※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第三章 戦後教育・戦後社会とデュープス
中国共産党が作り出した世界は、この七十年間に渡っておぞましいとしか言いようがない地獄絵図をあらゆる場所で作り出しています。
ウィグル、チベット、内モンゴル、台湾への弾圧は人権侵害の一言で片付けられる騒ぎではありません。
ウィグル出身の人権活動家であり農学博士であるトゥール・ムハメットさんの報告によると、今現在ウィグルは中国共産党によって次のようなことが引き起こされています。
■ウィグル人が街から消えている。収容されたウィグル人は百万人と言われているが、人口の約半分くらいとなる一千万人以上が強制収容所に入れられている可能性は充分ある。
■田舎の村の男たちは、みんな強制収容所に入れられている。残された女の家に、共産党員が入り込み、女性を強姦している。
■子供を産んだばかりの両親が、子供を残して強制収容所に入れられたケースもあり、子供が生きながらえない環境が起きている。
■残された子供たちは、共産党に連れさられ、中国本土で孤児として中国人の親に育てられる。
■子供たちは中国共産党の教えが正しいとされる教育を徹底的にたたき込まれている。
■強制収容所は、人が生きる場所ではない。不衛生で悪臭が凄く、すし詰め状態で生活することを余儀なくされる。また拷問が横行してるため、強制収容所に入れられると多くの人は精神が破壊され、おかしくなってしまう。
■火葬場が増えている(イスラムは土葬社会)。これは、ウィグル人が沢山死んでいる事実であり、また大量虐殺をした痕跡を残さないためのものだと考えられる。また、同様に強制収容所は増えている。
■死んだウィグル人たちの臓器は販売されている。一人殺し、その臓器全てを販売すると350万円になる計算。ウィグルの空港には、臓器をスムーズに運ぶためのシステムが確立している。
■強制収容所を出るためには、イスラム教で禁止されている豚肉を食べることを求められる。その求めに応じなければ、拷問を受けた上で殺される。
■ウィグル人が抗議すると、街は空爆される。
■イスラム教を信仰しているだけで、罪人扱いとなる。
■ウィグル語を話すと、犯罪者となる。
ウィグルに対する民族浄化は1997年のグルジャ事件から始まっています。チベットにおいては1950年から、現在ウィグルで起きているようなことが先行して行われており、多くのチベット人が既に殺されてしまいました。
また、中国共産党の非道さはもちろん国内に対してでもあり、先の項目で紹介した「文化大革命」のように国内を荒廃させながら自らの権力を強くしています。
そして、文化大革命で純粋で無垢な子供たちが、彼らの非道な手段の手先となったように、現在ウィグルでも子供たちにそのような教育が施されています。
紅衛兵と呼ばれた子供たちは、本来純粋な子供たちなのですが、大人たちの洗脳によって変えられてしまったのです。
日本は共産党政権ではないので、ここまで酷い出来事にはなっていませんが、教育の場に共産主義者が好む考え方は随所に埋め込まれています。そして戦後から一貫して現代まで、もちろん私たちも含めて、純粋で無垢な子供たちがその洗脳を受けていると言っても過言ではありません。
特に戦後すぐに生まれた団塊と呼ばれる世代の人たちには、どうやらその洗脳が強く働いてしまった様子を感じます。
団塊世代が幼い頃の日本というのは、今とは比べものにならない貧しい環境だったことでしょう。ひょっとしたら、日本の歴史史上最も貧しく、何も無い時代に生を受けた人たちが団塊世代なのかもしれません。少なくとも、江戸時代以降の日本の歴史の中では最も貧しく、最も何も無い時代だったことだと思います。
ですから、この世代は「日本は貧しい国」という固定観念が強いだけでなく、物欲やお金に対する執着も他世代よりも強く表われる傾向があるように思います。それは幼少期に与えられた貧困への反発から来るものではなかろうかと推察しています。
また貧困状態の日本において、西洋のきらびやかさは憧れであり理想であり、人が人らしく生きる真実に映ったことでしょうし、他国に統治されている中で生まれた子供というのは、戦後七年間に限られますから、この世代が最も他国主観の影響を受けやすい世代であるとも言えると思います。
「日本が間違った事をして敗戦をした。だからこれからは、西洋的な社会の形に日本を整えることが正しい」と子供たちに思い込ませるに値する環境がその時の日本には確実にあったはずです。子供たちの心の中に「今までの日本を壊して、新しい世界に作り替える」という気持ちが、ごくごく自然な形で育まれることになっても不思議ではないと思います。
そして、この世代がいわゆる革命思想に存分に浸かってしまったであろうことは、昭和34年~35年(1959年~60年)、そして昭和45年(1970年)の二度に渡って起きた大規模デモ運動に現われていると思います。いわゆる60年安保、70年安保を呼ばれたもので、このデモ活動と同時に学生運動は激しさを増していきました。
学生運動の主体となったのはエリートと呼ばれる偏差値の高い大学生たちです。彼らが中心となり大学で暴れました。彼らの目的は「より良い日本を作る」ことであっただろうと思いますが、根本に持ち合わせているのは日本への敵視であり反発でしょう。
結局彼らは「悪を倒す」という革命思想そのままに、社会に反発する自分に存在意義と高揚感を感じていただけのことだろうと思います。
また、私は歴史を学び直すうちに、当時暴れていた大学生の姿が「紅衛兵」のように見えるようになってしまったのですが、後に「全共闘(ぜんきょうとう)(※)」が中国人民共和国の文化大革命で暴れた紅衛兵を真似た行動であったことを知り、腑に落ちると共に大変怖くなりました。※全共闘とは「全学共闘会議」と言う名の学生活動家団体の略称。彼らは東京大学の安田講堂に立てこもるなどの事件を引き起こした。
この時代は他にも赤軍、中核派、革マル派など、共産主義の革命思想に恍惚し、その教えを体現するが如く闘争に明け暮れる若者が沢山いました。彼らは、よど号ハイジャック事件(昭和45年・1970年)、浅間山荘事件(昭和47年・1972年)、日航機ダッカハイジャック事件(昭和52年・1977年)など、殺人、侵入、強盗、誘拐などの凶悪事件を立て続けに起こしました。特に日本赤軍が起こした日航機ダッカハイジャック事件は、その後の日本に大きな影響を与えています。当時の福田赳夫総理は「人の命は地球より重い」と発言した上で「超法規的措置」として、犯人の要求に全面的に応じてしまいました。日本政府は犯人が要求する額のお金を渡しただけでなく、彼らにパスポートまで発行してしまいました。この対応は、日本人を誘拐すれば金が入ると、犯罪を助長する契機になってしまったと言えるでしょう。当時の日本は、人道的美談に重きを置いているように見せながら、「事なかれ」を選択することが蔓延していたがために、北朝鮮による日本人拉致もこの時代に頻発してしまったのだと思います。そして、現在も左翼系団体が中心となった世論がメディアの中心であり続け、憲法の縛りもあるため、このような丸腰の状態が続いています。そのため、北朝鮮拉致被害者問題は問題が発覚してから五十年近くたった現代においても解決できていません。
それにしても、過激派と呼ばれる団体に所属した団塊世代の素行の悪さは、他世代には理解不能とも言えることが沢山あります。ですが、彼らの非道な行いの背景には、GHQによる日本社会の体制変化と教育の中に入れ込まれた反日思想や革命思想の流布があったからこそでしょう。つまり、過激派の誕生と拡大には、戦後の社会体制が大きく関係していたのです。
また、この時過激な学生運動を行っていた人の一部は国会議員やマスメディアの職員となっていきました。ちなみに、立憲民主党の枝野代表は革マル派出身です。
それから、団塊世代による暴動の流れを汲んで浸透していったと思われるのが、校内暴力と不良の増加です。1970年代後半(昭和50年代前半)から、同時多発的に起きて、全国的に広がっていきました。この現象の背景には少し上の世代の学生運動の影響が考えられます。テレビで連日連夜報道される少し年上の人たちの暴動は、なんとなく格好良く映ってしまったのではないのでしょうか。
そして、目の前にある大人たちの圧力に対し反抗することがカッコイイと思う風潮がこの世代の頃から生まれていったように思います。
団塊世代が行った政治的な思想闘争とは違い、次世代の暴力は単に反発です。大人に逆らうことが単純にカッコイイという風潮があっての反発でしたが、その裏には子供たちには抱えきれないほどのストレスがあってこそのことだと思います。
世の中は年々学歴重視思考が強くなり、偉くなれ、大企業に入れ、それが人生の勝ち組という、どう考えても世代の少数しか勝利の果実が得られない環境を推し進める傾向が強くなりました。
子供たちは落ちこぼれになりたくないプレッシャーと落ちこぼれてしまった劣等感のどちらか、いやむしろ両方を抱えさせられ、ちっとも自由がなく大人に束縛さればかりの環境に何かしら反発したい気持ちを抱えていたのだと思います。それが少し年上の世代が学生運動を繰り広げたことにより「俺たちもやってみよう」という安易な動機から反発を重ねこととなり、収集がつかない状況になっていったのではなかろうかと思います。
学生運動や不良のように過激な言動に走ったのは世代の一部という見方をする人がいるかもしれませんが、戦後世代から始まる大きな変化は、全て同様の流れを汲んでいると感じています。
戦後生まれの人は、今までの時代の在り方を「古いもの=悪いもの」として、マスメディアや学校で教えられた西洋イズムを「新しいもの=良い物」としてどんどん吸収していく傾向が顕著です。親への反発なのかどうかは分かりませんが、親の真似をするのではなく違う場所から情報を吸収しようという意欲も旺盛であるように思います。料理一つとっても、母から教えてもらうという流れではなく、お料理教室やお料理本などを通しその道のプロから学ぼうとする人が増えていきます。
西洋文化の流入で一気に新しい物が増えて親から教われないものが増えたという事情もあるのでしょうが、学校で「今までの日本を否定し、それを超えていく生き方」を教えられ、それを求められたことも大いに関係しているのではないのでしょうか。
団塊世代が婚期を迎えると同時に「ニューファミリー」という言葉も生まれます。この言葉からも今までの家族関係とは違う新しい試みをしていくことが時流であったことが伺えます。
ニューファミリーの定義には、友達同士のような夫婦関係、マイホーム志向、ファッションに敏感などの要素が含まれますが、この定義の背景には、戦後と同時に訴求された「男女同権・平等」と「自由」の思想が大いに入り込んでいると言い切れるでしょう。
また、敗戦から約四十年間、日本は絶好調の右肩上がりの経済成長を続けます。その社会背景を受けて、団塊世代からバブル世代までの人は特に物質的側面のみで物事を捉える傾向が強いように思います。
バブルの頃に、女性が男性を品定めしていた流行語(3高、アッシー君、メッシー君、しょうゆ顔、ソース顔など)にもその傾向は顕著に現われていると思います。当時は男性の精神性など女性は見向きもしていなかった事がよく分かるほど、男性の容姿や持ち物、そして社会的ブランドが重要視されていました。
このように物質的側面ばかりが重要視される時代に生きると、否が応でも拝金主義や損得勘定が強くなってしまうでしょうし、物質的側面が満たされている状態で初めて一人前という感覚も強くなるはずです。そのため、本人が気づかぬうちにプライドが高くなってしまう人も多いはずです。
また拝金主義によって現われてきた損得勘定も二元論の一つです。どちらの判断が自分にとって得をするのか、目先で判断する傾向も増えていきました。一方で奥深い思考性は、刺激的で騒がしい毎日の中で徐々に消えていきました。
そして戦後社会に定着した「古い時代を否定し、自由と平等の世界の中にある新しさを肯定していく」矛盾と混乱が、日本の家庭を安心できる場所から居心地の悪い場所に変えていくことになり、アダルトチルドレンは増産されていくこととなるのですが、そこには革命理論に彩られた教育を無垢の状態で受け容れざるを得なかった子供たちがいたことを私たちは忘れてはいけないと思います。
特に団塊の世代は、青春時代に高度成長期時代を経験したため、成功体験が色濃く息づいています。そのため自分の思っていることや考えこそが正しいと信じていて、他人の意見は誤りであると思っている傾向が強く、それが「老害」と呼ばれる所以の一つにもなっていますが、彼らのこのような思考性も幼少期の社会性と教育が育んでしまったものであるという理解を私たちはしていくべきだと思います。
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校内暴力が始まったきっかけは日教組が行った管理教育が原因だと聞いたのですが、学生運動を行ってた世代の影響もありそうですね
おはようございます。
コメントありがとうございます。
その日教組には、少なからず学生運動をしていた人たちも紛れ込んでいると思いますし、また学生運動をしていなくともその思想に共鳴していた人たちが多く存在していると思います。
沖縄で絶賛活動中のチュチェ思想の団体には、教員の方が多く入り込んでいると暴露されておりますし、戦後世代の洗脳の重要ポイントになっていることは間違いないと思います。
その点ふまえて情報を咀嚼できるようにしていきたいですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。