※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第二章 過去と現代の狭間にあるもの
第一章の「力の圧力の後遺症」で、私は名札こそが軍国主義の遺産ではなかろうかという持論をお伝えしました。近年名札をつける学校は減ってきているように思いますが、これは個人情報保護の観点から起きているのであって、「軍国主義」の象徴として無くなってきている訳ではないと思います。
私は、ここが不思議だなと思っています。
なぜなら、戦後教育は軍国主義を作り出したであろう物を排除することに躍起になっていたはずなのですが、体罰を含めて「これこそ軍国主義の象徴」と呼ばれるものはスルーしているように思うのです。そして、これらが「軍国主義を通して生まれてきた可能性が高いもの」という認識も国民にはありません。
ここをとても不思議だなと思うのです。
私達が認識している「軍国主義」は、本当の「軍国主義」だったのでしょうか。
軍国主義的ではない考えを軍国主義として否定し、軍国主義さながらの行動についてはおとがめ無しで継続しているとは考えられないでしょうか。
たとえば戦後すぐに道徳(当時は「修身」と呼ばれました)や国語や歴史の教科書は、日本人の根幹に関わる神話や信仰、そして国家を思う気持ちの部分については黒塗りにされたそうです。後に、新しい教科書ができれば、もちろんその部分は削除されました。
明治天皇のお言葉である「教育勅語(※)」は、軍国主義を作り上げた悪辣極まりないものとされ、今も公に誰も触れませんし、もちろん学校教育で教えられることはありません。※勅語とは、天皇陛下が国民に対して発する意思表示のお言葉のことで、大臣などを介在せず直接お伝えする言葉のことです。教育勅語とは、教育の事に関して、明治天皇が直接国民にお伝えしてくれた教育の基本方針となるお言葉です。
そのため、ほとんどの国民は教育勅語こそが戦争に突き進み、国民を苦しめる種となっているとは思っているものの、その内容にはどんなものが書かれているのかは知りません。
どうして私たちが教育勅語と向き合わないかと言えば、答えは簡単です。教育勅語を受け入れたのなら、自分も悪の権化になってしまう気持ちを持ち合わせてしまうように、教育やメディアが誘導しているからです。
そして、「天皇の教えは悪いもの」といった思い込みは「八月革命説」のようなデマを定着させていく動機にもなったでしょう。このような積み重ねによって、皇室を軽視したり誤解する風潮も盛んになってしまいました。これこそが歪みであり、不安定な要素を作り出す要因になっています。
ですから、ここで教育勅語と向き合っていただこうと思います。きちんと向き合って、これが本当に「軍国主義」を作り出す思想なのか確かめてほしいなと思います。
ちなみに、教育勅語はどれほどの文章量だか知っていますか?
あなたのイメージのままで良いので、だいたいの文字数をイメージしてみて教えてください。
教育勅語は、315文字の文章です。
原稿用紙一枚分に満たない文字数です。
想像以上に長かったでしょうか、短かったでしょうか。
私は、想像以上に短いと感じました。この文章の短さに初めて気が付いた時、これこそが衝撃でした。たったこれだけの短い文章が、軍国主義の賜物だと言われ続けていた事実に驚きました。
私が見つけた文章が単なる序文であって、本当の言葉はもっとどこかにあるのではないかと探し回ったのですが、教育勅語はどこまでいっても教育勅語。315文字しかない文章です。
戦前教育を受けた子供たちは、誰もが当たり前に教育勅語を丸暗記していたと言いますが、この文章量であれば、私でもできたはずだなと思いました。勝手に教育勅語を妄想していた時代は、どんな長くて怖い話を子供たちに教えていたのだろうと思い込んでいたのですが、教育勅語は現代の私たちにも通ずる言葉しか書かれていませんでした。
国民道徳協会訳文による現代語訳で教育勅語をまずは確認してみましょう。
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
あまりに普通の事が書かれていて驚かれていた人が多いことでしょう。
教育勅語を軍国主義だと言い張る論者たちの批判する部分は、明治天皇が国民にお願いした部分になるはずでので、ここの部分を今一度抜き出し検証してみましょう。
①子は親に孝養を尽くしましょう
②兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合いましょう
③夫婦は仲睦まじく解け合いましょう
④友人は胸襟を開いて信じ合いましょう
⑤自分の言動を慎みましょう
⑥全ての人々に愛の手を差し伸べましょう
⑦学問を怠らず、職業に専念しましょう
⑧知識を養いましょう。
⑨人格を磨きましょう
⑩社会公共のために貢献しましょう
⑪法律や、秩序を守りましょう
⑫非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しましょう
どこが軍国主義なのだろうかと、疑問を持つ人もおられるでしょう。
実際、私はこの本文と向き合った時に、力が抜けました。どんなおぞましい事が書いてあるのかと思っていたのに、人として大切な事が書いてあるだけのことに本気で驚いたのです。
教育勅語を否定したい人たちは、非常事態の発生の時に、我が身を捨てて地域や母国のために一生懸命になることが軍国主義に繋がったと言いたいのでしょうが、では非常事態の時には、全員逃げて他国に占領されてしまえば良いのでしょうか。
その方がもっと悲惨な現実を作り出すのではないかと想像してしまうのは、私だけでは無いと思います。
不思議ですよね。
教育勅語こそが日本を軍国主義化させ国を悪くしたと言うのであれば、敢えてこの言葉を逆にしてみましょう。
①子は親に孝養をつくしてはいけません
②兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません
③夫婦は仲良くしてはいけません
④友だちを信じて付き合ってはいけません
⑤自分の言動を慎んではいけません
⑥広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません
⑦職業を身につけてはいけません
⑧知識を養い才能を伸ばしてはいけません
⑨人格の向上に努めてはいけません
⑩社会のためになる仕事に励んではいけません
⑪法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません
⑫勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません
(著・倉山満「逆にしたらよくわかる教育勅語」より)
さて、これで良い社会や良い国家は築けるものでしょうか。人と人は笑いあい楽しむことができるでしょうか。甚だ疑問どころか、そんなものはあり得るはずもないという結論に誰もが達するだろうと私は思います。
しかし残念なことに、教育勅語を軍国主義の権化として悪魔のように扱ったこの日本は、敢えて逆さまにした言葉通りの社会を築き上げていると言えるのです。そして、あらゆる場所の人間関係が破綻しいがみ合っているのが実情です。また、このような社会体制だからこそ、アダルトチルドレンが量産されているのだろうと思います。
一方で、戦後の日本社会は、教育勅語を軍国主義の象徴として否定する変わりに「自由と平等と人権」をスローガンに掲げ社会を育んできました。
しかしながら、「自由と平等と人権」を基にして歩むと、責任感の伴わない殺伐化した社会が生まれます。
なぜなら、不満がある時は、「平等と人権」を主張し、束縛を回避する時は、「自由」を主張すれば良くなってしまうからです。とすれば、極力自分にとっての不都合なことは避け、自己保身を貫くことが可能になります。
だからこそ、「自由と平等と人権」この三つの言葉を尊重した生き方を実践した人間は、誰しもが責任を回避しながらも個人を尊重するばかりになるのです。そして、全体の一部に属する自分では無く、他者よりも特別な個人としての存在を誇示するようになります。残念な事に未だに多くの日本人は、この三つの言葉の並列に違和感を覚えることなく、当たり前の事として受け取っていますが、その結果はきちんと社会に現われています。
昨今の日本は、自分の事ばかり考えて責任を持ち合わせない人が増えてしまいました。
努力もしないのに、結果ばかりを欲しがる人が増えてしまいました。
与えることもしないのに、欲しがるばかりの人が増えてしまいました。
自分の意見だけを主張して、周りの事を考えられない人増えてしまいました。
恩を仇で返す人増えてしまいました。
親、兄弟、友人、夫婦という身近にある人間関係が破綻し、そしてその関係の破綻は自分のせいで起きたとも思わない人が大人になっていくにつれて、逆教育勅語さながらの社会体制はどんどん実現してしまっています。
やはり、現代人が抱えざるを得なくなってしまった諸処の心の問題は、戦後教育や社会体制に原因がありそうです。