※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第六章 私の格闘記
ここからの文章は、私が四年前に書いた内容です。そのため、今の自分の考えと違う部分もあるし、今の自分から見れば間違っているなと思うことも含まれています。
ただ、あの時に思った正直な思いがここには書かれているので、誤字脱字及び意味が伝わりにくいと思った部分意外の訂正はしておりません。
そのため今までの話との矛盾を感じられる部分があるかもしれませんが、四年前の私と今との成長の過程によって起きたことなのでお許し願えればと思います。
「自分の子供って、どうしても特別なんだよね。他の子ように冷静に、客観的に見れない部分があるんだ」
ある時、私の幼馴染はそう答えました。
彼女は、保育士の資格を有しており、独身時代から幼児教育の現場で活躍していました。結婚をして、二人の子供に恵まれ、そして今もなお、保育士として活躍しています。
彼女は、幼児教育のプロであり、子供の気持ちを理解すること、そしてどのように導いていくべきなのかを非常によく心得ている存在だと思います。
そんな彼女が、ふっとそんな本音をもらしてくれました。
「分かってるんだけどね、言い過ぎは良くないって。でもね、期待しちゃうの。『あなただったら、もっとできる。』って、どうしても思っちゃうの。自分の子供でなければ、もっと客観的に、『ここは出来なくても、ここは伸びてるからね。』って、優しくみられるのにね」と。
我が子に宿る特別な思いと期待。
これは、宿ってしかるべき愛情であり、感情だと思うのですが、気がつけば多くの人はこの幼き頃に植えつけられた、「親の特別な感情から発生する期待」に苦しめられているのではないでしょうか。
私の幼少期を思い出すと、常に母から届けられる期待と戦っていたように思います。
私は、生まれたのが四月三日という事もあり、保育園に通うクラスメイトと比べると体格も良く、更に利発的な一面があったと思います。小さい頃というのは、四月生まれか、三月生まれかで随分発達速度が違う部分もあり、クラスメイトの中で一番早く産まれている私が三月生まれの子より、知恵があるのは当然なのですが、そのような状況が母親の教育魂に火をつけたように思います。
一番最初に作文を書かされたのは、四歳の時でした。保育園で行った遠足の事を書くようにと、使ったこともない便箋用紙を用意され、夕食が終わってからひたすら書かされた記憶が残っています。まだ、文字もしっかりと認識していない状態の中で、どれほどの文を書いたのかは覚えていませんが、私の指には、しっかりとペンだこが出来ており、それを見た大人たちがしきりに、「ゆりちゃん文字を書くの?すごいわね~」と言ってきて、その言葉に対し、母が嬉しそうに「そうなのよ~」と、答えていた記憶があります。
そんな風に、母が喜ぶ顔が見たくて、なんだかずっとその期待に応えようとしていた事が、気が付けば深いトラウマや深い洗脳や深い呪縛を生んでしまったのでしょう。
母は悪くないし、私も悪くない。
母は、私が喜んでやっているのだと、きっと思っていたと思います。小さな頃から、お稽古通いが多かったのですが、実際それを苦痛だと思ってやっていた事はなく、至極当然だと思って、ピアノ、習字、公文、スイミングと、毎日のように、お稽古事に通っていました。何の不満も抱いてはいなかったけど、お稽古そのものが好きというよりは、「親に褒められたい」という気持ちが大きな動機になって、お稽古をしていたように思います。
私の場合は、「親を喜ばせたい」ということばかりに自分の気持ちが注力していって、実際自分は何が好きなのか、何になりたいのかが、わからないまま成人を迎えてしまったように思います。
当時は、キャビンアテンダントになる事を夢見ていたのですが、今思えば、その夢の発端も、親でした。小さな頃、なんとなく建築の図面を見ることが好きで、家の広告を一生懸命集めていたりしていたのですが、ある時、親戚を含めて旅行に行った時、「スチュワーデスになればいいじゃん」みたいな話が、車内で盛り上がり、親戚のみんなもそれに両親も、なんだかそうなる事を喜んでいる。その顔が嬉しくて、「じゃぁ、私、スチュワーデスになる」と、十二歳のある日に決め、それから約八年の月日は、スチュワーデスになる為に注がれました。
今から振り返ってみれば、私にキャビンアテンダントの仕事は物足りなかっただろうなと、思います。短大の卒業を控えた私は、大手航空会社の就職試験を受けに行ったのですが、全て落ちました。その時は、自分の夢が叶えられなかったこと、親の期待に応えられなかった事が深い傷になりました。
でも、今は、それで良かったと思えます。そのおかげで、ようやく本当の自分の適性に気がつかさせてもらえる会社に出会う事が出来、「本当は何が好きななのか?」、「どんな事に心がワクワクするのか」等の、自分の正直な気持ちにようやく出会えたから。だから、結果オーライで良かったのですが、このような具体的転機が訪れていなければ、今も尚、自分の夢と他人(親)の夢が混同してしまっているのではないかと思います。
結局、それぐらい親の言葉は「影響力がある」という事だと思います。
だから、その影響力に逆らおうとする反発力が怒りになったり、気がつけば不愉快な思いに苛まれてしまうのだと思います。
ここから、自分の経験を例題を出しながら、悪気のない親の影響力による葛藤についてお話を進めれればと思います。