おはようございます。
火曜日は「変わる、終わる、始まる」です。
この「変わる、終わる、始まる」では、社会全体のトレンド(流行や趨勢・すうせい)に関する情報をお届けしています。
時代によって、インフラが変わり、またこの変化によって人の興味も変わります。
激動の時代と呼ばれる昨今の中で、立ち止まって全体を俯瞰できる情報をお届けしていきたいと思ってます。
朝のお供として、是非活用してくださいませ♪
最近、Netflixで山田孝之主演の「闇金ウシジマ君」を見続けています。
闇金ウシジマ君は、今から11年前の2010年10月からSeason1が放送され、そこからドラマはSeason3まで続き、映画は4本作られました。
私は「闇金ウシジマ君」的なアウトローな作品がそもそも好きじゃないというのがあって、これまで見ていなかったのだけど……「山田孝之の主演のものなら何でも見たい!」という気持ちに最近かられていまして(笑)
それで、友達が以前から「闇金ウシジマ君は面白い!」と言っていた言葉を思いだし、今更ドラマのSeason1から見始めました。
面白いと思うかどうかは、かなり個人の感性による作品だとは思いますが……私には合ったようで、全部見てしまいました(*’ω’*)
また今更11年前に作られた作品を新鮮な思いで見れたこともあって、あの頃と今との違いをはっきり認識できる機会となりました。
ですので、この11年で大きく変化があったと認識できる部分について、今日はお話していこうと思います。
読モって言葉、最近聞かないですよね。
そりゃそうですよね。
雑誌業界全体が落ち込んでいて、今や雑誌が流行の発信源という状況ではないですし、そもそも「読モ」の生息地が雑誌に限定されていたのですから、「読モ」という言葉を見聞きするはずもないですよね。
ちなみに読モというのは、「読者モデル」の略語であって、「雑誌のファンであるの素人が、モデルとして誌面に登場した際に使われる言葉」でして、この言葉は1990年代後半のティーン誌から浸透していきました。
当時、女子高生御用達の雑誌であったegg、popteen、ストニュー、cawaii!などの4誌を中心に読モの存在が定着化していき、2000年代に入る頃には、事務所所属のモデルを凌駕するほど圧倒的人気を誇っていきました。ちなみに今も活躍している、益若つばささんや押切もえさん、ローラさん、それから妻夫木聡君などは、読モ出身です。(妻夫木君はストニューの読モで、他三人はpopteenの読モ、それからもえちゃんだけはeggの読モもしてました)
読モから芸能界に入って成功していくというのは、かなり少数に限られる成功例ですが、その少数のカリスマに多くの人は惹きつけられるものでして、当時(2000年前後)は、こぞって誰もが読モになりたいと思っていた時代でもあります。
また私はその当時、ティーンの仕事をしておりまして、日夜「読モ」という言葉を使いながら、新たなヒット・新たなブームを作ろうとしていた時代でもあります。
ですから私の人生において「読モ」という言葉と存在は、切っても切り離せないほど密接な時間が長かったのですが……「闇金ウシジマ君」を見て、「ガチで死語じゃん!」って気が付いたんですよ(笑)
ちなみに、「闇金ウシジマ君」では、ドラマ・SEASON1(2010年)とSEASON2(2014年)で、読モからスター街道に伸し上がろうとする男子の姿を描いています。また映画のpart1(2012年)では、イベサー(イベントサークル)からスター街道に伸し上がろうとする男子の姿を描いています。
私は会社を辞める2012年まで、がっつりギャルやギャル男文化の仕事をしてきたため、2014年頃は既に読モはかなり下火になっていたのではないのかな?とも思うのですが、それでも「読モ」は、2014年当時までは商業価値のある言葉だったんだろうと思います。
しかしながら……、あれから7年の時代を経た今においては、完全にノスタルジーですよ(笑)
見ているだけで「そういうことに執着していた時代ってあったよなぁ…」と、やたら懐かしく思うのです。
遠く離れた過去を見ている記憶になるのです。
また当時と今では、明確に情報インフラが変革されているため、情報収集の方法や追随していくあれこれが、今といろいろと違っていることもはっきりとドラマで浮かび上がってきていました。
私はその違いを見ているのが楽しくて、結局全部見ることになっちゃったんですけど………
「読モ」文化
この一つをとっても、時代って大きく変わっていると思えることが凄いなというか……時代の変化は私たちの体感よりも大きく大胆に変化しているんだなと思わされます。
死語の話をした一方で気になることもありました。
それは、今や常用語になっている言葉が出てこない事実です。今から5年前の2016年でファイナルを迎えた闇金ウシジマ君では、一切出てこない言葉がありました。
その出てこない言葉とは、「youtube」や「youtuber」です。
ウシジマ君では、世の中に潜む銭ゲバや守銭奴…そして一攫千金のビジネススタイルをこれでもかと取り扱ってくいきます。
しかしながらなぜか「youtube」や「youtuber」については、皆無だったんです。
これについて私は少し不思議に思ったのですが、youtube&youtuberのブレイク背景を見ていくと、出てこないのも納得ですので、ここからいつ頃からこの言葉が浸透してきたのかご説明いたします。
youtubeが浸透し始めたのは、2010年くらいからでした。
しかし、youtube収益を専業とするyoutuberはまだまだ世の中に浸透していませんでした。
もちろん、最後のウシジマ君を撮影している当時(企画は2014年頃からと推察)も、浸透していなかったはずだと推察されます。
それは、2017年度の小学生がなりたい職業ランキングで、初めてyoutuberがTop10入りしたことから見ても、推察できます。
youtuberが社会的に受け入れられる体制になってきたのは、多分この辺りが境だったのだろうと思いますし、
youtuberという存在は、大人よりも先に小学生が受け入れていたという実情もあるので、youtubeが専業として成り立つ職業と認知され始めたのは、早くても2015年頃から。浸透し始めたのは2016年くらいからじゃないかなと思います。
ですから、漫画の原作を元に製作してたウシジマ君が触れなかったのは当然とも言えますが………、こうしてみてみると、情報インフラに対する社会変化の速さを痛感しますね。
だって10年前の映画やドラマを見ても、人の感情や行動様式に大きな変化は起きていないように見えるのに、情報インフラだけは異常なまでに大きく変わってるんですもの。
たとえばこの10年の間に、誰もがガラゲーを使っていたところからスマホに変わったのもその一つ。
それによって、情報の取り方や人脈の作り方が変わったのもその一つ。
こういう部分に特化しながらドラマを見ていると……人って本当に、情報主体に生きている動物なのだなと痛感させられます。
ただし、私たちが今生きているこの情報空間も、もちろん完成ではありません。
これからも否が応でも変わってしまうものでしょう。
それゆえ、後20年もしたらyoutuberが死語になっていることも、十分あり得るだろうなと思います。
だって20年前に読モが死語になるなんて、ブームの中にいた人は思わなかったですから!
それでも読モは死語になりました。それと同じように、youtuberが死語になるのことも充分あり得ますよね。
ほんと……時代って、やっぱり変わるんだよね。
当たり前のように思うけど、見え返すとやっぱり不思議だね♪
ということで、今日のお話はここまでです。
それでは来週火曜日の7時にまたお会いしましょう♪
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