3カ月見知らぬ土地で暮らしてみたら、自分が見えてきた!
南三重で生活している間、なぜか前に働いていた会社の後輩の言葉がリフレインされ続けたんだ。
その言葉は……
「タケさん見てると安心する」
というもの。
なぜ安心するのか?
後輩が言うには、私が自由気ままなところらしい。
後輩曰く私は、「えっ?大人なのにこんなあけっぴろげなの?」、「えっ?大人なのにこんなに素直なの?」、「えって大人なのに、こんなに自分に正直なの?」な先輩だったらしく……
最終的な結論としては
「っつーかどうしてこの人、こんなに自由なの?」
こういうことになるらしいwwwww
そして、そんな私の後姿を見ていた後輩たちは、「タケさんがいるからいっか」というある種特殊な安心材料を手に入れていたらしい(笑)
後輩たちも後輩たちで、あけっぴろげにそんなことを常に言ってくるんだけど、私自身は後輩ちゃんたちが言い続けてくれている「核」的なものがずっと分からないままだったのね。
私は私なりに常識に合わせてるつもりなのに、私も世の中の普通なはずなのに、なんでそういう結論になっちゃうのか、納得がいかないというより、そもそも話の本題が見えてなかったのよ。
だから、なんでかな?って、なんでそういう風に思われちゃうのかな?ってずっと考えてたんだけど、南三重で暮らしてみてようやく後輩たちの言葉に合点がいきました。
私、自分自身で自分自身のことを変わりもんと思ったことはないのだけど(それでもみんなが変わってると口々に言うから周りの言葉は受け入れてます)、今回南三重に行ってみて、「確かに変わってるんだな」という自覚を持つようになりました。
そのきっかけとなった行動は、愛知から自転車で南三重に行った事。
南三重で仲良くなった人誰もが私を紹介する際に「ゆりちゃん自転車でここまで来たんだよ!」と超笑いながら言うの!
その行為は、鳥羽・志摩・南伊勢どこに行っても繰り返されて、私が思っている以上に自転車でここまで来たことはインパクトがあった出来事なんだなと思った。
三重まで自転車で行ってのは、ただ単に自分の力を試してみたくてやっただけのことだったんだけど、初対面の人には忘れられないインパクトを残すエピソードなんだなって気がついて、その頃からやたら後輩ちゃんたちの言葉がリフレインされるようになったの。
そして、後輩ちゃんたちの前でも自分では気がつかぬうちに、人からみたらインパクトある行動してたのかなって、自覚するようになって…そういう行動が結果、後輩ちゃんたちのある種特殊な安心材料になってたのかなって(笑)ようやく分かってきたの。
もちろん私も私でね、この年齢になっても大人らしくなれないというか、無邪気な方向にいないと自分を保てないことは理解していて、だからこそ世の中のギャップに戸惑ってる部分もあったけど…でもね、3月まで放映されてた朝ドラ「舞いあがれ!」で、ばんばが言った言葉が自分にとっては宝物で…
それは
変わり者は変わり者で、堂々と生きたらよか!
よ。
この言葉を真に受け止めたからこそ、南三重でしばらく生活してみることを実行できたんじゃないかなって思うくらい、この言葉は私には響いたの。
そして、そんな変わり者の行動も、人に元気を与えたりすることができるんだって、今「らんまん」を見ながら感じ取ってる(笑)
私にとっての普通は、多分周りからみたら想定外だったり、不可思議だったり、理解されないことも多い。
だけど、自分の中で分かってきた「道理」を軸に生きていないと私は私を保てない。※道理に関する話は「地球はファンタジックに還ってる」で読んでね♪
それでも常識も大事だと分かってるし、世の中の平均に合わせることも必要だと理解してるけど、それが道理から外れてるなら、分かり易く私はスルーしてる。
そして、道理に合わせた中で私は生きてる。
それが今の世の中では、想定外だったり、不可思議だったり、理解されないことに繋がりがちだけど……そんな私が全力ですることが誰かの笑いに繋がったり、安心材料になったりしてるのも事実で……。
最近、それが私の役目なのかな?ってようやく思うようになってきた。
私が良い年しても、子供みたいな行動をして笑って泣いてはしゃいで…、それはある意味みっともないことかもしれないけれど、それをしてる私がいることで、誰かの「大丈夫」に繋がるのかもしれないなって、南三重で生活してたらなんか思えてきたの。
っていうか、ずっとそういう役目だったのに、気がついてないのは私だけだったのかもな?なんて思ったりしてる。
本当にそうかどうかは今の所分からないけど、とりあえず全力で年甲斐もなく無邪気にこれからも生きていこうかなって思ってる。
っていうか、南三重で生活したからこそ、年甲斐もなく無邪気な自分が実は自分の「良いところ」のように思えてきたし、そういう自分を見てなんかみんなが安心して楽しんでる気がしたから、この感覚を肯定的に捉えていこうと思うんだ。
っていうか、書いてて気がついたんだけど、似非スピリチュアルってやたら「自分を大事に」って言って、自分勝手を推奨するけど…そうじゃなくて、最初から無邪気を提唱すれば見誤らなかったのにねって思ってる!
でも、常識に縛られた大人には、その言葉は響かないか(笑)だから、あぁいう提唱になっちゃったのも理解できなくはないけど!それは間違ってるから!だから正しい方向性の一つとして、私は無邪気な背中をあけっぴろげに出していこうって今決意してる(笑)
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View Comments
こんにちは。
友理子さん、スピで「無邪気提唱」はきっとやばいことになりますよぉ。常識に縛られた大人だからこそ無邪気さは眩しいものですが、ただでさえ多くの道理を気にしない方達が存在する業界ですから、きっと「悪意がない」「表裏がない」あたりだけフォーカスして自分だけに都合のいいような言動をしてしまうのが想像できちゃいます。
こわいこわいw
こんにちは!
確かにそうかも(笑)
提唱されたら「それ違うんだけど!」の嵐になりそう。
実際大概のことがそうなってますものね。
触らぬ神に祟りなし…ですね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
罪とは包み、嘘で自分の本心を包んでしまう事
穢れとは氣枯れ
祓い修行が進んでいるほど、純粋で素直で好奇心旺盛で安心感がある人が多いと思います。
こんにちは。
穢れとは氣枯れ…腑に落ちますね。
大人になればなるほど、氣枯れていっておかしなことになってるんだなと気がつきました。
これからも宜しくお願い致します。
「常若」という事が大切なのでしょう。
お伊勢さんの式年遷宮は、その最たるもの
まさに日本人とはかくありたいものですね。
なるほど。
外国人から観ると、日本人は老人になっても少年ぽさや少女らしさを秘めてる人が割合多いと言われていますが、それも「常若」文化のある日本ならではなのかもしれませんね。
それではこれからも宜しくお願い致します。
素敵ですね。私がこちらをのぞきに来ちゃうのもそんな安心があるからなのかもって思いました(無自覚w)
あとブログもお帰りなさいです。笑
読んでいて西洋占星術のサビアンシンボルってやつの水瓶座4度 「インドのヒーラー」を思い出しました。
よくよく調べてこのインドのヒーラーの意味が分かってきたのですけれども
このヒーラーは社会から外れたところから俯瞰して社会を見ているがゆえに、中にいる人には見えない「直すべき場所」が分かって直すことができる。だからヒーラーなのだ。
という感じの意味っぽいのですが
この記事の話もまんまこのインドのヒーラーっぽいなぁって思いました。
俯瞰してみるとかサトユミ先生のメソッドに通じるものもありますね。
今後も楽しみにしております。
こんにちは。
ありがとうございます。
ヒーラーって私には一番縁遠い職業のように思うんですけど(笑)、マーケッターって外から見て俯瞰して直す部分を指摘する仕事だったりするから、通ずるところがあるのかもしれませんね(笑)
それではこれからも宜しくお願い致します。