それは表から被せてくのか、内から湧き上がってくるものなのか。
その違いが分かれ道の大きなポイント。
現代、自己肯定感は大事だと様々なところで言われている。
その提唱、私は間違っていないと思う。
ただ、本質的なことを見誤ってしまっている人が沢山いるため、多くの人が間違った自己肯定感の方向へと奔走してしまっているのは、悩みどころだなと思う。
そもそも自己肯定感なのか承認欲求なのか、区別がつかない話も多くて、そして一時的にでも承認欲求を満たすことによって、自己肯定感を安定させようとする方策がやっぱり目立つよね。
それって結局、エゴに餌を与えるものだから、本人気づかぬうちにみるみるエゴばっかりが育っちゃうんだ。
もちろん育ったエゴはそのうち手が付けられなくなる。
久しぶりにエゴネタです(笑)エゴというのは時として、自分でもコントロールしきれないくらい肥大化してしまう性質を持っています。常に魔物のように肥大化している状態… 『エゴを収束させる方法』 - いつの日も神社、時々たこ焼き。 |
そして、そのうちに周辺も巻き込みながらドボンするのが、エゴが肥大化した人の一般的な流れなんだけど、結局のところこうなってしまう最大の要因は、養うべき自己肯定感の感覚が実感できていないから起きていると思うんだ。
ってか、私がその輪郭を掴めるようになったのも、エゴを正常化しようと行動を起こし始めて、そしてエゴをある程度正常化させて、さらにしばらく経った頃。
もっと言えば、この感覚で間違いないんだって自信をもてるようになったのは、ここ1年くらいだよ。
だから、この見極めなかなか難しいんだ。
だけど、人に説明できるポイントをようやく見つけられたように思うから、今日は思い切って説明してみるね。
この記事で全てを説明できるとは到底思えないんだけど、自己肯定感の違いは化粧で考えると理解しやすいんじゃないかなって閃いたの。
私も含めた女性の多くは、お化粧をする時に肌を綺麗に見せるためにファンデーションとか塗ると思うんだけど、肌を綺麗に見せるためにカバーする方を重視するのか、それとも化粧水や美容液なんかで、肌の本質を改善することを重視するのか、さらに言えば、生活習慣や食事を見直して、本来の肌の最良な状態を求めるようにするのか、その違いを自己肯定感の違いに重ね合わせて考えるのが分かり易いかなと思ったの。
自己肯定感で言うと、
肌の状態を根本からよくしていこうとする行動の方が本質で
上からカバーしようとして、それなりに整えようとするのが、気づかぬうちにエゴに餌をやっちゃうパターンになる。
当たり前の毎日を過ごしながらも、恵まれている自分に感謝できるようになるのが本質で
認められている自分を様々な数字や経歴、はたまた肩書や高揚感でカバーしようとするのが、エゴに餌をやっちゃうパターンになる。
もちろん本質的な肌が綺麗な上に濃い目の化粧をする人もいるだろうし、メディアで取り上げられ続ける人の中にはそういう人って結構目立つ気がする。たとえばデヴィ夫人とか、神田うのさんとかね。
あーいうきらびあかな人に見ると、ついうっかりその表層だけを真似しようとする人が結構いると思うんだけど、その根底にあるものを見極めずに表層だけ(エゴの餌食になりやすい部分だけ)真似するからおかしなことになるんだと思うんだよね。
まぁ…この説明だけじゃ分からないっていう人が多いかもしれないけど……
まずは気にしてみて。
それだけで、少し違いが出てくるんじゃないかなって思うよ。
それではまたね♪
アマゾン部門別売上ランキングでTOP3に入りました♪
電子書籍版 地球はファンタジックに還ってる
紙書籍 地球はファンタジックに還ってる
View Comments
こんにちは。
ナチュラルメイクに好意的な私としてはよくわかる例えでした。
そもそも人の肌って細胞分裂の繰り返しによるものだと思いますので、そこを疎かにするのは本末転倒ですからね(ホントにきれいな人はそここそ外さない)。
私なりの自己肯定感と承認欲求の違いは、「果汁100%ジュース」と「氷を入れた果汁100%ジュース」の違いかな。
これについては細かく言うと長文になるので(比較的いつも長文ですが(笑))説明を割愛します。恐らく竹久さんなら深いところまで推察されると思いますので。
そういえば新年の挨拶まだでした。
遅きに失し申し訳ございませんでした。
今年も宜しくお願い致します。
こんにちは。
こちらこそ今年も宜しくお願い致します。
伝わるか半信半疑だったので、コメント嬉しいです☆
果汁ジュースの件考えてみますね。
それではこれからも宜しくお願い致します。