1-2.アダチル現象はもはや国民病?!

※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに

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アダルトチルドレンは国民病?!

第一章 親のことが好きになれない大人が増えていく日本

 

1-2.アダチル現象はもはや国民病?!

さて、この本では「親のことが好きになれない大人」の心の構造を理解していくのですが、この名称ちょっと長いですよね。ちなみに業界用語では、このような心持ちの大人を「アダルトチルドレン」と呼びます。

原宿で長年心理カウンセリングをし、親子問題に関する著書を多数出版されている信田さよ子アダルトさんは著書「重すぎる母無関心な父」で、アダルト・チルドレンを次のように定義しています。

 

アダルト・チルドレン(AC)とは、一言でいえば「親から被害を受けた」と感じている人のことである。親から子へのさまざまな行為を加害と被害の関係性で捉えることは、それまでの日本では半ばタブーとされてきた。現在でもそれはあまり変わっていない。ACとは、このタブーに果敢に挑戦した言葉でもある。

 

元々のアダルトチルドレンの言葉の定義はアルコール依存症の家庭で育って大人になった人のことを指していたそうですが、今は「現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人」がACであると定義されるように変わったそうです。

ただ、アダルトチルドレン……って、名称が長いですね。毎回フル名称を書くのは文章量が増えます。そのため業界内ではアダルトチルドレンを略す時はACと記載するそうですが、ちょっとその略称は私には馴染まなかったので、ここから「親のことが好きになれない悩みを抱えている大人」のことを、Mr.Childrenをミスチルと略す要領で、アダチルという名称で進めさせて頂きますね。

 

さぁいよいよ本題に入っていきましょう。

 

最近、親子問題の本って増えていると思いませんか?

十年前は、毒親・毒母なんて言葉はこの世になかったはずなのに、今じゃ当たり前に使われる言葉になっており、また毒親育ちをカミングアウトすることや親をディスることは、エンタテイメント化している側面さえ見受けられます。

信田さよ子さんの別の著書「母・娘・祖母が共存するために」によると、2008年から、母娘の関係性の問題点に切り込んだ本が突如市場に出回るようになり、問題認識が急速に広がっていったとのことです。またこの認識が広まるにつれて毒親、毒母という言葉も定着していきました。

母娘関係を中心とした問題が世の中に顔を出したのは十年前のことなのですが、問題の輪郭が見えるようになってからかれこれ十年、アダチルだと自覚する人は増える一方で、この問題の終息の兆しは全く見えていないのではないのかなと感じさせられます。

ただし、急速にアダチル認知を増やすきっかけとなった母娘問題は、アダチル問題の中の一つですので、アダチル全体としての認知が広がったのは、もう少し前で1995年のことだったそうです。

それまで(1995年頃まで)の日本では、親の事を悪く言ってはいけない暗黙の了解たるものがあったそうなのですが、この年にアメリカの書籍の訳本が日本で発売されたのをきっかけに、その認識が変容していったとのことです。私が二十歳を迎えたのは翌年の1996年なのですが……思い返せば私の中にも「もう親の事を悪く言ってはいけない」という思いがありました。それは「親の悪口を言うのは、中二まで」という暗黙の了解めいたものが社会にあったからのように思います。

しかし、かつてみんなあったはずの思いはどこへやらという状況に今や陥っているとも言えます。

「自分の親が毒親だ」とカミングアウトをすることは、今や恥ずかしいことでも何でもなく、多くの人の共感を呼ぶことになっています。さらに「親を許さなくても良い」という論調も多く見られるようになり、世の中全体が親を敵視することに正当性を与えているようにも見えます。

このような傾向によって問題は解決するどころか、どんどん対立が深くなっていると私は感じています。

そして、世の中を見渡してみると、私たちの日常はアダチル問題だけに限らず、あらゆる場に対立が生み出されているように思います。

そして、この社会環境に耐えきれず、心の病にかかってしまう人は沢山いて、鬱病は五大疾患病と呼ばれるレベルになっています。そして、現代社会のあらゆる場所で生み出されている心の病は、アダチル問題と同一線上にあると私は考えています。

つまり、「社会構造が敢えてそうなるように仕向けられるかのように動いている」からこそ、問題が発露され、さらに現代の社会構造だからこそ問題が解決しにくいのだと感じています。

ですから、まずは社会全体を捉えた上で、この問題を見ていく必要性があると思います。

葉が病気にかかる時、上手く実がならない時、それを解決するためには樹木や土などを含めた全体を見て理由を探るでしょう。

しかし、アダチル問題を含め、現代に蔓延る様々な諸問題は、樹木で言い直すと葉や実だけに現われる問題だけに囚われて、樹木や土などの全体やそれを取り巻く環境に目が行っていないように思うのです。

ですから、私たちの置かれている社会をふまえた上で、アダチル問題を考えていこうと思います。

 

takehisayuriko

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