなので、可哀想だなと思います。

      あいちトリエンナーレの一連のことを受けて、美術を利用したプロパガンダと公金利用は撲滅してほしいですね。

      それではこれからも宜しくお願い致します。

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