※こちらは、以前私がアダルトチルドレン(現在の自分の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人)の問題に向き合っていた時に書いた内容を掲出しています。できれば最初からお読み頂ければと思います。→0.はじめに
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アダルトチルドレンは国民病?!
第一章 親のことが好きになれない大人が増えていく日本
冒頭でもお話した通り、ほんの数年前まで私も親のことを好きになれず、それだけで済むならまだしも、憎しみにも近い感情を抱え苦しんでいました。
親のことは嫌いではないのです。できれば、仲良くしたいんです。分かり合いたいんです。笑い合いたいんです。
しかし、それは単なる理想だと割り切らなくてはならないほど、目の前にいる親に対して腹が立ってしかたがない日常を私は送っていました。
これは本当に苦しいことだと、身をもって感じています。
今この本を読んでくださっている方も、私ほど症状がひどくないにせよ、似たような心持に苦しんでいるのではないかと思います。
私が親子の問題を解消せねばならないと本気にならざるを得なくなったのは、五年前に父が病に倒れ、半身不随の身になったことがきっかけでした。
それまでも、同様の悩みは抱えていましたが、社会的身分がきちんとしていたり、親と別居できる環境が保たれていれば、その問題は見て見ぬふりをすることができます。
しかしながら、その二つのうちの一つが失われたり、もしくはその両方ともが失われる環境となると、なかなか見て見ぬふりをすることはできず、臭いものに蓋をしたつもりでも、その匂いはどうしようもなく漂ってきてしまうことになります。
ですから、私は見て見ぬふりもできぬ、臭いものに蓋はもうできないという切迫した状況に直面したがために、とことん自分の気持ちと向き合い、なんとしてでも克服することに決めました。
その過程ではいろいろありましたが、克服して良かったなと思います。
親のことを面倒臭いと思う気持ちは今も多少抱えていますが(笑)、一緒にいる時間は苦痛ではなく楽しいと思えるようになりました。
また、親とのしこりに気が付いた頃は、「私の人生がこうなったのは、全部親のせいだ」と全てを親のせいにしてしまう気持ちがあったのですが、今はそういう気持ちは全く沸いてきません。この家の子として生まれたことを素直にありがたく思い、感謝をしています。
それから、父の介護をすることによって、自分の人生が台無しにされたという思いを抱えていた時期もありましたが、この環境の中で自由に仕事をすることができるようになった今は、単純にこの制限もありがたいと思っています。
私がこの本でお伝えしたいと思っていることは、多くの人が持ち合わせているだろう「親とのしこり」を乗り越えた後の爽快感と、この問題は、あなた一人だけが抱えることになってしまった重大な心の闇ではなく、現代に生きている日本人であれば、同様の心の悩みを抱えざるをえない事実についてです。
それぞれ生まれ育った家庭環境は違って当然で、そこに画一的なものは存在しないはずなのですが、なぜか多くの人が同質の心の悩みを抱えているのは事実であり、この心の悩みはもはや国民病と言えるレベルのものではないかと私は思っています。
ですから、今抱えている親への屈折した思いは、自分だけが特別に持ち合わせるものでもなく、特別な家庭環境にあったから持ち合わせるものでもなく、至極当然と言えるレベルで誰もが持ち合わせてしまうものだという割り切りをもってこの問題を見つめ直してほしいと願っています。
つまり、親との関係がギクシャクしてしまい、家庭不和に陥っているのは、あなただけのせいでも、親だけのせいでもないと私は考えます。社会全体のしくみが、このような心持を育みやすくなっているからこそ起きていることだと考えます。
ですから、自分だけに与えられてしまった特別な課題だと思わないようにしてみてください。
なぜなら、親子関係というものは、当事者にしか分からない蓄積された思いが絡み合うために、自分だけの問題だとして視野を狭めれば狭めるほど、より問題が深くこじれる性質があるからです。また、自分だけの特別な問題であるという自覚が強くなってしまうと、親からの呪縛を必要以上に強く感じて逃れにくくなるのではないかと推察しています。
ですからまずは、なぜこのような心持ちに私たちが陥ってしまったのか、克服するためにはどうしたらいいのか、客観的な視点を付加することによって、今持ち合わせている心の苦しみを打破してもらえたらいいなと願っています。