リカレントって言葉、聞き慣れないよね。
最近なんでもかんでもカタカナ語にして新しく見せてるけれど、それも問題じゃない?
ここんとこ私のブログで「リカレント」が連呼されているのは、国がこのリカレントとか言う「学び直し」という考えに大型の予算をつけているわけで、「それが有効活用できる方法は?」と考えているからこそ、政策と同じ名前の「リカレント」って連呼してるわけだけど、分かりにくいよね(笑)
まぁ世の中こんなにも意味の分からないカタカナ言葉が増えすぎると、日本語でいいじゃんって思う人のが多いと思うし、実際私もそう思うんだけれども、日本人って傾向として「新しいもの」=「良いもの」っていう考え方がもの凄く定着しているところがあると思うんだ。
だからさ、ぶっちゃけ私も……昔企画書とか書く時とか、少しでも企画を新しくみせるために、新しい造語を作ったり、外国語をカタカナ語にしたりしてwwwwww、少しでも新しいこと考えている努力しています!みたいなことしていたよ(・ω<) テヘペロ
不思議なことに……それだけで企画が斬新になった気がするから……やっぱり不思議だよね~。
今じゃ一般用語化して、新しくなんともない「コラボ」だけれども、「共同企画」が「コラボ」になった時、「なんか凄い!」って思ったもん。
それに、「スパッツ」とかもある日から呼び名が「レギンス」に変わったりしたよね。こんな風に、別に新しくないことを新しく見せるために言葉を変えるってよくあることだと思う。
結局こういう「何でも新しいものが良い」と思ってしまう日本人の思考性を見直すことが、今回の学び直しには一番重要なことなのではないかなって気がつき始めたよ。
結局、今の世の中ってさ、便利だったら生活が楽になるね、物がもっとあったら豊かになるよねって、みんなで切磋琢磨してやってきた結果、随分前にその目標達成地点に行き着いたのに、それに気がつかずさらに進化しようと競争意識働かせすぎちゃった結果なんじゃないのかなぁ?
例えば男女平等とかいう私が大っ嫌いな主張もさ、あるところの到達点までは必要な部分もあったのかなとは思う。
例えば男女雇用機会均等法とかね。
はっきり言って、これぐらいで十分だと思うのよ。だってこの法律で充分過ぎる程「機会の平等」は作られている訳だから。
そして、日本は随分前から男女平等なのにも関わらず、というよりも日本は古来から男女が公平であったにも関わらず、男尊女卑とかいう妄想に囚われたフェミニズムたちが、勝手な被害妄想から女性の権利を主張しすぎた結果が、このギスギスした男女社会を築きあげているんじゃないの?
しかも何かにつけては、男女差基点に政治利用ばっかり。
しかも、世界に比べて日本の女性議員の数が少ないから、敢えて女性の数を増やす法案とかも通そうとしてるけれど、それは機会の平等ではなく、結果の平等。
結果の平等を重視して、使えない女性議員が増えたら、それこそ血税が無駄になる。
しかも、女性議員のほとんどは、女性の代弁にもならない言動ばかりを繰り返しているし、そういう人がこういう場所には多いから、別に女性議員増やす必要なんてないと思う。
本当にやりたい人には既に門戸は開かれている訳だしね。
それに男性の方がなりたい人が多くて、なりたくてもなれない男性がいっぱいいるんだから、なりたい人がなれる環境を作る方が良い社会になると思う。
うちらって、ただただ働くためだけに生まれてきたわけでも、生きているわけでもないのに、こういうフェミニズムたちは、子育てに集中したい女子なども社会進出させるような雰囲気作りに躍起になっていると思うの。
イクメンなんて言葉はその象徴。
男女平等に子育てしましょうっていうスローガンによって、いろんなストレスが増えてる気がする。
イクメンブームによって、まず家庭で増えるはずなのが、家事をしない夫に対する腹立たしさ。
最初から男はやらないしやれないということが分かった上で社会が成り立ってたら、そう喧嘩になるはずもないことが、平等にやりましょうっていうことになるから、トラブルになったりストレスになったりする。
それから、無駄な共働きによって、子供を預けたりする養育費が嵩んだりすることもあるんじゃないかなって思う。
結局、男女平等っていう名の下に、働け働けっていって一番可哀想な思いをするのは子供なんじゃないかな。
赤ちゃんは結局お母さんの方が安心すると思うんだよね。それに預けられるよりもお母さんと一緒にいたいと思ってると思うんだよね。
なのに、フェニミズムとかを中心とした左派とかは、子供を産み育てることが特権ではない重労働で苦痛のようなプロパガンダばかり流してる。
結局こういう情報を流すことで、その情報を鵜呑みにしたママたちが、子育てをよりストレスに感じたり、育児放棄を起こす動機にも繋がってるんじゃないかなって思う。
新しいもの好きの日本人は、社会にもいつも新しさを求めがちだけれども、そんな新しさなんて本当は誰も求めて無くて、
ほんの少し前の時代のゆったりとした環境の中で、今の便利さがある社会でありさえすればいいような気がするんだ。
女性が活躍できる社会ではなく、家庭をもった旦那さんが活き活きと生活できる社会を軸に世の中を捉えた方が、よっぽど世の中はいい空気が流れると思う。
そもそも、ほっといたって日本の女子は優遇されているんだし。
少し女性が強くなりすぎてしまった世の中の針を戻すこと。それが社会の新しさにもなるし、それこそ学び直しになるんじゃないかなって思ってる。
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