※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第五章 アダチル連鎖を断ち切るために
結局、私たちが混乱を極め、また人知れず心の苦しみ抱えて生きざるを得なくなっているのは、長い歴史によって培ってきた心のしくみを無視して、生きてしまっているからではないのでしょうか。
そして、心のしくみを無視して戦後社会の構図に合わせることをしてきたから、人として成長する機会を見失い、そして大人になれないまま年を重ね続けているように思います。
私が人生の師と仰ぐ高山曜三先生は、「近代日本は、大人になれない大人が増えてしまった」と嘆きます。
「大人と呼ばれる年頃になったのなら、自分のことよりもこの国を引き継ぎ紡いでくれる子供たちのために生きることが当り前なのに、いつまで経っても自分のことしか考えられない大人が増えてしまった」と嘆きます。
そして先生は、「その理由は、日本人としての根っこができていないからだ」と常々仰っています。
心理学では、このような根がない人のことを「デラシネ」と言うそうです。フランス語のままの音で流入している言葉なのですが、「根無し草。転じて、故郷や祖国から切り離された人」を意味します。
私たちは故郷や祖国から切り離されているわけではなく、この日本に住み暮らし、日本語を話し暮らしていますが、過去の歴史とぷっつり断絶した現代を生きることを余儀なくされています。これがデラシネになり続けてしまう要因なのだと私は考えます。
戦前・戦中に生きた人でも、世界最古の国の民である誇りを失い、日本人も西洋人のように生きていくべきだと思い込んでしまった人がエリートを中心に存在するようになっていきました。そして、そのエリートたちによって行われた政治や軍部では、いつのまにか混乱や対立が横行し、そして自己保身に走る支配層が拡大していきました。
当時も今も、国内の混乱の要因は「日本人とは何か」を問わずに、また日本の歴史や文化を自分の中に取り込まず、ただただ西洋的なものを吸収しようと突っ走ってしまうと起こるのではないのでしょうか。時代に関係なく、日本の文化伝統歴史を知らぬままに成長することは、人としての根を生やすことができないということなのではないのでしょうか。
結局、日本に住んでいようと、日本語を話していようと、過去から連なる自分という存在を理解しないまま行きようとすると、根を張ることができずに、フワフワと浮遊する感覚のまま生きなくてはならない状況に陥るのではないのでしょうか。
そして、私たちの孤独や不安の糧は、本来大人になるために必要な「人としての根」が全く育成されないまま大人になってしまっているからではないのでしょうか。また、人としての根が生えることと、日本人としての自覚は比例していくものなのではなかろうかとも考えています。日本人としての自覚が芽生えるからこそ、この国のことを自分のこととして考え、そして次の世代のために自分はどうあるべきか、ということが当り前に考えられるようになるのだと思います。
そして、自分ではなく、自分を創り出す環境全体に意識が向けれるようになるのが、大人の印なのだろうと思っています。
しかし、日本人としての自覚が定まらなければ、いつまで経っても自分を創り出す全体が見えません。だから、自分のことしか考えられない小さな器のまま年齢だけが増えていきます。若作りに夢中になる昨今の風潮は、この国の大人の器の無さを露呈しているのかもしれません。
また、器が小さい人ほどその心を支配するのは孤独であり、不安であり、恐怖になるはずです。ですから、そういう人は決まって、共感を欲しがります。だから、器の小さい人ほど単独で行動できず、共感できる同じ意見の人ばかりで集まろうとして、違う意見を敬遠しがちなのかなと思います。
しかし、根が無い同士が集まった所で、結局不安定なことは変わりません。根無し草であれば、風に簡単に吹き飛ばされてしまうでしょうし、風によって傍にいる仲間はころころ変わるものでしょう。
互いに世の中の風に耐えうる程の根を持ち合わせていないから、風によって自分の方向性がころころ変わってしまい、仲間も変わってしまうだけなのだと思いますが、そこに多くの人は気がついていないように思います。しかも、仲間が変わっただけに過ぎない変化なのにもかかわらず、自分自身が変わったと思い込むことが多いように思います。実は同じ所をグルグルしているだけで、本当は何も変わっていないことに気がついていないように思います。
だからこそ、様々な問題が解決されず、常に問題は先送りされるだけの構図になってしまっているように思います。
また、現代人は根を張ろうと思っても、戦後しっかり入り込んだマインドセットによって、過去の事実と向き合えない状況が作らされています。
たとえば、戦争の話をするだけで軍国主義者呼ばわりされたりするのも、過去と向き合えないためのマインドセットとの一つと言え、この仕掛けによって多くの国民が知らず知らずのうちにデラシネとなり、心の孤独感を持ち合わせながら生きなくてはならない生き地獄に突き落とされてしまっているように、私は見えてしかたがありません。
自己の安定を図るためには、根を生やす必要があり、そのためには過去から連なる日本をきちんと理解した上で、生活することが大切なのだと思います。